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2013年03月14日

終日、部屋で仕事

午前10時半。30度  湿度90%

昨日、ある問題で日本の支援者と長時間
打ち合わせ。

その後、その問題についてメールを送る。

2月のフエ市人民委員会訪日団引率以来の
フエでの継続的な活動が続き、疲労の最高潮
に達し、体と頭が動かなくなっている。

午前七時、朝食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉と
キャッサバ芋の手打ちうどん)

午前8時過ぎ、税田さんから電話。

昨夕、王宮公園でサッカーをしていたベトナム
事務所員が、滑って転び、頭を打つ。
しばらく気絶状態だったようだ。
その後、日本料理店へ戻るが、途中の
記憶が途絶える症状が出た。
昨夜、バオミンさん・税田さんと
何度か電話で打ち合わせをし、フエの
脳関連では最高の機器を持っている
フエ医科大学付属病院へ行き、診察を受ける
ことにした。
フエ医科大学には、10数年にわたり2000万円
以上の奨学金を寄贈している。
バオミンさんが、奨学金担当の副学長に連絡し、
副学長の案内で、脳外科専門病棟と診療室へ
つれて行ってもらう。ハンさん同行。
診療の結果、「異常ない」とのこと。安心した。
午前10時半、本人からも電話があり、元気な
声で異常がなかったとの報告があった。
滑って転ぶということは、不可抗力の出来事なので
とにかく大事に至らず、元気な声を聞けて良かった。

ベッドに横になり読書。
「現代中国の政治―開発独裁とそのゆくえ」
(唐亮著 岩波新書)読了。

中国人の学者が書いた中国民主化の行方
についての本なので興味があった。
著者は基本的に現中国の一党独裁体制には
批判的であり、いかにして民主化の「軟着陸」
をさせるべきかを研究している。
中国経済の急成長は、同時に一定の
「中間層』を生み出した。また、大学などの
進学率が高まり(現在16%程度)、
国民の中に海外の事情を知る機会も増え
中国の民主化を求める動きは様々な形で
出ているが、共産党政府によるこれも「様々な」
弾圧で1989年の「天安門虐殺」以降の
民主化運動の高揚期を迎えるには至っていない
と論じている。
周新体制が今後どのような政策・方針で臨む
か? 中国国民の格差と共産党指導部・党員
官僚の汚職腐敗は中国以外の社会主義国にも
蔓延している。そうした実態を国民は熟知している。
周新体制は、国民の格差の是正に向けた
「見せかけ」の方針と態度表明をせざるを
得ないと個人的には思っている。

大学のエリート時代は、大学進学率「15%」
を境に「大学の大衆化路線」が進んでいく。
日本も私たち団塊の世代の大学進学率
が15%強の時代。団塊の世代が大学に
入学する頃を契機に大学の大衆化路線が
進んでいく。わが日本は、4年制大学進学率
51%となり、「誰でも大学生」の時代となった。
2分の1+3分の1=5分の2と答える
大学生がいると聞き、驚いたのも昔のこと。
第2次世界大戦が連合国と枢軸国で戦われた
と講演会で話し、枢軸国は「日本とあと2カ国、
どこでしょう」と聞くと、かなりの確率で
「アメリカ」と答える大学生の時代となった。
日独伊3国同盟すら知らない大学生がいることに
以前は、唖然としたが、今は、平然としていられる。
当たり前の現象となったように見えるのだ・・・・・。

今後の中国の動向は世界にも大きな影響を与える。


午前11時半、昼食 大量の生野菜・ご飯・・・・


読書「日本の近現代史をどうみるか
    シリーズ日本の現近代史⑩」
   (岩波新書 岩波新書編集部編)

以下、本書の目次

①幕末、欧米に対し日本の自立はどのように
 守られたか

②なぜ、明治の国家は天皇を必要としたのか
③日清・日露戦争は日本のなにを変えたか
④大正デモクラシーとは、どんなデモクラシー
  だったのか
⑤1930年代の戦争はなにをめぐる闘争だったのか
⑥なぜ開戦を回避できなかったのか
⑦占領政策は日本を変えたのか
⑧なぜ日本は高度成長が出来たのか
⑨歴史はどこへ行くのか
⑩終章 なぜ、近現代日本の通史を学ぶのか

本書の「読み所」は、江戸時代は封建制で
士農工商、徳川幕府は機能麻痺した時代
との学習を私たちはさせられたが、最近の
「江戸学」を読むと、江戸時代は世界一の
安全で識字率の高い、学問の高揚した
時代だったことが分かってきた。
本書も幕末のぺりー来訪で旧来の歴史は
江戸幕府は「タジタジ」で「無能を露呈した」
との歴史的な評価だったが実証的な
研究の結果では、ペリー以上に江戸幕府の
交渉能力と世界情勢把握力が高かったことが
分かったと、具体的な資料を示して証明している。
江戸時代の改めての見直しが必要な時期に
きている。

勤皇の「鞍馬天狗」は善人で、「新撰組の
近藤勇などは頑迷固陋の封建主義者」と
描かれた明治維新の「薩長土肥」史観を
改めて考え直す時期に来ている。

江戸・東京人は戦後まで「薩長土肥」に
対する敵愾心を持っていた。
私の小学校の頃、女の子の「まりつき」の歌は、
長州(山口県)支配に反対した西郷隆盛を
賛美する歌で鞠(まり)やお手玉をしていた。

「いち かけ に かけ さん かけて
しかけて ごかけて 橋をかけ 橋の欄干
手を腰に 遥か彼方を 眺がむれば
17 ・8 の姉さんが、花と線香を手に持って
姉さん 姉さん どこ行くの 
私は九州鹿児島へ 切腹なされた父さんの
お墓参りに参ります。

お墓の前で手を合わせ、南無阿弥陀仏と拝みます
拝んだ後から魂が、ふうわりふわりと「じゃん
けんぽい」

でジャンケンをしていた。
この歌詞を熟読すると明治の西南戦争
で死んだ西郷隆盛を東京人は賛美して
いたことが分かる。裏を返せば、
長州閥の横暴に東京人は腹を立てている
ともいえる歌が、1950年代までは
東京の子どもたちが歌っていたのも
事実である。

日本人からベトナム事務所へ電話。
私の方から日本へ電話をし、話をする。

地球の歩き方スタディーツアーで
ベトナム事務所の「風土・歴史」を講演する。
既に昨年夏から始めているのだが、
講演の原稿をなくしてしまった。
パソコンに入れてあったのだが、先日、
ウインドウズの新しいバージョンを入れた際、
保存が消去されてしまった。

1時間ほど、かけて新しい講演原稿を作り上げる。

午後8時、夕食の代わりに昨日買った
「サッポロビール」を飲む。

仕上げに「福島支援」の気持ちを込めて
福島二本松市の「大七酒造」
「純米大吟醸 大七生翫 箕輪門」
(だいしち きもと)(みのわもん」を試飲。

甘い香りと甘い舌触り。
大七生翫(だいしち きもと)は、
日本一うまい(誰がいったか知らないが)
「梅酒」を作る。結構いい値段だが、
確かに美味しい梅酒。一飲の価値のある
梅酒ではあるが、今夜は、純米大吟醸。
美味しい。

特に純米吟醸酒は、「魚」をおつまみにして
飲むように出来ている。

今日は、「焼きあご」(飛び魚の子ども)と
東京都新島村の「くさや」をおつまみに
日本酒を飲んだ。

安部首相や日本の右翼は単細胞に
「愛国心」の高揚を主張している。

私見では、本当の愛国主義は、
「くさや」で「日本酒」を飲むところから
出発するべきだと思っている。
帝国ホテルで高級ワインを飲むのも
よいが・・・・・・。

美味しい日本酒と魚のつまみは、
最高。日本人であって良かったと思う。
そういう意味では、私は「日本愛国主義者」
である。ベトナムで食べる「くさや」はまた、
乙なものである。

私は東京農大の小泉氏のように「発酵食品」
が大好きだ。

私が「くさや」を好きになったのは、
1980年代の三宅島の大噴火の
支援に三宅島に行った時だ。

朝ごはんの時、半生の「青ムロあじ」の
クサヤを焼き、あったかいご飯に細かくちぎり
乗せ、醤油をかけて食べた味は、今でも
忘れられない。
東京などの都会では、「くさや」を焼くことが
出来なくなった。あまりに「臭い」においが強い
から。しかし、美味しいものはおいしい。
時々、地下鉄都庁前地下の「伊豆七島」の
アンテナショップで「瓶詰め」のクサヤを買う。
クサイ「くさや」万歳。人間くさい人間万歳。

午後8時半、リー君から電話あり。
毎日火炎樹日記を見ているとのこと。
昨日、メールを送ったが返事がないと。

3月17日の夜「飲みましょう」とのこと。
5時半か6時までは仕事なので、その後なら
空いていると話す。リー君が人選と場所を
決めることになる。


投稿者 koyama : 2013年03月14日 12:23

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