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2013年03月04日

JASSベトナム事務所へ

午前5時半 雨  気温18度 湿度90%。

(乾燥肌で体中が痒かったが、1日でほぼ治る程の高湿度)

午前7時、朝食。料理を作ってくれるセンさんの初日の
第1回目の料理は、決まっている。地元名物「ブンボーフエ」
(米麺の牛肉入り)


午前9時雨の中、傘をさしてベトナム事務所へ。フエで
傘を指している人は外国人。地元の人はぬれたままか、
フエ風「ポンチョ」。

11日間のフエ市人民委員会訪日団の活動の概要を
話す。

昨日、日本から一緒にフエへ来た石井君をベトナム事務所員
に紹介。これから数年間ベトナム事務所にいること、
当面は、ベトナム語の勉強をすることなどを話す。

石井君が自己紹介

「16歳です。青少年教育の会で4回フエに来ています。
 今回で5回目です。長期滞在するのでよろしく」と言った
趣旨の挨拶をする。きちんと挨拶の出来る礼儀正しい
若者と見た。

富岡先生・春口先生・ハン会計部長

後藤先生・今晩は先生・アンフェリシモさん・澤井先生


JASSベトナムの最高責任者バオミンさんも温かい気持ちで
石井君の挨拶を聞いていた。

真ん中税田さん

その後、日本滞在中に支援者からお預かりしたお金を
関係者に直接渡す。


バオミンさん、税田さんと「3月ツアー」受け入れ
日程の調整。3月は、気の遠くなるほどたくさんの
方々を受け入れる。毎日、いくつかの日程が重なる。

3人で各日程の担当者を調整する。




午前11時半、ベトナム事務所を出て、雨の中徒歩で
宿舎へ。

昼食は、「チャオバインカイン」(小麦粉の煮込みうどん)

午後1時から1時間ほど昼寝。
この1ヶ月間の疲労がどっとでた。

うとうとしていると午後3時。

バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

フエ市人民委員会外務部へ。

2月16日から25日までのフエ市人民委員会訪日団
の日本での活動についての総括を行う。


ニエン外務部長・イックホアン副部長(私の教え子)
バオミンさん。

丁度話し合いが始まった時、フエ市共産党委員長の
ユンさんが外務部長室を訪問。

ユンフエ市共産党委員長も入れての総括会議となる。


ユンフエ市共産党委員長からは、JASSのおかげでフエ市と
京都市との「パートナ都市協定締結」が出来た。感謝している
との言葉があった。
そのほか、色々な話があり、今後ともフエ市人民委員会・
フエ市共産党とJASSは一心同体で日越友好のために
活動しようとの話しになった。

更に3月20日午前8時半から開催される
「ブライセンベトナム支社新事務所開所記念式典」
の式次第・出席者などの打ち合わせを行う。

フエ市共産党・フエ市人民委員会から委員長・市長など
主な方々が出席するとの話しになった。


バオミンさんのオートバイでベトナム事務所へ戻る。

日本から持ってきたJASS関連のお金をハンさんに
渡す。

日本料理店の子どもたちを集め、これから石井君が
夕食を日本料理店で食べることを話す。

日本料理店長のトゥオイさんの妊娠の状況を
本人から聞く。妊娠7ヶ月。出産間際まで仕事を
していたい、産後4ヶ月の休暇をとりたいとのこと。
子どもは、女児でうれしい。
旦那は、オートバイ修理の仕事しかしない。
出産や家事は何もしない。
出産は、実家でするとのこと。

妊娠中に問題や困ったことがあったら、
バオミンさんか税田さんに言うようにと念を押した。
丈夫な赤ちゃんが生まれることを祈っている。

税田さんから日本料理店の生ビールが発酵し過ぎている
ようだ。新しいのに換えようと思うとの話しを聞く。
「私が実際に飲んで発酵度合いを調査する」と言い、
「業務上の任務で生ビール」の試飲をする。確かに発酵が
進み過ぎ、すっぱくて美味しくない。
新しい生ビールに換える事にしたようだ。

朝から雨。終日寒い。バオミンさんの話しでは、
私がフエに戻る前までは、青空で暑かったとのこと。
この寒さと雨の原因は何か?

午後7時半、フダビールを飲む。

支援者のKさんから頂いた「焼きあご」をつまみにのむ。

仕上げは、「大吟醸 国香」(国香酒造株式会社・静岡県
袋井市)

国香は「淡白」で「上品な香り」がする。

1ヶ月ちょっとの日本での活動であったが、本当に
疲れた。昨日フエに戻り、精神的に「ほっと」した。

3月は多くのツアーがあり、ブライセンの
新事務所開所式典など諸行事も多い。体調をきちんと
管理し、全ての仕事を成功させたいと「国香」を飲みながら
硬く決意をしたつもりだったが、更に「仕上げの仕上げ」に
まで進みラオス・ラオディーの「ラム酒」をほんの少し飲み
飲酒の諸行事を終了する。

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昨日の成田→フエ間の機中で読書

「昭和のエートス」(内田樹著:文芸春秋)読了。
著者は私より3歳若い。1950年生まれ。
いわゆる「団塊の世代」最後尾についていた世代。
神戸女学院大学文学部名誉教授という肩書き。

その時々に感じた時評のようなエッセイ。興味深く読んだ。
内田樹氏がどのような人間かは全く知らなかったが、
読んでいて95%程度の意見に賛同した。
戦後民主主義教育の一つの知的到達点かもしれない。
一つの意見に必ずしも拘泥せず、出来るだけ客観的な
立場を摂りつつ、「平和」「民主主義」「人権」などについては、
しっかりとした意見を持っている。一読の価値のある書と見たい。

「茜色の空ー哲人政治家・大平正芳の生涯」
(辻井喬著:文芸春秋)を読む。

著者の辻井は西部・セゾングループ代表の堤清二氏。
東大時代は日本共産党員として活動していた。
その著者が保守の自民党の首相の伝記を書くことに
興味を覚え読んでみた。
内容のある本だった。大平正芳首相が選挙中に急死した
出来事は私が大学生の頃だろうか?
テレビのインタヴューでは、「あー、うー」と言って
何を言っているのかわからず、目の細い首相という
イメージがあった。
この伝記を読んでみるとかなり苦労をして一橋大学を
出る。大学時代(戦時中)は、かなり左よりの教授の
薫陶を受け、キリスト教の洗礼を受けている。

本書は戦後の日本政治史の一場面をも語っている。
吉田内閣から自由民主党成立・「55年体制」の確立。
本書を読むと保守であっても知性と良心をもった保守
政治家という人間であったことがわかる。
人間を見る時、その人の思想だけで人間を決め付ける
人がいるが、大間違いだと言うことがわかる。
民主社会は様々な主義主張の人々で成り立ている。
意見や主義主張の違う人を排除しない社会であって欲しい
ものである。大平正芳は、保守ではあるが、民主主義についは
かなり頑固な気持ちを持っていたことが伺える。

投稿者 koyama : 2013年03月04日 10:35

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