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2014年08月02日

JASS・「子どもの家」創立20周年式典:記念昼食会

午前9時。

フエ市人民委員会(フエ市役所)に於いて、
JASS・「子どもの家」創立20周年記念式典が行われた。


はじめに「子どもの家」卒業生のドゥオック君が
歌を歌う。



続いて、「子どもの家」の子どもたちのお祝いの
踊り


午前9時20分、式典開会。

司会は、ロック「子どもの家」寮長、ハンJASSベトナム事務長
財政部長


はじめにJASS代表小山の挨拶


バオミンさんが通訳をする



続いて、タン・フエ市長のお祝いの言葉


タン・フエ市長より「お祝いの花束」贈呈


「子どもの家」運営委員長センさんの挨拶


「子どもの家」から小山へ手作り刺繍の
「子どもの家」を贈呈。


今日の20周年式典には、フエ市共産党委員長のユン氏、
フエ市人民委員会主席(市長)の列席。


里親を代表して「京滋YOUの会」の
藤井志保子さんの挨拶



「子どもの家」卒業生を代表してタン君が挨拶。

タン君は1993年に私が最初に作った
『チーラン通り子どもの家」に4歳で入所した。
アールオイ山岳地帯の少数民族出身。

1994年現在の「37グエンチャイ子どもの家」を
完成さえた際に引越し、つい先日まで20年間
「子どもの家」の子どもとして生活していた。
中学校を終わり、各種研修を行ったが、
3ヶ月位すると研修を辞めてしまい、半年ほど
「子どもの家」で「自由行動」。また、「子どもの家」
ベトナム事務所で新しい研修を紹介すると
これもまた3ヶ月位で辞めてしまいということを
10数回繰り返した。なかなか手の焼ける子ども
ではあった。

現在は、漆の美術品やみやげ物などを作る
仕事をし自立している。「子どもの家」入所第1号
のタン君である。

続いて「子どもの家」在校生を代表して、フオンさん
が挨拶。

フオンさんは、小学校高学年で「子どもの家」に
入所。その後、フエ医科大学歯学部に入学し6年間
勉強・卒業。引き続いて、フエ医科大学大学院で
研修を行っている。将来は、フエ医科大に残り
大学の先生・研究者になるコースに入っている。

ベトナム事務所のハンさんが通訳


(下 右から ユンフエ市共産党委員長
 中 タン・フエ市長
 下 イックホアン・フエ市新外務部長)

夏らしい「ゆかた」で参加した小樽の菊先生と
静岡の笠井先生



高校の同級生



ニエン前フエ市外務部長
JASS20年の活動の全てを支援してくれた恩人。


左の2人は、「子どもの家」スタッフ
右は、フエ医科大学の先生


フランスのNGO代表


「子どもの家」の子どもたちと卒業生



「子どもの家」の寮母さん・整備員さん


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20周年式典風景

長年の里親のWさんと里子のドゥオック君。

式典に参加した「子どもの家」の子どもたち

「ハイリーホテル」で数年間一緒に生活したH君。


長年の里子を再会した「京滋YOUの会」のFさん


多くの方々から20周年のお祝い金を頂く


日本料理店長のトウオイさんは、お子さんを
連れて式典に参加



立派に成長したタン君

何故か「怪しい男」が一人、ネクタイをして式典に闖入。
日本からの式典参加者一人ひとりと握手をしている。


70年安保世代の高校同級生。
大学で「壇上占拠闘争」を経験したのか
直ぐに壇上に上がる性癖がある。
角材をもっていないだけ、安心ではあるが・・・・・


6歳で「子どもの家」に入所した日本料理店接客係り
のグエットさんと高校同級生のS水君。20年間の支援
である。


4歳で「子どもの家」に入所したタン君。
最初から里親としてタン君を応援してくれた
「Tしだ」さんと姪御さん。


式典全体の記録係りをしてくれた富岡先生と
川原先生

「子どもの家」の寮母さんたち

式典に出席した「子どもの家」の子どもたち

心臓病で苦しんだTさん(左)。現在は完治。



「子どもの家」卒業生で日本料理店店長のトウオイさん
とお子さん


「子どもの家」卒業生と里親の「京滋YOUの会」のFさん


JASSベトナム事務所スタッフ



ユンフエ市共産党委員長とバオミンさん



ユン・フエ市共産党委員長・タン・フエ市長


高校同級生と



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式典終了後、フエ市所有のレストランで
フエ市人民委員会主催の「祝賀昼食会」があった。

フエの伝統料理。

主催者のタン・フエ市長より、20周年式典成功の
言葉があり、日本からの参加者へのねぎらいの
言葉があった。



被招待者であるJASS側から答礼の言葉
「京滋YOUの会」の中村さん



20周年式典お成功を祝って乾杯



昼食会後、ホテルで若干休息し、夜の「子どもの家」
で「夏祭り」の買い物等へ。

午後5時半。「子どもの家」で恒例の「夏祭り」を行う。

日本からの参加者25人とベトナム事務所スタッフ10人
「子どもの家」の子どもたちや卒業生、スタッフなど
70人近くが参加。


はじめに「竹とび」


バオミンさんもバドミントンで一汗かく。


ロック寮長の号令で子どもたちは整列(といってもベトナム風)


「子どもの家」労働組合室では、日本人が子どもたちに
「浴衣」を着せていた。



「子どもの家」では既に「絶滅危惧種」と揶揄されている
男子。「子どもの家」の男女比率は女子7対男子3である。



長年のJASS東京スタッフのN村さんの開会の挨拶



浴衣をきこなしているかどうかは、多少怪しいが・・・・・
浴衣で登場した女子



夏祭りのルールの説明。「子どもの家」の子どもたちは
ほとんど「ルール」を守る気はないが・・・・・。


ボールすくい


ヨーヨーつり


輪投げ

ソースせんべい



最後にお菓子セットをもらう


「子どもの家」の卒業生も親子で参加
(20年の歳月の流れを感ずる)


「子どもの家」の入所第1号の「タン君」



しばらく「ラオス」に行っていたチュック君


スイカ割り



「スイカ割り」が終わり最後の出し物「フォークダンス」


ジェンカを踊る

最後は「グチャグチャ ジェンカ」



夏祭りのフィーナーレ 大花火大会





フーン日本語部長も花火を楽しむ






午後8時。花火大会を終え、全員写真を撮って
夏祭りを終了した。


2014年8月2日
「JASS・「子どもの家」創立20周年」式典原稿
                 小山道夫

ユンフエ市共産党委員長・THANH フエ市長をはじめ、JASSそして「子どもの家」創立20周年式典にご列席の皆様。ありがとうございます。
私は21年前の1993年9月1日、フエ師範大日本語学科主任としてフエ市へやって来ました。当時、フエ市だけでも数百人のストリートチルドレンがいました。東京で小学校の教員をしていたこともあり、路上で寝たり、物乞いをしている子どもたちを見て、心が痛み、子どもたちの救済・支援活動を一人で始めました。
こうした私の活動を日本で支援してくれる日本人の皆さんが、20年前の1994年2月にベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)を設立しました。日本からベトナムのストリートチルドレンや生活困難な子どもたちの救済を支援するNGOです。  
 私は何とか路上の子どもたち、生活困難な子どもたちを救いたいと思い、当時のフエ市長・外務部長と相談し、1994年11月、フエ市内のグエンチャイ通りに2000㎡(700坪)の土地をもらい、「子どもの家」の第一期工事を始めました。
こうしてはじめたベトナムのストリートチルドレンや生活困難な子どもたちへの支援活動は、気がつくと20年間が経過していました。時の流れは速いものです。
この間、214人の子どもたちを「子どもの家」や在宅支援で育て、社会へ送り出しました。また、JICAと協力して、フエ省全体の総合的な障害児支援を行いました。日本から1000台以上の車椅子をベトナム中部の障害児に寄贈しました。更に消防車1台の寄贈も行いました。フエ市と静岡市・京都市との間の「友好都市」「パートナーシップ協定」調印の仲介役にもなりました。日本語学校を設立し、約350人の卒業生を出しました。現在、フエの日本語ガイドの多くは、JASS日本語学校の卒業生です。
私たちの活動は、2年か3年で次の支援国に移動するというものではありませんでした。1箇所に定着し、一人ひとりの子どもたちの「一回だけの貴重な人生」を幸せに生きていって欲しいとの気持ちから、「子どもたちの自立」を目標にして20年間、活動して来ました。今日、これから挨拶するタン君は、フエ省の山岳地帯の少数民族の子どもでした。家庭の諸事情があり、5歳で「子どもの家」に入所し、紆余曲折がありましたが、現在25歳。芸術に才能のあるタン君は、漆(うるし)工芸の職人として、自立・自活しています。
あっという間の20年でもあり、長い20年でもありました。こうして今日、盛大な20周年式典を祝うようになるとは、夢にも思っていませんでした。これもタン市長やニエン前外務部長・セン「子どもの家」運営委員長をはじめとしたフエ市人民委員会の皆さんの政治的な指導とご支援のお陰です。心からお礼を申し上げます。同時に今日、ご列席の日本人の皆様。日本で20年間もの長い間、「里親」として、あるいは、JASS日本事務所員として「子どもの家」の子どもたちを支え続けて頂き、皆様方の「世界中の子どもたちの幸せを望む」気持ちに改めて御礼と感謝を申しあげます。
「中国の異常な覇権主義・侵略主義」が目に余る今日この頃です。今にも戦争が始まりそうな雰囲気さえ感じます。
私たちは、東アジアの平和を飽くまでも求めています。戦争のない、世界中の子どもたちが幸せに生きられる世の中を作って行きたいものです。
最後になりましたが、タン市長様をはじめ、フエ市人民委員会の皆様、セン委員長をはじめ「子どもの家」やJASSベトナム事務所のスタッフの皆様そして、遠路、日本からお越しの日本人の里親・支援者の皆様に心からお礼申し上げます。皆様方のご健康とご家族のご多幸を心からお祈りいたします。


投稿者 koyama : 2014年08月02日 17:37

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