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2015年04月15日

バオミンさんと打ち合わせ

今日は、急に太陽が出て、気温が高くなる。暑い。
気候の変動が大きいので、体がついて行けない。

午前7時朝食。

「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)


午前中、里親への手紙、里親への連絡などの
文章を書く。


バオミンさんと電話で打ち合わせ。


午前11時半。昼食。

「豚肉入りの春雨麺」


午後2時間程昼寝。体がだるい。

いくつかのJASSの今後の諸課題について文章を書く。


バオミンさんと打ち合わせ。ベトナム事務所の件、その他。

インターネットで2代目「広沢虎造」の「清水の次郎長伝」
を聴く。

戦前の浪曲師。一世を風靡した。

「寒い」→「さぶい」
「たばこ」→「たぼこ」
「「きまりがわるい」
「少ない」→「すけない」(少ないの意味)

私の父親は、こんな言葉を使っていた。
私は子供の頃、非常に抵抗感があった言葉だった。

しかし、広沢寅造の浪曲を聴くと、私が子供の頃の
父親の言葉が、「モロ」に出てきたので驚いた。


「タバコ」を「タボコ」などという人は私の子供時代には
周りにいなかった。

しかし広沢寅造〔2代目)の浪曲を聴くと、私の小学生の頃
父親が使っていた「変な東京語」を廣澤虎造が使って
いるのである。父親の東京の言葉は、東京の下町の
言葉だということが分かった。浅草や向島などに若い頃
住んでいた父親のことばは、今から考えると当時の
東京の下町の言葉だったのだ。

私は子供の頃は、「布団をひく」と言っていた。
学校に行って教科書を読むと「布団をしく」と書いてあるので、
自分の言葉は、「方言」だと思い、無理をして、直したものである。
「とうちゃん、しゃくえん ちょうだい」と言っていたことを思い出す。

2代目廣澤虎造の浪曲「清水次郎中伝」を聞くと、父親が
日常話していた言葉遣いが、出てきてとても「懐かしく
おもった。昔の東京の下町では、父親の話していた言葉が
使われていたことが改めて分かった。

午後5時半、徒歩でベトナム事務所へ。

午後6時半、日本語教師が帰ってくる。

夕食。「チャオ・バイン・カイン」〔小麦粉の手打ちうどん)



来客5人。

午後9時半過ぎ閉店。


投稿者 koyama : 2015年04月15日 00:02

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