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2015年04月18日

ナム君・ニュンさん退所式:富岡先生送別会:ソン君誕生祝い

快晴 真夏日

午前7時朝食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
統計的には、4日に1回の「確率」で作ってくれる。
唐辛子が強い点だけは困るのだが、美味しくて大好きだ。


午前8時45分、宿舎にバオミンさんがオートバイで迎えに
来てくれる。

今日は、「子どもの家」で2人の子供の退所式。
その後、富岡先生の「退任式」と『ソン君の誕生祝い」の会。


バオミンさんのオートバイの後ろに乗り、「子どもの家」へ
行こうとしたのだが、今日は、4月30日の「ベトナム解放記念」
を祝う「ハノイ→ホーチミン」自転車ツアーがあった。

私たちの住んでいる所は「新市街」。「子どもの家」は旧市街。

その間を「フオン河」が流れている。

どうしても旧市街にある「子どもの家」に行くためには、
「フオン河」を渡らなければならない。

ところが、「サイゴン解放40周年記念自転車体験ツアー」が
行われている。数百台の自転車がハノイを出発し、国道を
南下し、4月30日の「サイゴン『解放』記念日」にホーチミンに
つくサイクリングツアーを行っているので、フォン河に
かかる3つの橋は、数百台の自転車の長い列で一杯。

フエ市民の中心的な橋である「チャン・ティエン橋」は
ハノイ等から自転車で来た「ホーチミン青年団」などに
占拠され、渡れない状況。
バオミンさんと私も一番遠くの「人が行きそうもない橋を
目指して行ったがが、そこもオートバイや車で一杯だった。

個人的には、非常に迷惑な「ハノイ→ホーチミン自転車ツアー隊」
ではあった。

午前9版前、「子どもの家」にやっと到着。

今日は、「子どもの家」に居た「NAM君」の退所式兼在宅支援
移行の式典。

「子どもの家」に3人兄弟・姉妹で入って来た「ニュンさん」の正式な
退所式典を行った。

初めにニュンさん(18歳)。3人兄弟で2005年に入所。
昨年中学を卒業し、JASS刺繍研修所で刺繍を研修していた。

今日は祖父(71歳)が退所の受取人として「子どもの家」へ来てくれる。

父親(41歳)は精神的な病を持っていて仕事が出来ない。
母親は、行方不明。

10年前に3人の兄弟(女子2人・男子1人)を「子どもの家」で
受け入れる。

今回、父親の妹がニャチャン(フエとホーチミンの中間の海岸
にある街)で「缶詰工場」をしているので、そこで叔母さんの
指導を受け、自立することになった。
家庭環境を見ると、できるだけ早く自分で収入を得て自立する
ことが望ましい。ただし、見知らぬ所では、監督が行き届かず
様々な問題に遭遇する可能性がある。
今回は、叔母さん(父親の妹)の経営する缶詰工場での仕事
なので、比較的安心して任せることが出来る。

(71歳の祖父:退所するニュンさん)

71歳の祖父は、諸般の事情で「文字が読めない」ので、代わりに
ニュンさんが「退所宣誓書」を読みあげる。


祖父が退所承諾書(戸籍移転書も兼ねる)に承諾のサイン。


「子どもの家」はフエ市の公的機関なので、戸籍の管理権を
持っている。「子どもの家」で戸籍を抜き、「ニャチャン」の
叔母さんの戸籍にいれる手続きを行う。

「子どもの家」運営委員長のセンさんが、退所と戸籍移動の
合意サインをする。

正式に退所と戸籍移動準備が終わる。

ニュンさんの新しい門出を祝う。幸せな人生が待っていることを
祈る。


ーーーー
NAM(ナム)君の「子どもの家」退所→在宅支援への変更式
を行う。

NAM(ナム)君は2004年に「子どもの家」へ入所。
10年強、「子どもの家」で生活したことになる。
現在15歳である。

中学を卒業。今回、「子どもの家」を退所し、「革靴作りの職人」
の修行のため、祖母の家で生活することになった。

祖母は、70歳。毎日「宝くじ」を売り歩く仕事をしている。
1日の儲けは、250円位とのこと。


祖母は、良くしゃべり、明るい性格の方である。

70歳とのことだが、1日中街を歩き「宝くじ」を売っているので
相当の運動をしている。体が大変丈夫のようだ。
また、良くじゃべる。これも「宝くじ」うりで身につけて人間対処術。

祖母の生活、NAM君の「革靴作りの『丁稚奉公』の実情などを
聴く。3年でほぼ「一人前」。
今は、足型に合わせて「革」を切り、靴底に接着剤で貼る仕事を
しているとのこと。5年ほど修行すれば、一人前の「手作り靴」
職人になれ収入が入るそうだ。「子どもの家」の直ぐ近くの
靴屋さんで仕事をしている。


4歳で入所したころは、本当に赤ん坊・幼児だったが、
15歳の青年になった「ナム君」たくましくなっている。



今後のナム君の「在宅支援」としての諸注意をするセン委員長。



祖母も文字が読めないので、ナム君が「退所・戸籍移動承諾書」
を読みあげる。

親元として祖母が、承諾書にサインが出来ない(無筆)
ので、拇印を押す。


拇印の下にナム君が祖母の名前を書く。


今後は、日本の里親の方に連絡し、ナム君の『在宅支援』を
お願いする予定。

ナム君の人生もなかなか困難が多いが、乗り越えて
成長して行って欲しい。こうした子供こそ、本当に
支援する必要のある子供である。「一度しかない」「貴重な人生」
を無駄にさせたくない。

退所式を終わる。

以前、「子どもの家」にいて「日本料理店スタッフ」として
研修していた「ヒエップ君」が「子どもの家」に遊びに来ている。


「子どもの家」にいた子どもたちはどの子供も、「子どもの家」が
自分の故郷であり、生家でもあるのだ。



背中の方に「青い・いたずら」をしていた。『若気の至り』


「子どもの家」での退所式を終わり、近くの「水上レストラン」へ。

今日は、4年間、日本語教師をしてくれた富岡先生の
『送別会』である。

会場のレストランは、元々はフエ王宮を取り巻く「お堀」
であった。


午前10時過ぎ、「富岡先生送別会」開会。

バオミン委員長が、開会の挨拶



乾杯



小山の「送別の言葉」兼「婚約お祝いの言葉」




富岡先生の「離任のことば」。

2010年8月から足かけ4年、ベトナム事務所で日本語教師や
日本料理店の手伝いをさせてもらった。
色々な経験をさせてもらった。失敗もあったが、今後の人生に
役立つ4年間だった。「不思議な縁」でベトナムに来て、
ベトナムの女性と結婚することになった。

今後は、長野県の小諸市に帰り、「ワイン工場」をやる予定だ。


JASS日本語部長のフーン先生より「4年間の思い出の写真」
贈呈


送別記念品贈呈



昼食を囲んで


ソン君の34回目の誕生日のお祝い

ベトナム事務所スタッフが、各自、ソン君へお祝いの言葉を
言う。

ソン君は1994年、14歳でに「子どもの家」へ入所。
現在34歳。「子どもの家」入所後20年が経過。

現在、4歳の男児「BAO君」のお父さん。

ベトナム事務所の皆さんは、富岡先生の4年間の日本語教師
としての功績と、ソンクンの34回目の誕生日のお祝いを言う。


新日本語教師の古竹先生の言葉

新日本語教師の北浦先生の言葉

バオミンさんが「しめのことば」を言う。

ソン君の誕生祝いの寄せ書き


ソン君のお礼の言葉



お昼過ぎに「富岡先生送別会・ソン君誕生会」を終了。


午後1時から2時間程昼寝。

その後読書。

今後のJASSベトナムの在り方をを考える。


午後5時半、日本料理店へ。


午後9時、閉店。


長い1日だった。

夜7時「ダナン空港」着の飛行機で日本の支援者であり「里親」
である星野さんが、フエに来る。

バオミンさんが、車で2時間半程かけてダナン空港へ出迎え。

フエ到着は午後10時頃になりそう。無事に到着することを願う。

明日から、「子どもの家」訪問、里子との面会などの諸日程が
ある。仕事でお忙しい中でのフエ・「子どもの家」訪問に感謝。

投稿者 koyama : 2015年04月18日 18:37

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