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2005年11月30日
京都N電気宮崎さん一行フエ訪問
終日晴天。
午前8時、日本料理店のターオ君、またもや「ぬか床」作りに
こない。私が掻きまわす。かなり発酵した匂いになっていた。
あと数日でぬか床完成は完成する。
午前9時、ベトナム事務所で松下先生から日本語を教えてもらって
いたターオ君を会議室に呼び、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
話す。日本料理店で仕事をするということは、行動と約束が一番大事。
約束をして出来なのなら日本料理店の仕事やめて欲しい、と話す。
厳しいが、仕事をするという社会的な意味をターオ君に知らせたい。
言い訳と理由は必要ない。今後は、どんな事情があっても約束した
仕事、ターオ君の与えられた仕事は必ず責任をもって実行することが
「仕事をする」という意味だと教える。ターオ君は、仕事として頑張る
と話す。これからしばしばこうした問題が起こると思うが、繰り返し
ターオ君に親の気持ちで注意をしていきたいとバオミンさんと
話す。一人の人間を育てるということの大変さを実感。忍耐と
時間が必要。
午後1時、バオミン・ベトナム事務所長とフエ空港へ。京都の
N電機常務の宮崎さん・須田さんのフエ訪問の出迎え。
偶然、今日はバチカン支庁国からカソリックの幹部がフエを
訪問する日と重なってしまった。フエ省の盛大な歓迎(動員)。
たくさんの小中高大学生が歓迎のセレモニーに動員させられて
いた。暑い中、何十分も待たされていた。可愛そう。
カソリックのお偉いさんは、暑い中無理に動員された子どもたち
の苦痛までは理解できないだろう。
午後2時過ぎ、宮崎氏とN電機ベトナム社長須田氏と合流。
フォンザンホテルへ。
午後3時過ぎ、ベトナム事務所→日本料理店・東京平和産業
→日本語学校へ。
日本語学校では、宮崎氏・須田氏の話、両氏への質問など
日本語ガイドコースの学生の勉強に協力いただいた。
その後、オートバイ修理研修センター・工場視察。
「子どもの家」へ。「子どもの家」のセン委員長と懇談。
「子どもの家」の各施設を視察。
午後6時から宮崎氏・須田氏・小山・ミン・ラームの5人で
夕食会。
宮崎氏と須田氏は私と同年代。お二人とも中々心のある方々。
N電機ベトナム工場(ハノイから30キロ)に「子どもの家」の
子どもたちを採用してくれるとのこと。更に引き続き子どもたち
を支援してくれるとの話をしていた。耐震強度偽装など
日本の道義は落ちるところまで落ちている。そうした中で
宮崎氏などのような日本人がいることに安堵感あり。
午後8時。トンチンカンホテルへ戻る。
料理のターオ君の兄、リー君と話す。弟のターオ君は
午後6時に日本料理店に来て、ぬか床を掻きまわした
とのこと。これで一安心。人間は理屈だけでなく行動が大事。
ターオ君の成長のためには、苦言も呈しながら成長を
見守りたい。
琴欧州が大関に昇進した。ヨーロッパ初の大関だそうだ。
お祝いの言葉を送りたい。私など同じアジアのベトナムで
生活しても「違和感」「文化の違い」で悩んだ時期もある。
「伝統」を振りかざす相撲の世界で良く頑張ったと思う。
人に言えない苦労があったことを想像する。更に大成して
欲しい。日本の「国技」に朝青龍や琴欧州などが参加し
トップまで登りつめたことに大きな意味を感じる。
「国技」という言葉自体が死滅している。
国際的スポーツになりつつある。
11月のカレンダーを切る。12月だ。早いものだ。
もう12月。師走。昔は私も学校で走っていたものだ。
走るのをやめて12年。
NHK衛星放送「どんまい」を見た。
淡路恵子が良い。素晴らしい老け方。こういう形で
年を取りたいものである。
投稿者 koyama : 2005年11月30日 21:58
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