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2013年12月18日
終日雨と猪瀬都知事辞任に、うんざりする
一週間程毎日雨が降り続く。
午前6時起床。
午前7時朝食。
「ブン・クアー」(カニ団子ブン麺)
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
午前9時半、帯広のYさんが主催する
「暖炉基金」のD君と懇談する。
D君は生まれながらに両手・指の
発育が悪く、ものを掴んだりすることができない。
2003年9月から10年間も続いている
支援である。
家庭の経済状況が悪い中で、障碍を持つ
D君など10人近くの障害児の支援を
続けてきた、既に8人は、自立し、それなりの
仕事を持ち、自立している。
D君は、現在19歳。9歳からの支援。
現在、フエ高等工業大学IT科で勉強している。
現在の生活状況、困窮度、学習の震度などの
聞き取りを行う。
D君は、障碍を持っていても性格が明るく、
常に前向きに人生を歩んでいる。
高等工業大学の年間授業料(25000円)、IT科の
征服3着(2000円)、その他(3000円)
年間、高等工業大学IT科での学生生活をするに
当たって必要な費用は、概算35000円。
帯広のYさんの支援がなければ、家庭の経済状況が
悪いD君は、進学すら出来なかった。
これから更に2年間の勉学を終え、障碍があっても
出来るITの仕事に就き、自分の力で人生を生きて
いけるよう支援を続けて生きたい。
10年間もフエの障碍児への支援を続け、
看護婦さんなど経済的・人間的に自立させる
取り組みを行ってきているYさんに深謝。
午前11時半昼食。
「マカロにスープ」
その後、1時間ほど昼寝。外は雨。
午後関係者に手紙や報告書を書く。
バオミンさんは、ブライセンの仕事でダナンへ。
午後5時半、小雨の中、徒歩で日本料理店へ。
4人の来客あり。
来客が途絶えている時、子どもが生まれた
トゥオイさんが女児のためにマフラーを
手編みしていた。
それを見習って、2014年2月9日に結婚する
ヒエンさんも編み物を練習していた。
午後9時、閉店。
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午後9時半(ベトナム時間:日本時間午後11時半)
速報で「猪瀬都知事が辞任の意向」との報道が
でた。
私は猪瀬氏の行動を長期的に見ていた。
信州大学の革命的共産主義者同盟に所属し、
信州大全共闘議長。その後、作家になり
それなりに実績を残し、テレビに露出するように
なった。「道路公団を追求するヒーロー役」
を果たしていた「正義の味方」。
それがいつのまにか「極右」の石原慎太郎都知事
の副知事となるという、至って異常な「路線変更」
を平然としている。
今回の辞任は多くの都民、国民の想像し・要求して
いたものである。当然といえば当然。
都議会、記者会見での答えが、いい加減なもの。
結局、都民・国民を「舐めるように」なってしまった
猪瀬氏の結末であり「本質」であったことが分かる。
なるようにしてなった猪瀬氏の晩年の結末である。
人間が人生を全うするということの困難さの基本は
「誠実さ」である。誠実路線を甘く見た猪瀬氏の
結末である。
私と同年齢の猪瀬氏の人生と生き方には
全く賛同できない。人生を「舐めた態度」が
彼の挫折の根本だったと思う。
『新左翼」「ニセ左翼暴力集団」の末路でもある。
その時々の「時流に乗る」のがうまかった人間
という意味だけでである。
人間の末期の無様な末路を見て「反吐」がでる。
都議会や記者会見での猪瀬氏の態度は
およそ、「道路公団」を追及していた人間でない。
5000万円という恐るべき金額に「慢性症状」
を示していることに彼の「退廃」を見た。
投稿者 koyama : 2013年12月18日 17:35