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2004年12月06日

1日、諸活動に費やすーーフエは「ほこり」の町と化す

11月21日にフエへ戻って16日目。ほとんど太陽を見ていない。
毎日の雨。今日は1日曇り、夕方から雨。
フエの町は洪水の後、数メートルも溜まった「泥」が乾いて
ほこりとなっている。町中、どこへいてもほこりだらけ。
今日もミンさんのオートバイの後ろに乗って各所を移動したが、
目に泥のほこりが入る。今朝、起きてみると両目が真っ赤。
洪水後のほこりで目に何らかの細菌が侵入した模様。
ベトナム事務所員も目を腫らし眼科医に通っている人もいる。
私も目を洗い目薬をつけている。

●午前9時、バオミン・ベトナム事務所長と「子どもの家」へ。
セン運営委員長、ロック寮長と2005年2月14日から
2月25日までの2週間フエに来る23人の京都産業大学研修生
受け入れの打ち合わせ。

●午前10時、「子どもの家」で定期健康診断
 フエ省立「子どもの家」、「盲学校」の同時に支援。
サン・原・松下さんが参加。

●12月1日に洪水緊急支援に行ったフエ市郊外「フーロック郡」
  の9人兄弟の長男がベトナム事務所へやって来た。
 (12月1日の写真)

●ベトナム事務所を訪問した水害被災者の長男


●午後7時。新任日本語教師中村友香さんが日本語ガイド
 クラスの授業をする。


京都産業大学の学生受け入れは、授業の一環としての
「国際協力・ボランティア体験」のためのものである。
2単位の授業として行われ、「子どもの家」での様々な体験、
特に子どもたちと共に行動し、子どもたちに折り紙、書道、
ピアノなど教える中でを共同体験する。山岳少数民族訪問、
フエ郊外の農村にホームステーもする。充実した2週間を
過ごしてもらいたいと念願している。こうした活動を通して、
一人でも多くの日本の若者に「アジアから学ぶ」という気持ち
をもってもらいたいと思っている。

トゥアティエンフエ省郊外の「フーロック郡」「ロックトゥーイ村」
「フースイェン地区」の水害被災者がベトナム事務所へやって来た。
12月1日に私・ミン・松下さんの3人で支援訪問した家庭の
長男である。11月26日、49歳の父親は洪水で水死。
心臓病の母親は未だに夫の死を知らないである。
水死したチエンさんには9人の子どもがいる。
長男は28歳
長女 25歳(結婚している)
次男 24歳
3男 22歳
4男 18歳
3女 16歳(高校2年)
4女 15歳(高校1年)
5女 13歳(中学2年)
5男  9歳(小学4年)

12月1日に訪問した時、16歳の3女以下4人の
子どもたちは学校へ行けないと行っていた。私が「必要なら奨学金
なども出すので、親戚、家族と良く相談して、困ったことがあったら
ベトナム事務所に来るように」と名刺を置いてきた。
今日、28歳の長男がベトナム事務所に一人でやって来た。
・親戚や家族と相談した。生活は家族で協力して農業を続けていく
 中で何とか努力していく。
・しかし、4人の通学している子どもたちの学費は農業収入だけでは
 どうにもならない。4人の子どもたちを何とか学校へ生かせて欲しい

長男はこんな話をした。私とバオミン・ベトナム事務所長とで応対。
・水害被災で苦労していることを心からお見舞い申し上げる
・4人の子どもたちの学費は私たちが支援する。当面、1年間
 奨学金を出す。一人毎月10万ドン。4人で1ヶ月40万ドンを
 支給する。年間480万ドン(33000円程)。
・家族で協力してお母さんを助け、頑張ってください

こんなやり取りがあった。この家族は立派である。
こうしたケースでは、多くの被災者が生活費から全ての支援を
して欲しいといってくる。中には、被災していないのに支援金が
欲しいなどと言ってくる不心得な人もいる。そうした中で、
自分たちで頑張って生活はする、学費だけは何とか支援して
欲しいという姿勢は立派なものである。私たちは、出来るだけ
子どもたちの通学を保証したい。人を育てる支援、物としては
目に見えない「人材育成」支援をして行きたいと思っている。

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【ファシズムは笑顔で堂々とやってくる】

大野防衛庁長官がイラクのサマーワを視察したそうだ。
たった5時間半の視察である。NHKテレビのニュースでは
「サマーワの安全を確認してきた」と胸を張って公言していた。
しかし、大野防衛庁長官がサマーワを視察するということすら、
事前に公表できないような危険地帯への視察である。
自分は「内密に」「お忍びで」「隠れて」視察をしておきながら
どうして「安全確保を確認した」と言えるのであろうか?
圧倒的多数の国民は大野防衛庁長官の「サマーワ安全宣言」
を本当だとは思っていない。戦前の軍隊が「大本営発表」という
嘘の発表を常套手段としていたが、防衛庁は憲法改正
以前に戦前の嘘つき軍隊の特徴を復活しているようだ。

自民党憲法改正案起草委員会の座長である中谷元・元防衛長官
が現職の陸上幕僚監部防衛部の二等陸佐に憲法改正案の作成
を依頼していたことが判明した。二等陸佐の作成した憲法改正案
はおそるべきものであった。「軍隊の創設」「軍法会議の設置」
「国民に国防の義務」を負わせるなど、戦前の日本軍を彷彿させる
内容となっている。中谷氏は、自民党憲法改正案起草委員会の
座長であり、憲法改正草案を作る責任者でもある。
国民に国防の義務を負わせるとは、「徴兵制」を意味することは
一目瞭然である。若者に再び銃をとらせる時代、ファジズムの時代
が前の前に来ている現実に慄然とする。

文民統制という言葉がある。陸上幕僚監部防衛部の幹部である
二等陸佐が政治にくちばしを挟んで来たということである。
軍人が政治に口を出し始めることこそファシズムの始まりである。
ヒトラーも東条英機も軍服を着て政治を行っていた。

自衛隊法61条は以下のように自衛隊員の政治活動・特定政党への
協力を禁じている。

政治的行為の制限)
第61条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、
寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法
をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権
の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。

NHKや各種新聞もこの問題を大きく取り上げてはいない。
恐ろしいことである。現職自衛官の幹部がこうした重要な
政治的な活動を自民党という特定政党のためにおこなった
ことは、不偏不党を謳っている自衛隊法・国家公務員法にも
抵触する犯罪行為である。

自民党・公明党が憲法改正のための国民投票法案骨子を
決めたとのこと。憲法改正は既に俎上に上っている。

東京都では君が代・日の丸を謳わない教職員を処分している。
最近起こる日本の出来事を一つ一つつなげていくと
戦争に一歩一歩国民が引き込まれていると言わざるを得ない。
日本は今、その進路をめぐって重要な岐路に立っている。
平和と自由がファシズムに置き換えられないようにしなければ
ならない。「二度と戦争をしない」決意こそ、国民の義務である。

戦争をしたい人間は、自分は絶対に戦場に行かない人たちである。
戦場で死んでいくのは常に若者である。ベトナム戦争、アフガン、
イラク戦争で戦死しているのは、若者である。
ブッシュ大統領や小泉首相は絶対に戦場には行かない。
若者は自分自身の問題として考えるときである。気が付いたら
兵士になっていたのでは、あまりに悲しい人生ではないか?

私は「人の命を救い」「幸せな生活」を保障するために
ボランティア活動をしている。ボランティア・海外支援と
戦争は相容れない。
人間の命をごみくずのように捨てていく戦争には絶対に
反対であり、その阻止のために闘いたい。

投稿者 koyama : 2004年12月06日 23:20

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