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2011年12月15日

ニエン外務部長などと懇談:木村百合子さん裁判勝訴

終日雨  

これで2週間ほど雨が続いている。

午前7時朝食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

雨の中、バオミンさんがオートバイでフエ市人民委員会外務部へ
連れて行ってくれる。

ニエン外務部長とその友人と懇談。様々な問題を話し合う。

今後の一層の協力を約束する。


午前11時半、昼食。
温野菜・魚のフライ・野菜サラダ・肉団子のスープ


午後12時過ぎ。2時間ほど昼寝。体がだるい。

午後7時まで、訪日する「子どもの家」関係者などの書類を
大量に書く。

日本の支援者に長文の文書を書く。

午後6時過ぎ、バオミンさんと仕事の件で電話で打ち合わせ。

静岡市役所と連絡。日本語研修生の件

読書「私にとっての20世紀」(加藤周一著:岩波現代文庫)
非常に興味のある内容。現在の政治的混迷を「現状追随主義」
の日本人と喝破している。


===========

静岡大学学生の頃からJASS会員であり、JASS静岡の会
で活動をしていた静岡県磐田市の教員木村百合子さんの
自殺裁判で、静岡地裁は、木村百合子さんのご両親が
訴えていた「公務災害」を認め、勝訴した。

木村百合子さんは静岡大学学生時代から「子どもの家」へ
何度も来てこどもたちへの支援をしてくれていた。

静岡県磐田市の教員になり、新任教員でありながら
指導が難しい多動性のこどもたちなどの担任となり、
うつ病を発症。校長や教頭、研究主任などに「指導が難しい
助けて欲しい」と何度も訴えたが、校長・教頭は「お前は給料を
もらってるのだろう」などといい、新任の木村百合子先生への
援助を放棄。4月に就職し、9月に車の中でガソリンをかぶり
自死した。両親が校長など管理職が適切な援助をしなかった
ことにより娘は自死したとして、静岡県の公務災害基金に
「公務災害を適用するように」との裁判を起こした。
12月15日、静岡地裁は、木村百合子さんのご両親の訴え
を認め、「公務災害を適用せよ」との判決を出した。

うれしいことである。
私も裁判闘争に参加し、裁判の証人として出廷するための
意見書原案を作成した。

第1 はじめに
1 現在のご職業,活動内容
・ JASSの活動内容
(職業)
    NPO ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)代表
  1993年、東京都公立小学校教諭を退職し、ベトナム社会主義共和国フエへ渡り
  ストリートチルドレンや生活困難なこどもたち、障害児の救済を行っている。
① ストリートチルドレンの家
・この15年間で450人以上の路上のこどもたちや貧しいこどもたちを
 収容し、衣食住、通学を保障。こどもたちは職業訓練などを行い、社会に巣立って行った。
・現在は58人のこどもたちがストリートチルドレンの家で10人のスタッフのお世話で生活し、通学したり職業訓練を受けている。
② 障害児医療センター
  フエ市内に障害児医療センターを設立し、障害児の診断、リハビリ、生活支援などを行っている。また、フエ市内25箇所にある診療所に「障害児父母の会」を設立し、障害児と親・家族の心のケヤー、リハビリ指導などを行っている。
③ 奨学金の贈呈
この10年間で延べ2000人の小中高大学生に奨学金を贈呈している。
生活困難な家庭の師弟に奨学金を支給し、フエ医科大・フエ教育大・フエの
高校、中学校、船上生活者や山岳少数民族の多い小学校に支給。
④ 日本語学校の運営
  フエ市内に日本語学校を設立し、日本人教師を招請し、毎年200人の
  地元の若者に日本語を教えている。また、フエ教育大日本語学科の顧問に就任し、地元の公立小中学校での日本語教員の養成活動も行っている。
⑤ 日本の若者の招請
  現在年間1000人ほどの高校生・大学生が「子どもの家」や私の現地での
ボランティア活動を視察にしている。これらの高校・大学生にベトナムで年
間50回以上の講演会を行っている。


・ 国内外の評価
16年にわたる上記のボランティア活動が評価され多くの賞を受賞している。
以下はその一部。

① ベトナム国内
・2001年 フエ市名誉市民賞受賞
・2004年 フエ省知事特別表彰
・2004年 ベトナム政府より「友好勲章」受章
(外国人に与えられる最高勲章)
② 日本国内
・2001年「2001プロジェクトオブザイヤー賞」受賞(外務省・JICA)
・2002年 東京弁護士会人権賞受賞
・2002年 社会貢献支援財団「社会貢献賞」受賞(日本財団)
・2004年 外務大臣表彰受賞(川口順子大臣)
・2007年 第35回読売医療功労賞受賞(読売新聞社)
       厚生労働大臣賞受賞(柳沢伯夫大臣)
医療功労賞受賞(新聞記事を添付していただけますか?)
 ・その他
   この16年間、ベトナムに8ヶ月、日本に帰り3ヶ月の生活をしている。
    日本へ帰国し、3ヶ月で多い時には100回の講演会を行っている。
   多くは北海道から沖縄までの小中学校、高校、大学である。こうした講演会を
   通して、全国各地のこどもたちの様子を知り、多くの先生方と話を行ってきた。
   現在の日本中の小中高校大学の実態を講演会・懇談などを通して体験している。
     現在、静岡大学非常勤講師、福島大学非常勤講師。ボランティア・NGO、ストリートチルドレン、世界の貧困問題などについて、一時帰国時に教えている。
2 教員としての職歴
  ・1971年3月東京学芸大出身
  ・1971年4月 東京都北区立滝野川第7小学校教諭として勤務
・ 1983年3月まで上記小学校に勤務。小学校1年生から6年生までを担任。
   学年主任、体育主任、視聴覚主任等を歴任。
  ・1988年4月 東京都板橋区立舟渡小学校教諭として勤務。
           学年主任、研究主任、家庭科主任等を歴任
・ 1993年8月 ベトナムのストリートチルドレン支援を決意し上記小学校を
退職(東京都公立学校職員を退職)


4 現在の公立学校の教職員の職場環境に対する意見
・ 精神疾患による休職者が増加の一途をたどっていることへのコメント
既に1980年代から学校に大きな変化が現われてきた。これには様々な原因が考えられる。1985年から1990年にかけての「バブル」がこどもたちの意識と行動に大きな影響を与えた。消費とお金・出世が人生の物差しと考える親とこどもたちが激増した。また、家庭が人間の基礎組織としての機能を失いつつあった。家庭でこどもたちを「しつけ」て成長させるという昔からあった家庭の教育機能の劣化も始まっていた。また、地域社会の教育機能も事実上崩壊していた。
同時に文部省からの管理締め付け方針も一層強化された。
1970年代前半までには、学校の職階は、校長と教諭のみであった。教頭職は出来たが、教諭の仲間ら選ばれ、指導権はなかった。1994年頃の田中首相の主導した「人材確保法」の成立により、学校に校長→教頭→主任→平教諭という職務職階制度が確立し、それまで学校でどの教員も平等に発言し、教育を行っていた現場に大企業の「経営理論」が持ち込まれ、校長からの指示命令で学校が動くような組織の改変が強行された。
 その後、2000年代に入り、「学力低下」問題が遡上にのぼり、学校が予備校張りのテストと点数でこどもたちを評価する体制に一層深まり、多くの教員が学力向上運動に動員され、神経と体力をすり減らへらしている。
同時に学校教育に「新自由主義」路線が導入されだした。それは企業で行われている「成果主義」「結果主義」「数値主義」という方式の人事考査への導入である。
 教職員は、「努力」するだけでは評価されず、常に具体的な見える「成果」を上げなければならず、成果は数字で確認できるものでなければならないという風潮である。数年前に都立のA商業高校へ講演会に行った。以下都立A商業高校の先生の話。
「当校では、教育委員会・校長の指示で年度当初、全ての教職員が年間の目標を数値で出さなければならない。たとえば、簿記3級合格者を50名出すとの目標を設定した場合、校長からは、簿記3級に合格しそうもない生徒は、特訓に入れず、合格しそうな生徒だけに絞って特訓し、数字として結果を出すようにとの指導を受け、
ある教諭は、53歳だが、退職するといっていた。」
こうして現在、全国の多くの教員は、成果主義・結果主義という人事考課システムの中で翻弄され、疲労が極度に蓄積されているというのが実態である。
 更に東京都の石原知事の提唱した卒業式に「国旗」「国家」を掲揚・斉唱しない教員は処分され、今日では、こどもたちまで指導されるという強権的な教育行政が
行われ、全国に普及している。最近では、職員会議での教員の発言そのものを禁止する通達さえ出されている。職員会議は、校長の一方的な伝達機関と化している。
 家庭での教育力が減退し、地域での子育てと教育力もなくなり、
「モンスターペアレンツ」の出現も教員への大きな精神的なストレスとなっている。(注:法外な要求を学校にしてくる親。学芸会で何故うちの子を主役にしない。遠足の写真で何故うちの子を真ん中にしない。から始まり、運動会・卒業式では、行事を妨害してでもわが子のビデオ撮影をする親。給食費を出さず、注意すると義務教育だから無料だといい支払いを拒否する親・・・・・)
 更に最近の学校は本来家庭や地域で教えられていたことや社会の発展で誰かが教えなければならない(交通安全・パソコン・投資教育・環境教育・国際理解教育・・・)多くの分野と領域を「学校が背負う」ようになり、異常な忙しさの中におかれている。
 特に1980年代から顕著になった「学級崩壊」現象は、多くの教員を悩ましている。文部省も言っているように「学級崩壊」は一部の力不足の教員のクラスで起こるものではなく、いつでもどの教諭にも起こる社会現象である。
 学級が崩壊することは、教員としてのプライドとアイデンディティーそのものを
否定されることになる。平たく言えば「無能教諭」という烙印を押されるように本人は思ってしまう。
 以上、最近の学校現場は①文部省などの「学力低下」の掛け声で「学力増進運動」にかりたてられ ②モンスターペアレントの常識外の要求に翻弄され ③今まで学校教育では扱わなかった多くの分野・領域が学校に持ち込まれ、異常な多忙化の中に置かれ、④文部省や教育委員会からの命令・指示などの締め付けと規制が増え、
⑤成果主義・結果主義・数値主義という評価システムに教職員はおかれ、精神的、肉体的な疲労が最高に蓄積する基盤が出来てしまっている。
 こうした中で多く教員は精神疾患になり、一部は退職し、一部は長期療養を
せざるを得ない現実がある。現在大都市を中心に教員のなり手が激減し、東京都教育委員会では大阪・京都にまで出張所を設け、教員採用試験を行っている現状である。教員へのなり手が激減している。

 ・その他


第2 百合子との関係
1 生前の百合子との交流
   木村百合子さんと私の出会いは、百合子さんが静岡大学教育学部学生の時、
   私の活動をテーマにした授業があり、百合子さんは私の存在を知った。
   私の主催している『ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)』静岡支部の代表を務めていたのが、静岡大学教育学部のA教授だった。百合子さんはA教授にJASS静岡支部への入会を相談し、会員となった。その後、JASS静岡支部主催のバザー、
ストリートチルドレンの勉強会などに積極的に参加するようになった。
百合子さんが大学2年生の頃、JASS静岡支部主催のベトナムスタディーツアーが
企画され、百合子さんそのスタディーツアーの世話役となり、中学生や高校生などを連れて私の主催するベトナムフエ市にあるストリートチルドレン保護施設「子どもの家」を訪問した。その後、百合子さんは夏休みなどを利用して、「子どもの家」に来て、路上生活をしていたストリートチルドレンへの「心のケヤー」などを行ってくれていた。
静岡県磐田市の教員になってからも私が静岡市で行う講演会に参加し、JASS静岡支部の活動に参加してくれていた。
 百合子さんが亡くなる少し前、2004年7月9日に私は静岡市内で講演会を行い、その後市内の割烹料理店で関係者の反省会を行ったが、百合子さんはわざわざ磐田市から静岡市まで出てきて反省会に参加。私が「学校はどうですか?」と聞くと「大変ですが、頑張っています」と言っていたが、「激やせ」しているのに私は驚いてしまった。何か学校であったのではと思った。


2 百合子の死を知った経緯
百合子さんが亡くなる少し前の9月になって、百合子さんからベトナムの私にメールが届いた。
内容は「JASSがフエで運営している日本語学校は、誰でも教師になれるんですか?」とのことだった。私は、4月に教員になったばかりの百合子さんがどうして半年もしないうちに「私が校長をしているフエの日本語学校の教員募集」について、問い合わせをするのか不思議に思った。私は学校で何か問題があり、学校を辞めたいとの気持ちがあるのではなないかと察し、JASS静岡支部の関係者にその旨連絡をした。静岡市内に住むJASS関係者が木村百合子さんに問い合わせたところ「疲れているが」との返事だった。更に百合子さんと話し合いをする予定だったが、その前に百合子さんは亡くなってしまった。

その後、JASS静岡支部の事務局長からメールが入り、木村百合子さんが亡くなったとの情報をベトナムで聞いた。
私は11月に日本へ一時帰国。磐田市の木村百合子さんのお宅へお線香を上げに行き、
ご両親が木村百合子さんの自死・憤死の無念さを涙ながらに語り、百合子さんの日記や
「週案簿」、その他の資料を見せてくれた。内容を熟読して私は驚いた。
今日の学校現場でこんな異常なことが起こっていることへの怒りである。それは、管理職などの怠慢と『いじめ』とも言える所業、また、百合子さんのクラスが明らかに多動性の児童によってかき回され、更にそれに同調する児童たちによって「学級崩壊」といえる状態にあったことである。これに対する管理職の「無能」ともいえる対応に驚いたのであった。百合子さんの残した日記や週案簿などを読むと、百合子さんの自死は形の上では自殺でも実質的には「死に追い込まれた」自死と直感した。
少しでも学校現場にいた人間であるなら、百合子さんの日記や週案簿などを見て
そこにかかれている「悲痛な叫び」「助けと応援を求めている訴え」の声に
心が張り裂ける程の悲しみと、職場の管理職などが、何故救いの手を差し伸べなかったのかとの怒りを感じる。
敬虔なクリスチャンである百合子さんは、信仰上の教義からしても「自死」はしない。もし、「自死」をしたとしたら、よほど追い込まれたのだと確信した次第である。
私の心の中に「世の中にこんな理不尽なことがあって良いのか」との気持ちが起こった。


第3 本件の問題点及び意見~記録を踏まえて~
1 4年2組の混乱の程度についての意見
・ 「学級がうまく機能しない状況」(子どもたちが教室内で勝手な行動をして教師の指導に従わず,授業が成立しないなど,集団教育という学校の機能が成立しない学級の状態が一定期間継続し,学級担任による通常の手法では問題解決ができない状態に立ち至っている場合)という文科省の定義に照らして,4年2組の状況はどうだといえるか?

木村百合子さんの担任学級の場合、一般的な教員の感覚からすれば明らかに「学級崩壊」と断言できる。
最大の理由は、教師の指導が個々のこどもたちに貫徹していないこと、学級集団の秩序が保てていないこと、そして、正常な授業が成立していないこと。
年度当初、学習指導要領に準拠し年度の授業計画(カリキュラム)を立てる。それに従った授業割り振りを授業計画に従って毎週「週案」という1週間の授業計画を立てる。時々は計画通りに行かないこともあるが、一般的にはおおよそ「週案」の計画に従って1週間、1ヶ月、1学期、そして年間の授業が行われる。
木村百合子さん学級の場合は、こうした授業を進めることが困難であると推定できる。

・ 一般的に,「学級がうまく機能しない状況」はどのように生じうるか
① クラスに何人かの「家庭の事情・問題を持った児童」がいる場合。
  この場合には、家庭での躾、養育・教育が真っ当に行われず、家族が極端に甘やかした場合、逆に極端に厳しくした場合、暴力、育児放棄などの親からの虐待などを受けた経験のある場合、両親が離婚問題でもめていて、毎日子どもの前で夫婦喧嘩を繰り返している家庭の師弟などがいる場合等々、子どもたちの心の中にストレスが鬱積している場合。そうした場合、おおおにして、子どもたちは、若い先生や女性など「優しそう」な先生と思える教師に「自分勝手な行動」をして自分を主張し、ストレスを晴らす場合が多い。こどもたちは心の中に鬱屈した不満とエネルギーを秘めている。そうした不満をやさしそうな教師にぶつけてくる。
そうした一部の行動にクラスの一部のこどもたちが追随し、最終的にはクラス全体に教師の指導が貫徹できなくなる場合である。

② 特に家庭での躾や養育に著しい問題がない場合
  現在の社会全体が「利己的」「自分中心」的な傾向を持っている。父親は会社の仕事で忙しく、母親もパートや母親同士の付き合いなどで家庭を十分に振り向かない傾向が一般的にある。こどもたちは、今まで社会の常識と考えられていた行動様式を教えられていない。入学式の初日の授業で机の上を渡り歩く子ども、それを後ろで見ている母親がこどもを全く注意もしないという現象は各所で見られる。
こどもたちが特におかしいのでなく、親の一般的な躾・養育能力の低下が原因で
こどもたち自身の行動と思考が劣化している傾向がある。一般的に社会規範が低下していることは否めない。
 こうした傾向は全国の多くの学校にみられる。従って、学級崩壊は都会だけでなく、漁村・農村・離島・山間壁地など全国どこの学校・学級でも見られる現象である。これらのこどもたちが「学級崩壊」をその周辺から支えるこどもたちである。
中心となり「騒ぐこども」が出てくると同調する傾向がある。

③ 多動性の性向を強く持った子ども、知能に多少の低さが見られるこども、
  重度の精神疾患の子どもなどがいる場合。これらのこどもたちの中には、
  授業中、一貫して「奇声を発する」「動き回る」ということがある。これは
  本人の意図するところではない場合がある。何らかの知的障害などがその原因と考えられる。同時にこれらのこどもたちが、授業時間中「奇声を発し」「動き回って」いると、クラス全体がざわざわとし、落ち着きのないクラスの雰囲気が出来上がってしまう。授業は、落ち着いて物事を考えるクラス環境が整わないとなかなか成立が難しい。学年の当初は、奇声を発し、動き回る子どもがいても、他の子どもは、無視をして授業に専念しようとする傾向もあるが、一般的には、2週間ほどそうした状況が続くと、少しずつ他の子どもたちも追随し、最終的には正常な学級としての活動が阻害される状況に至ってしまう。
  
・ 「学級がうまく機能しない状況」に陥った場合の担任教諭の負担について
① 小学校は明治以来一般的には「個人担任」制度を採っている。
この制度の良いところは、力量のある教員の場合には、教師と児童が一体となって素晴らしい成果を上げることが出来ることである。戦後の「やまびこ学級」などのような事例。
 同時に教師の経験や力量などが低い場合には教育の成果もあまりあがらない傾向がでてしまう。
 小学校の担任制度は、教室の入り口に「小山学級」などとかかれるいることに象徴されるように、個人請負制のように、至って個人の能力と力量が試される場所でもあるのだ。
 個人担任制を取っている小学校では授業だけでなく、給食、掃除当番、
班グループ活動、学級図書、係り活動など多くのいわゆる「教科授業」以外の
教育がある。更に運動会、学芸会、水泳記録会、展覧会、遠足などの諸行事もある。クラスがうまくいかないと、「担任の力量がない」と言われる風潮は昔から小学校現場には根強い。クラスが学級崩壊したり「うまく機能しない場合」学級担任はどうしても「自分の能力、力のなさ」を責める傾向がある。
こうした状態に陥った担任教師の場合、多くの教員は何らかの形で精神的な強い負担、ストレスを感じることは事実である。これは給料の問題ではなく、自分という人間を否定されているものと感じ、自分自身の人生そのものを左右するほど大きな問題と自覚してしまうことが多い。つまり教員としての「アイデンティティー」を失うことを意味するほど、教員人生にとって重大な出来事となってしまう。精神疾患で休職する教師の多くは40代以上のベテラン教師である。学級崩壊はいつでも誰でも起こる可能性を持っている現状であることが分かる。

(資料)精神疾患の休職教員、過去最多の4995人 
     (サンケイ新聞 2008年12月25日)
 鬱(うつ)病などの精神疾患で平成19年度に休職した全国の公立学校の教員は、前年度より320人増の4995人にのぼり、15年連続で過去最多を更新したことが25日、文部科学省のまとめでわかった。文科省では「子供や保護者との人間関係で自信を失い、ストレスをため込んでいる」と分析している。(途中略)
  19年度1年間で病気休職した教員は、全教員の0・88%の8069人。このうち、鬱病やパニック障害、統合失調症といった精神疾患を理由に休職した教員が、病気休職者全体で占める割合は61・9%と前年に引き続き6割を超えた。 精神疾患による休職者の内訳は、小学校教員が2118人(42・4%)、中学校で1516人(30・4%)と全体を7割を超えた。年代別では、40代1872人(37・5%)、50代以上1756人(35・2%)-と中高年の教員に多くみられた。

1980年代には、学級崩壊や「クラスがうまく機能しない場合」に陥った場合「自分だけで背負い込み、他のクラス担任や学年主任、校長などの管理職」にも相談せずに秘匿し、悩んでいるケースが続出した。当時の文部省や教育委員会は、学級崩壊的な傾向は「どこでも、誰にも起こること」という趣旨の指導を行い、クラスがうまく機能しなくなった場合には、校長や同僚教員、先輩などに相談し、クラスの現状をオープン化し、学校全体で解決するよう呼びかけている。
   
・ それが新採教諭であった場合の負担について
初めに私的なことで恐縮ではあるが、私が東京駒込の小学校へ新任教師として赴任した際、多くの年配の先生たちは「小山さん、本当の教師になるためには、10年かかる。それまでは、様々なこどもたちとの触れ合いの経験を積み、こどもたちの心の掴み方の要領を会得し、こどもたちの興味をひきつける授業の工夫をするなど勉強と成功と失敗の体験、経験が必要だ。私たち先輩が応援するから頑張りなさい」と言われたことが今でも鮮烈に思い出される。1070年代までは、学校全体が若い教師を「育てよう」という風潮があった。教師は一種のプロの「職人」という考え方が、小学校現場の底流には流れていた。
実際、新任教師はこれら一つ一つの体験を積んではじめて「教師」となるのであるが、現実には、新任教員は大学3年生と4年生で短期間の「教育実習」をする程度で、本格的な学級担任の経験がほとんどないまま教育現場に出ることが多い。小学校の担任は広範な教育分野を一人でこなし、それ以外の様々な仕事にも追われとにかく忙しい。
そうした中で学級崩壊や「クラスがうまく機能しない」クラスの問題が起こった場合、
経験不足のため、その対処の仕方が分からないのが通例である。
そのため時には、パニックに陥ったり、こどもたちを感情的に怒ったり、甘やかしすぎたりと試行錯誤をするのは、未経験なためにおこる当然の行動である。自分としては、様々な努力をしても効果が出ない場合、通常の学校では、校長なり副校長、教頭なりが学級に朝から放課後まで付きっ切りで張り付き、こどもたちの様子を観察し、時には、暴走するこどもたちに校長や副校長、教頭などの「威厳」でこどもたちの暴走を抑えるつけたりし、
クラスの秩序回復の努力をしている。
万一、そうした先輩や管理職などの支援がない場合、孤立無援となり万策尽きて精神的に
強度のストレスが溜まることは容易に推定できる。新任教師が学級崩壊等の現実に直面した場合、想像以上のストレスと「自己否定」「自己喪失」「自己自信の崩壊」へ通じていく。
 ・その他

2 児童Nの指導の困難さの程度についての意見
・ Nの多動性についての意見
私の個人的な見解ではN君は「AD/HD」の特徴的な症状を持っているように思われる。①不注意(集中できない・・)②他動性(落ちついていられない)③衝動性 これらの状況から見て、N君が「AD/HD」かそれにかなり近い特徴の児童であると思われる。
 百合子さんの観察記録を具体的に見ると、集中できない事例や動き回ったり、落ち着かず、衝動的に発言や行動を行っている。
   「第2準備書面」34ページから34ページ上段までに詳述されている具体的な行動事例君のAD/HDが強く疑われる。複数の医師の診断(診断基準としては、WHO(世界保健機関)の国際疾病分類である「ICD-10」と、米国精神医学会の「DSM-IV」の2つがあり、これらを基準にした専門医師の診断が必要)並びに専門家のサポート、
   AD・HDなどの児童を専門に担当する教師がいる。
   こうした教師の経験と専門知識も生かしながらのN君への指導が必要だった。
   旧「障害児学級」や「学校」などの教師はその経験と知識を一定程度もっている。
   N君も教育を受ける権利を有する。従って、AD/HDかそれにかなり近いと思われる「不注意・他動性・衝動性」に強い子どもの教育を新任教師が受け持つことは、
   一般的な小学校現場ではありえないことである。少なくとも経験豊富な教師か
   N君を担任した教師など、N君の特性を熟知している教師の指導と担任が必要と思
われる。

・ Nのような児童が一人でもいることによる学級担任,とりわけ新採で学級担任になっ た場合の負担について
AD・HDやその境界線上にいる児童、あるいはそれに近いと思われる児童が何故そうした行動を起こすのかなど現在でも医学的に様々な論争もあり、医学的にその原因と指導法が確立しているとも言えない現状がある。現場のベテラン教師ですらAD・HDやそれに近い児童への知識と対処方法を熟知していない。旧障害児学級・学校などの教師が現実の児童・生徒への対応の必要性からその対策と教育方法が進みだしているのが現状である。そんな中で新任教師はなお更、指導は難しく、N君一人だけでも手に余る状況であることは、容易に想像できる。新任教師はやることなすことが全てはじめての経験に近い。通常の教育業務を遂行するだけでも相当の困難と心労が溜まるものである。ましてやN君が1人いることで、何十倍もの心理的・物理的・肉体的な負担がかかり、その上、クラスの正常な授業を妨げる諸行動があり、その対処に孤軍奮闘している新任教師の心の中を考えると「やるせない」気持ちになり、百合子先生をこうした中に放置していた教育委員会や管理職等など雇用者の無責任さへの怒りさえ感じてくる。
  
 
・ Nのような児童は他のクラスにもいる(言外に,この程度の児童は他の教諭であれば指導可能だという発想)という,基金(学校)側の弁解について

   多少、落ち着きのない児童、手のかかる児童がいるが、N君のような児童は一般的にはクラスにいない。「第2準備書面」34ページから34ページ上段にあるような具体的行動を見ると、他のクラスにはいないか、いた場合には、教育委員会や学校が特別の支援体制を組んでいるはずである。
 ・その他


3 管理職の管理能力の問題
・ 「学級がうまく機能しない状況」に陥った場合に,通常,管理職がとるべき対応について
学校教育法37条4項で「校長は公務をつかさどり、所属職員を監督する」義務を負っている。
 百合子さんは、週案簿にN君や学級の状態を克明に記述している。週案簿は校長が読み、確認印を押しているものである。当然、校長は4年2組の百合子学級が
学級崩壊かそれに近い状態に陥っている実態を認識していた。「第2準備書面34ページから36ページにかけての具体的な4年2組の実態」を知れば、文部省や各都道府県などからの指導にある「学級崩壊」あるいはほぼそれに近い学級状態にあることは、教育関係者であれは誰でも客観的に理解でできる状況であった。

 通常、こうした場合には、校長のイニシアティブで教頭・生活指導主任・学年主任、百合子先生も含めて「対策会議」が開かれ職員会議での討議の対象となる。それ以前に「学年会」等での論議が行われ、学年主任から校長などへの報告相談が行われる。管理職等が百合子先生から事情を聴取し、学級の実態と問題点を関係者が「共有」することが第一である。
 続いて、当面の対応、抜本的な解決策などを考えるのが普通である。
当面の対応については、担任を持っていない教頭・鈴木教諭等が「張り付く」ことは百合子さんが亡くなった2004年当時の教育の世界では「常識」の部類に入ることである。張り付くという意味は、ほぼ終日クラスにつき、問題行動を起こす児童への指導助言等を行い、教室に秩序を確立する手助けをする仕事である。
また、場合によっては、父母の参観を呼びかけ、毎日交代で数名のクラスの父母が学級を見ているという形で学級崩壊へ傾斜するこどもたちに父母の暗黙の力で一部のこどもたちの「挑発に乗らない」よう監視活動も2000年代では一般に各学校で行われていた。
 抜本的な対策としては、教育委員会からN君担当のスタッフを派遣してもらうこと、N君の診断を促進し、障害児学級などへの専門の学校への転入をすすめることなど、N君の発達と成長・人権を守る立場での抜本対策を協議するのが普通である。

★ 私的なことではあるが、私・妻・妻の姉、私の妹、妹の夫と私の親族は5人が
小学校の教員をしていたり、長年教員を送り定年退職したりしている。これら5人はこの種の経験をたくさんもっているが、百合子さんのようなクラスが自分の学校で発生すれば、直ぐにこどもたちの噂や話で分かる。当然ながら、上記のように校長が主導し、関係者による「対策会議」を作り、対策を立て、問題を出来るだけ減少させる措置をとっているという点では意見は同じである。
★ 私は年間3ヶ月ほど日本に帰国し全国の学校での講演会をしている。
 2009年2月にある小学校6年生の学年に講演会を頼まれていった。
 4クラス150人ほどの学年だった。事前に学校側からは、6年1組が「学級崩壊」状態だが、卒業の最後に「人間の生き方・進路」についてこどもたちへの教育をしたいので、是非、学校で私のベトナムでの経験を話してほしいと言われ講演を受けた。
 当日、学校へつき、大きな教室へ行った。2組3組4組のこどもたちは静かに
座って私の話を聞く態勢に入っていた。しかし、6年1組は立ち歩き、半数はすわり、半数は動き回っていた。
 後に校長先生に話を伺ったら、担任の教師は40歳代の女性教師。2名ほどの児童が「他動性・衝動性・落ち着きがなく」、授業中フラフラ教室を徘徊し、教師がいくら注意してもいうことを聞かず、却って「口応え」し、先生をおちゃらかし、授業妨害を専らしていた。そのうち、その周辺の児童も同調し、ついには、授業が全く成立しない状況になってしまった。
 校長先生が主導し、副校長、学年教師全員、図工・音楽・養護教諭など専科教員等で話し合いを持ったり、職員会議で話し合ったり、保護者会を開き、親に実情を伝え、保護者の協力(親が交代で学級補助)をする体制などを作ったそうだ。
また、色々な先生が授業に入りこどもたちへの指導をし、副校長がが副担任となり、
常時張り付いていたそうだ。区に依頼し、スクールカウンセラーに来てもらい、学級崩壊対策への意見を聞いたり、
40人のクラスを3つに分け、それぞれに一人の教員を貼り付けるという対策を採っていた。副校長、理科専科が1日中張り付いていた。
 講演会は定刻30分遅れて開始された。60分の講演会の予定だったが、6年1組が静かににならないため、30分待たされた格好になった。それでも定刻より30分遅れて6年1組は3人の先生の奮闘で静かに座り私の講演となった。数分話をするとと問題の中心的男児二人が立ち歩き始めた。直ぐに副校長など貼り付けの先生二人が、二人の男児を制し、座らせた。私はこどもたちが飽きてきてはいけないと思い、ストリートチルドレンのビデオを5分ほど上映した。6年1組も静かに見ていた。また私の話になると数人の男児が後ろを向いたり、声を出して話し出した。そのたびに、各グループ担当の副校長や理科専科、クラス担任が男児のところへ急いで行き、注意をしていた。
こうして、60分の予定の講演会は6年1組が着席しないために30分遅れての講演会とはなったが、講演会は短時間だが出来た。2組から4組のこどもたちも6年1組の4人の先生が奮闘している状況を見て、私の講演会に協力してくれた。
 6年1組の学級崩壊の実態の一部を講演会という形で垣間見た私だが、それでも
学校が校長以下、一致協力してこどもたちに対処している事実に対して、多くの児童は安心感をもち、けして一部の男児の行動に共感をもたない雰囲気と空気が講演会を通して感じられた。
 学級崩壊を阻止することは難しいことではあるが、その後の対策で「学級崩壊」から、限りなく普通のクラスへ近づける努力をすることは出来るし、この小学校のように管理職を中心に学校全体で「学級崩壊」クラスの実態を共有し、対策を組み、対応すれば出来ることであることを、体験した。
  

・ 本件で,管理職,同僚教諭らがとるべきだったフォローとは?

① クラス編成上の重大なミス
  通常、クラス編成をする場合、次年度の担任がおよそ分かった時点で行う。
  その場合、新任教諭が就任する場合には、どこの学校でも「特別の配慮」を行っている。当然ながら新任教員は学校現場そのものに未熟であり、これから種々経験をし成長を期待される存在であるからだ。一般的には、学年全員の教師でクラス編成案を作り、最終的には校長は校長が承認する。その際、
「問題行動を起こしやすい児童」「家庭に問題のある児童」「障害か病気にかかている児童」「学力が著しく低い児童―特別の指導が必要な児童」・・・をピックアップし、
次年度の担任の特性と能力等を勘案し、クラス編成を行っている。
本件の場合、元担任の鈴木教諭は児童Nの問題行動を知っていたはずである。
児童Nの行動は、4年2組になってから急に粗暴になり、いうことをきかなくなったとは思われず、前担任の鈴木教諭の時代にもその「萌芽」は必ずあったはずである。真っ当な教師ならそうした「萌芽」を持ったか、あるいは既に鈴木学級時代に問題を起こしていた可能性も推定できる児童Nを新任教諭のクラスにいれるということは一般の学校ではありえないことである。
まず、手のかかる「大変な児童」をベテラン教諭が引き受け、新任教諭のクラスには、できるだけやりやすい児童を配置するのが一般的である。
 私も1991年、5年生を担任したが、二クラスのうち一クラスが、人事異動の関係でどうしても新任の女性教師になった。4年の学年末に4年の同僚教諭と何度も話し合いをし、学年で手の焼ける問題行動の児童5人を全て私のクラスで引き受け、新任女性教諭のクラスはできるだけ指導しやすい児童を配置した経験がある。5年生・6年生と2年間5人の問題行続発のこどもたち(N君と似ている男児・父子家庭で家庭のしつけができずいつも暴力を振るう男児・兄が中学生で地元の不良グループに所属しその影響を受けている男児・授業中立ち歩き、授業を妨害する男児)と悪戦苦闘したが、新任の先生と何とか卒業式を迎えることができた。
 4年2組の学級編成にあたり、前任のS教師を中心に3年生の担任教師集団の無責任さが指弾されても仕方がない状況である。4年2組のクラス編成は通常の学校のクラス編成とは異質と思える。
非常に機械的な学級編成を行っていると思われる。

② 学年会がどう行われたのかが大きな問題
学校には校長の指名で学年主任がいる。通常、学年会を行っている。4クラスある学年では4クラスの担任が集まり、学年の行事、集会等々の打ち合わせを行う。通常、学年会では、クラスのこどもたちの問題点などを出し合い、先輩教諭が自分の経験を話したりし、お互いの経験を教えあったりしている。
4年の学年の先生方は、当然、4年2組に「大きな問題があること」は、たとえ、百合子先生の口から出なかったとしても、こどもたちからの報告等で知りうる状況にあった。
学年主任や同僚教諭は新任の百合子先生にクラスの実情を話すそう督促し、学年全体で4年2組の教育を進める体勢を作るのが一般的な学校での実情である。
百合子先生の勤務する学校では学年会が機能していないように思われる。学年でのフォーロー体制が極端に弱いか、皆無に等しいように思われる。

③ 学年主任、教務主任、生活指導主任等が4年2組の問題点の深刻さを理解していないか無視しているか、いずれにしても4年2組の学級崩壊かそれに近い深刻な実態に目をそむけている実態があった。
   一般的な学校では、こうしたクラスが学校に出現した場合には、それを知った担当教員(学年主任、生活指導主任・教務主任・・・)が、校長や副校長・教頭などに報告し、
緊急にしかるべき方策を採るよう進言している。学年主任、生活指導主任・教務主任・研修主任などは主任としての手当てを受領し、こうした問題に対する一定の解決義務を負っている。
この学校では、最終責任者である校長の問題以前に、中間にいる各分野の責任者全てが責任の自覚がなく、校長に意見を具申せず、校長と一体となって対策を講ずるという姿勢になかった。4年2組担任任せとなっていた。

④ 最終的には学校教育法37条4項で「校長は公務をつかさどり、所属職員を監督する」義務を負っている。校長や副校長などが、4年2組担任からの「危険信号」(週案簿等)を受けていたことは事実であり、学級崩壊、あるいはそれに近似してる状態に4年2組があったことは認識していたはずである。もし、4年2組の学級状態を校長が学級崩壊かそれに近い状態と認識していないとすれば、文部科学省・各都道府県教育委員会、磐田市教育委員会等からの指導文書を読んでおらず、県教委・市教委主催の各種会議の内容を理解していないか理解する能力がないことを意味している。
   いずれにしても、本来管理職の採るべき方策は、対策会議を開き、緊急対応策として、4年2組に「貼り付け教員」を配置すること、担任の木村百合子先生の心のケヤー
、父母等への告知と父母の力も借りて、一刻も早く4年2組の学級秩序の回復のための
万全の努力をする義務を負っていたことは事実である。しかし、校長はそうした義務があることの自覚もなかったかに思われ、これといった真っ当な対策すら立てずに、木村百合子さんの自死に至るまで4年2組を放置したといわれても仕方がないように思われる。

・ 「4年2組の動静については,全職員で見守った」「度々フォローに入った」「なるべく4年2組の前を通るようにした」との基金(学校))側の弁解について

4年2組の状態は、ただ単に「見守る」「クラスの前を通る」などで解決する状態ではなかった。基金側の主張であれば、4年2組は学級崩壊かそれに近似した状態ではなかったとの認識に立っていることになり、当時の文部科学省・各都道府県教委の指示・見解にも
反する誤った認識であるといわざるを得ない。
基金側が4年2組の現状認識に対して誤った理解をもって認定処分を行ったことは重大な誤りである。
2004年当時の全国的・一般的傾向は、学級がこの種の状況に立ち至ったら、直ちに
「貼り付け教諭」(副校長・教頭等を常時クラスへの貼り付ける)の措置を採ること、担任の心のケヤーをすること、父母の学級の実態を率直に知らせ、父母の力も借りて、学級の建て直しに入ることであった。
結果的には、管理職側はこれといった効果のある対策を何も採らずに4年2組を放置したことになり、校長・副校長等は、地方公務員法29条2項違反、同、30条違反の恐れもある。
・ 百合子の健康状態の把握,措置に関する学校側の対応の不充分さについて 
① 学年主任の怠慢
  学校教育法施行規則44条5項で学年主任は「校長の監督を受け、当該学年の教育活動に関する事項について連絡調整及び指導、助言に当たる。」と明記されている。
4年学年主任は、4年2組での問題について、連絡調整および指導・助言の任にあった。当然、学年主任は百合子先生の問題と苦しみを日々直近でにいて認識していたはずである。
学級崩壊あるいはそれに近似じた状態に学級が陥り、苦悩している百合子先生に対して、
精神的なケヤーや通院などの助言をする法制上の義務があったが履行していなかった。
本来は親身になって新任教員で悪戦苦闘している百合子先生へのバックアップをする立場にあり、百合子先生の日常生活を観察していれば、通院など精神的な面でのケヤーの助言をすべきであった。また、百合子の家庭とも連絡を取り合い、家庭でどんな状況かを知ることも必要事項であったように思われる。
校長等管理職は、百合子先生が 市か県の教職員健康相談所(?)へ行き、精神的なうつ状態を訴えたことを知っていたはずである。
その時点で、管理職としての職務上の義務としても一同僚として、新任の百合子先生の精神的苦悩と苦しみを解決する何らかの方策を採る法制上の義務と人間的な倫理上の
義務があったが、何ら措置を講じなかったことは、職務怠慢、人間としての倫理観の
喪失ともいえる。つまり、百合子先生が「健康相談所」に行ったという時点
で問題の重要性を把握できなかった管理職に重大な落ち度があった。
 健康相談所へ百合子先生が行ったという時点で、4年2組問題が悩んでいることは分かったはずであり、何らかの4年2組への対応をすべきだあった。管理職が
通院に近い状態に百合子先生が陥った時に適切な対応をとっていれば、百合子先生の
自死は防げてかもしれない。

③通常、新任教員が学級崩壊や近似した状態に陥り、苦悩し、健康相談所まで行っている事態に陥った時には、学校中の同僚の先生が「何とかしなければ」との気持ちになる。百合子先生の学校にそうした動きがなかったことは、学校としていう組織体としての正常な機能を欠いた学校運営が行われていたことが推察される。
 ・その他

4 クラス編成の問題
・ 本件で,管理職,同僚教諭らがとるべきだったフォローとは?
⑤ クラス編成上の重大なミスで詳述。

5 パワハラ(という表現が適切か否かも含めてご意見を)
(1)研修主任(Nの前担任)によるパワハラ
 ・教室内から廊下に呼び出して,「アルバイトじゃないんだぞ,しっかり働け」との叱責したことの問題点

  パワハラに該当すると思う。百合子先生に対して研修主任は指導助言権をもっている。
同時に「指揮命令監督権」は有さない。
静岡県教育委員会の規定では「研修主任」は手当て主任となっており、法制上指導助言権を有している。

 一般的な小学校現場で校長であろうと教育長であろうと、この種の言葉を吐くことは明らかに「人権侵害」に当たることは明らかである。研修主任に「指導助言権」があった上で「給料もらっているんだろう、アルバイトじゃないんだぞ,しっかり働け」などという暴言は、明らかに「パワハラ」といえる。指導助言とは相容れない暴言である。指導助言権を有している研修主任による、指導助言権を濫用しての百合子先生に対する精神的な虐待と言える。この場合は明らかに「指導助言権」というパワーを使ってのハラスメントである。
指導助言をする場合であれば、こどもたちのいない場所で、百合子先生の心が休まる雰囲気の中で、どのようにクラスを立て直すのか、N君に対してどのように接するべきか、研修主任は前担任でN君の実態に詳しい人間であり、研修主任として学校全体の研修を統括している訳であるから、教育学的・臨床的・学問的・経験的な立場からの科学的な助言をしなければならない。
しかも事実上、4年2組のこどもたちに聞こえるような廊下での発言は絶対にしてはならないことである。既に男児Nを始めこどもたちが百合子先生の指示に従わず、学級崩壊かそれに近似している状態になっている時に、研修主任がこどもたちにも聞こえるような廊下で「給料もらっているんだろう、アルバイトじゃないんだぞ,しっかり働け」などといってしまっては、Nを中心にした学級崩壊か近似状態にあるクラスの「崩壊現象」に更に「火を注ぐような」ものである。これは指導でも助言でも同僚としての忠告でもなく、百合子先生への侮辱と人権侵害、パワハラそのものである。百合子先生自死の遠因になったと推測してもおかしくない。

・ 「お前の授業が悪いから,Nが荒れる」との発言(ただし,この発言をしたこと自体,研修主任は否定している。)の問題点
研修主任に指導助言権があったとしても、「お前の授業が悪いから,Nが荒れる」という発言は、私の教員暦の中で一度もきいたことのない、粗野なやくざと同じような暴言である。授業が良いか悪いかは、誰が決めるものなのか?
いち研修主任(職階は百合子先生と同様の教諭である)が、一方的にいち教員に向かって「お前の授業が悪い」と決め付けることはできない。
教育界には、各種の研究会があり、学校は地区、市・県、全国レベルで「公開授業」を行っている。公開授業では、その先生の授業についての「賛否両論」が出され、
学問としての教育が科学的に検証されていく。そこには、多くの批判と検討という過程があってはじめて「良い授業」とか「悪い授業」とかの評価が出てくるのである。そこから導き出された成果は多くの教員の参考となる。これほど、教育というものの評価は難しいものである。いち小学校の研修主任なる教諭が百合子先生の授業そのものを「総体として、悪い授業」と否定することは許されるものではない。
これも明らかに人権侵害であり、研修主任の権限外の暴言としか言えない。
 もし、授業が悪いというのであれば、授業のどこがどのように悪いのか?
 必要ならば研修主任が「見本の授業」をして見せてやるのが、教育界の慣わしである。全国の多くの学校で校内研究授業を行っている。同僚が授業を行い、学校の全教師がその授業を見て、授業後「合評会」を行う。そうして、お互いの教育への技量を高めていくのが、学校現場の現実である。もし、研修主任が本当の意味で研修主任であるのなら、科学的に百合子先生の授業の問題点、改善点を指摘し、百合子先生の力量の範囲内で適用できる指導や助言、同僚としてのアドバイスをすべきである。
教師に「お前の授業が悪い」といわれるのは、「死んでしまえ」といわれる位
精神的な打撃を受けるものである。
 ・その他
(2)教頭によるパワハラ
 ・9月,Nと他の児童がチャンバラごっこをしていて,相手の児童の差し歯が欠けたとき,「同じ教室にいて何をみていたんだ,お前は問題ばっかり起こしやがって」と叱責したことの問題点

 教頭の「同じ教室にいて何をみていたんだ,お前は問題ばっかり起こしやがって」
という暴言は「思わず出てきてしまった本音」の発言と思える。
その裏には、4年2組の学級崩壊的な実態への教頭の「腹立ち」が込められている。
学校(校庭・教室その他)でのこどもたちの怪我は避けることのできないものである。
こどもたちが動かないでいれば怪我も起こらないだろうが、4年生は「ギャングエイジ」といわれ、一番動き盛りのこどもたちである。ぶつかったり、転んだり、けんかを
して相手を殴ったりと様々な行動をとる。そのたびに軽い傷を負ったり、大きな怪我をしたりする。当然、教師はこどもたちの怪我を最大限防止する義務を負っているが、教師が100%こどもたちを見張っていることができない以上、怪我がおこるのは不可抗力といっても差し支えない。
問題を起こしたのは、こどもたちであった百合子先生ではない。教頭は、差し歯を欠いた出来事の事後処理を百合子先生と相談し、保護者同士でもめごとにならないよう百合子先生を指導助言する義務が法制上あるのであって、自己の感情丸出しの「同じ教室にいて何をみていたんだ,お前は問題ばっかり起こしやがって」などという暴言を吐くなど
教頭としての職務を全うする能力のないことを自ら示すものとしか思えない。
 ・その他

6 Nの母親からの手紙の内容について
・ 百合子にどういうダメージを与えたと考えられるか
申し訳ないですが、手紙で母親がかなり百合子先生を責めているような感じをうけましたが、ベトナムに手紙のコピーが入っている「厚い資料」がないため正確な感想はいえません。
 ・「百合子を一方的に非難する内容ではない」との基金側の認識について
 ・その他

7 百合子の新採教諭としての能力についての意見
・真面目でしっかりとこどもたちを受け止め、どんなこどもたちにも目を向けようと
している様子が、週案簿や裁判の資料などから読み取れる。
こどもたちの行動などをしっかりとメモをし、実践記録を書いている。まめな細かいことに気づく教師と見た。
・ 授業に対しても新任教師としてきちんと準備している様子が窺える。
・ こどもたちや授業に対して情熱をもっていたと思える。
・ 相対的に「素晴らしい教師になる」新任教師という印象をもった。
・ ただ、少し真面目すぎる性格もあったように思える。クラスのこどもたちの中には色々なこどもたちがいる。それらのこどもたちは、時間をかけて教導していくべき対象であるが、経験不足もあり、少し焦っていたのかとも思えるようなところがある。これは多くの真面目な新任教師の共通して特徴でもある。
だからこそ、まわりの経験豊かな教師の心温まるサポートが必要なのである。

・ ベトナムのストリートチルドレンにも関心を寄せ、何度かストリートチルドレンの家まで来て、親から捨てられたこどもたちは心が傷ついているといい、こどもたちの心のケヤーをしていたことが思い出される。こどもたちの手を握り、抱っこしてやったり、一緒に遊んだりと・・・・。

第4 まとめ
・ 本件は,防ぎうる事故であったこと
・ 本件は、明らかに防ぐことのできた事象である。
  その理由は、第1に管理職などに度々百合子先生は「クラスの苦境」を訴えている。そうした訴えに管理職等は文部科学省・教育委員会の指導方針に従い対処していれば明らかに防止でき出来事である。
第2に管理職等は消極的指導回避ではなく、積極的に苦境に立っている百合子先生に対する非難攻撃を行っている。教頭の「お前は問題ばっかり起こしやがって」発言、研修主任の「アルバイトじゃないんだぞ」発言などが学級崩壊かそれに近似する学級状態に苦しんでいる百合子先生に対して、暴言を吐き、却って死へ追い込むかとも思える対応をしている。
第3に学校全体が自由に物が言えない学校だったように思える。通常学級崩壊やそれに近似するクラスが発生した場合には、職員会議等で全教員で協議し、校長を先頭に全教教職員が一致して対応している。しかし、本件の学校では、職員会議での全教員の意思統一などができていない。校長を先頭に全教職員がしっかりと意思統一し、
4年2組の問題に対処していたら、百合子先生の自死はなかったと推定される。


 ・その他,ご意見全般
  ①木村百合子さんの自死は、けして例外的な出来事ではない。全国いたるところで
精神的に追い詰められている教員が続出している。

05年度にうつ病など精神性疾患による病気休職をした公立小中高校などの教員数が過去最高の4178人に上ることが2009年3月15日、文部科学省の調査で分かったそうだ。
病気休職7017人のうち、精神性疾患を理由に休職した教員の割合(59.5%)も過去最高だった。精神性疾患を理由に休職した教員は前年度比619人増で、13年連続の増加となった。在職者に占める割合も0.45%となり、ここ10年間は連続して増えているという。
それだけが学校現場は社会の変化に伴い 諸矛盾が集中していることが分かる。
木村百合子さんの自死は、日本の会社が大きく変化していく過程にある中で起こっている社会変化が学校教育の現場に持ち込まれ、それに対し、新任教員である木村百合子さんが悪戦苦闘しつつ、解決の責任者である管理職の無能・無作為な行動が結果的に孤軍奮闘していた木村百合子さんを死に追い込んだとも思えるものである。今後、第2、第3の木村百合子さんを出さないためにも、木村百合子さんの自死を公務と認定することによって、教育現場でのの教職員の精神的な負担を軽減する措置が進むことを願っている。

以上
 

投稿者 koyama : 2011年12月15日 20:45

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