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2013年03月06日
ブライセン藤木社長一行案内
終日曇り 寒い
午前5時起床。洗濯
午前7時朝食。チャオ・バンカン
午前8時、藤木社長一行の投宿しているホテルへ。
バオミンさんと合流。
藤木社長とポールトウウイン・ヒットクルーホールディングス
会長・社長一行とブライセンベトナム支社第1事務所参観。
JASSベトナム事務所3階。
ブライセンベトナム支社では、現在23人の若者スタッフが
仕事をしている。スタッフを増員したため、新しい事務所を
作った。JASSベトナム事務所3階と日本語学校2階とに
分散しブライセンの仕事をすすめることとなった。
ブライセンベトナム支社第1事務所を参観。
日本料理店の1室では、澤井先生がブライセンスタッフに
日本語教育を行っていた。澤井先生に感謝。
その後、フエ市越日交流委員会管理の「静岡フエ青年交流
会館2階の「ブライセンベトナム支社第2事務所」を参観。
50人程仕事ができる広い新事務所で新採用のスタッフ
も交えて、仕事をしていた。
ブライセンベトナム支社第2事務所で仕事をしているスタッフに
挨拶する藤木社長
ブライセンと交流会社の社長・会長
ブライセンベトナム支社スタッフ
その後、王宮案内
王宮参観の後は、「子どもの家」視察。
昼食は「チャオ・バイン・カイン」
その後、フエ市最大の市場「ドンバ市場」視察。
この種の市場がいつまで残っているのか?
ドンバ市場を視察し・案内しながらふっと考えてしまった。
フエに住んで20年。ドンバ市場があるのは当たり前と思って
いたが、その「当たり前のもの」が、次ぎから次へと消えていく。
午後6時過ぎ、市内のレストランで「ブライセンベトナム支社員
総決起集会」を行う。23人のベトナム支社員、藤木社長と幹部
社員、同行視察の2人の他社(一部上場)会長、社長、
バオミンさん、私と29人の参加で交流会を行う。
藤木社長の「総決起酒会」の挨拶
藤木社長の「激」に聞き入るブライセンベトナム支社員
や酒会参者
ブライセンベトナム支社には3人の「子どもの家」の
子どもたちも入っている。それぞれのポジションで
頑張り、一人は既に結婚し、お子さんもいる。
今回大量の女子社員を採用した。
大半は、フエ高等師範大学日本語学科の卒業生。
JASSベトナム事務所の日本語教師の皆さんの
教え子。
藤木社長の音頭で乾杯 酒会は本格的に始まる。
酒会は徐々に「シュプレヒコール」に入る。
一人一人が、積極的にベトナムの歌を披露。
携帯にある「歌詞」を見ながらベトナムの歌を歌ってくれる。
JASSが10数年支援し、フエ科学大コンピュータ学科を
卒業し、ブライセンベトナム支社に入社した「ホア君」も
歌を披露。チン・コン・ソンの歌。
「子どもの家」・JASS出身三羽烏(ただし、約1名は雀)
誰一人「恥ずかしがらず、堂々」と歌を披露する「自信満々」
な態度に『感銘』する人も。
午後10時過ぎ、「総決起酒会」終了。
その後、皆さんは、更に第2次総決起酒会へ移行するが、
私は日本滞在の疲れ・フエ帰国後の過剰な仕事で披露困憊。
宿舎へ帰る。
火炎樹日記やメール受信のチェックもできないまま直ぐに
ベッドに横たわる。熟睡。
午後11時頃、枕もとの携帯電話が鳴る。出ると「リー君」
からの電話。
「僕はこれからフエを出て、ラオスに行く。友達に誘われた。
フエは寂しい。友達がいない。一人で寂しい」という趣旨の
ことを繰り返し言う。
私は「事情は分かった。明日、詳しく話をしよう」という。
暫く、「言語不明瞭」なことを言っていたが電話が切れる。
私は本当に疲れ切って「熟睡」していたのだが・・・・。
数分後にまた、リー君から電話。同じようなことを繰り返し言う。
お酒を飲んで酔っぱらっているのは、わかるのだが、更に
何か薬物でも飲んでいるのだろうか? と思われるような
「ろれつ」の回らなさ。私は更に心配になり、「リー君の
言っていることは良くわかる。明日、会って詳しく話そう」という。
しばらく何か言っていたのだが、電話が切れる。
私は再度「深い眠り」にはいろうすると、またまた、リー君から
電話。「僕は寂しい」と繰り返し言う。
暫く話を聞いていたが、電話が切れる。
リー君が自殺でもするのではと、心配になり、午後11時半頃
だったが、「第2次総決起酒会」に参加しているバオミンさんに
電話。事情を話す。バオミンさんが直ぐにリー君に電話を
するが、リー君の携帯電話に挿入されたカードの金額を
オーバーしているようで電話がつながらなかったとのこと。
そうこうしているうちに午前0時を過ぎる。
明日、急いでリー君の消息を調べよう。
投稿者 koyama : 2013年03月06日 12:34