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2013年08月22日

青少年教育の会ー最後の反省会

快晴 一時雨

午前6時起床。洗濯。

午前7時、朝食。
「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」


午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。

帯広の芳村さん運営の「暖炉寄金」
で10数年間、支援をしているフック君。
生まれつき、両手の指がくっつき、
足の指も不自由な障がいを持っている。

しかし、なかなか利発な若者である。
帯広の芳村さんが「暖炉寄金」を発足させ、
フエ市内の障がいの子どもたちへの奨学金を
発足させた。10人ほどの障がいの子どもたち
を自立するまで支援するという寄金。

9人が看護婦さんになったりして自立。

最年少だったフック君も今年高校を卒業し、
フエ高等工業学校のコンピュータ科に
見事合格した。

小学校の頃、ベトナム事務所に来て、
足の指で文字を書いていたフック君である。
ご両親の愛情と芳村さんの財政支援、
ベトナム事務所スタッフの励ましがあり、
手と足の不自由さを乗りこえて、
見事に希望する「コンピュータ」の
専門大学へ入学することが出来た。


午前8時半、ホイアンから来たという女性を
「子どもの家」へ案内する。


午後12時過ぎ、宿舎へ。

昼食は菓子パン2個、牛乳。

1時間ほど昼寝をする。

午後2時、内田さんといくつかの件に
付いて話し合う。


その後、「子どもの家」で活動している
青少年教育の会の添乗をしている
バオミンさんと電話でいくつかの件を
話し合う。

午後5時半過ぎ、日本料理店へ。

午後6時、青少年教育の会の皆さんが
日本料理店へ。

8月20日から日本料理店に出勤したTUOIさん。
お母さんになって一層、仕事に対する意欲が
出てきた。


「子どもの家」から通っている「ヒエップ君」。
「子どもの家」で急に心臓の痛みを感じ、緊急に
病院へ行き検査。今日の日本料理店は休みにした。
心配である。

午後6時、青少年教育の会スタディーツアー
の皆さんが日本料理店へ。


メニュー(接客係りのグエットさんが書く)」



団長のKさんと青少年教育の会スタディーツアー
に何度も参加しているI君(現在、ベトナム語学習中)


青少年スタディーツアーに参加した皆さん


接客主任のグエットさんのメキュー紹介。



今日はお刺身が出た。


皆さんしっかりと食事を摂った。



食事が終わった後、一人ひとりの参加者の
感想発表。

皆さん、しっかりとした感想を述べていた。



K団長さんの感想発表とまとめ



明日誕生日の子がいた。一日早い誕生会を
行う。


午後8時過ぎ、青少年教育の会の
夕食・反省会は終了


その足で宿舎へ帰る。

宿舎へ徒歩で帰る途中の路上で飲んでいる
集団を発見。リー君やブライセン社員。
私を除く4人のうち「3人」は「子どもの家」の
卒業生。5歳、7歳、と小さな頃からの
お付き合いだ。そのうち2人は複雑な人生に
翻弄されながら「子どもの家」で育ち
今は、ブライセンでしっかりと給料をもらい
自立している。『リー君』は、未だに
フラフラしている。20年間の付き合いである。
「 肉食系男子リー君」。彼の今と行く末を
時間をかけ、寄り添いながら一緒に人生を
苦しみ、生きて行きたいと思っている。
「肉食系男子リー君」は、頭がよく、
気が利きくが、なかなか扱いが難しい。
20年間も付き合っている私でさえも
時に「操縦が難しい」若者との認識を持っている。
20年前に5歳で付き合ってからの縁である。
私の「生が続く限り」、私の人生をかけて、この
「肉食系男子」と付き合って行きたいと
決意しながら、飲酒注意のイエローカードを
突きつけられてはいるが、ビールを飲むので
あった。


隣りにオーストラリア人がいた。
かの女は、中国系の医師(国籍は豪州)
英字観光ガイド「ロンリー・プラネット」を読んで
私のことを知っていた。
医師なので「フエではどんな病気が流行るのか?」
など質問される。


リー君も私もかなり酔ってきた。
リー君には、「人生、色々なことがあるが、
直ぐに怒って出て行ってしまうという生き方は、
子どものすること。25歳になったのだから、
腹が立つことがあっても、少し我慢するということも
覚えるように」と話す。彼は、気持ちが落ち着いて
居るときは、冷静に人の話を聞くのだが、
血が頭に上った時は、暴力などの実力行使か
お金や甘い言葉に直ぐに乗せられてしまう
性向・悪癖がある。20年間の付き合いで
彼の様々な性向も理解している。そうしたことの
理解の上(長い歴史の中で苦い思いをして
私が、知りえたもの)に立って、リー君という
肉食系男子との付き合いが必要である。
リー君との付き合いの最大のポイントは、
「時間をかけて、忍耐強く、何度も繰り返し」という
ことに尽きる。20年前にリー君と5歳で会い、
怪我をしていたので薬をつけてやったのが
彼との出会いであった。
その当時は、フエ師範大学内の外人教員の
宿舎に私は住んでいた。
薬をつけてあげたことがきっかけで、その後、
何度も私の宿舎に来るようになり、食べ物を
あげたり、衣類を上げたりしていた。
それでもリー君は路上生活を「謳歌」していた。
その後、1997年テレビ東京「ドキュメンタリー
人間劇場」で紹介されたように、路上生活の
リー君を何とか「子どもの家」に入れた。
それからが、リー君との長い長い、闘争の歴史でも
あった。

私は子どもたちと付き合うときの鉄則を持っている。
1917年のロシア革命の後、ロシアは荒廃し
都市には、ストリートチルドレンがあふれていた。
マカレンコという教育者が「子どもの家」のような
施設を作り「荒くれた子どもたち」の養育をおこなった。
大学時代「マカレンコ全集」を読んだ。
その中でマコアレンコは「愛と規律」という言葉を
使っていた。

愛情を持ちながらも「いけないことはいけない」との
厳しさを持つことを訴えていた。

(注:1970年代、私は、「マカレンコとスターリン主義」
という文章を同人雑誌に掲載し、マカレンコの
ファシズム的な集団主義教育を厳しく批判した。)

現在の「子どもの家」の子どもたちへの私の姿勢は
子どもたちに心からの愛情を持つことを基本にしながら
同時に「厳しさ」も必要である、と考え実践してきた。

愛情と厳しさの両刀を使いこなす能力が
「子どもの家」関係者には、強く求められている。

午後11時過ぎ終了。


リー君のオートバイに乗せてもらい
宿舎へ帰る。午後11時半。

リー君の人生に幸多からんことを
念じ、宿舎へ入る。

投稿者 koyama : 2013年08月22日 18:43

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