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2014年03月01日

初代JASS代表「岩辺泰吏先生」の退官式に参加

午前中、ベトナムへ帰るために買い物をする。

午後1時自宅を出て東映三田線で「白金台」まで。

明治学院大学へ。

午後2時。明治学院大学の教授になっている
JASS初代代表(10年間代表を勤める)の
教授最終講義と退官祝賀会。

岩辺先生は、長い間東京都の小学校の教師を勤め、
退職後、明治学院大学教授となり、作文、読書などを
中心に教員志望の学生を中心に明治学院大学で
4年間教鞭を執った。

最後の講義は岩辺先生が、小学校の現場で何を
考え、どんな授業を行ってきたかという人生を
通じた教育実践報告でもあった。特に作文や詩に力を
入れての教育実践の結果がどうなったかが、既に
成人している昔の教え子の登場でよく分かった。

京都の岸本氏を中心とした「百マス計算」グループへの
事実に基づいた批判を展開していたが、その通りだと
思った。岩辺さんのめざしたいた教育実践は、子どもたち
の心の中に「生きる力」「人間の真っ当な精神」を
育もうとすることのようの思われた。先生がストップウオッチ
を持って、子どもたちの計算の速さを競わせる「百マス計算」
グループの人々の個人的な「善意な意図」は別にしても
子どもたちを競争と他者を排斥し、支配者の命令に
唯々諾々として従っていく子どもたちを大量に要請する
道具に「百マス計算派」の教育実践は利用されることを
岩辺先生の「最後の講義」は物語っていた。

その後、場所を代えて「岩辺先生退官祝賀会」が
行われた。

参議院議員の川田龍平氏などの祝辞があった。
私も一言、ベトナムの「子どもの家」を支える会の
初代代表である岩辺先生の「子どもの家」活動に
置ける大きな役割りについて、話す機会を得た。

参加者の中にSさんが居た。
50年近く前に東京学芸大で一緒に学生運動をした
仲間だった。『私、誰だか分かる?』と言われて
うーんと考えてしまった。
50年の歳月は人間の顔にもそれだけの年輪が
刻まれている。色々とはなしをしていて18歳頃の
Sさんのかわいらしい顔が浮かんできた。

現在は、板橋区の小学校の教員をしているとのこと。

岩辺先生の長い間の教員生活に「お疲れ様」といいたい。

帰りにJR巣鴨駅前の「飲み屋」に寄る。

お店の人たちに「年末、テレビ見ましたよ」と
声をかけられる。

投稿者 koyama : 2014年03月01日 17:14

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