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2011年12月11日

「子どもの家」のこどもの誕生会

終日雨。非常に寒い。 室内気温17度 湿度90%

午前6時起床。

午前8時、朝食。センさんが作っておいてくれた「マカロニスープ」
の半分を温めて食す。

部屋の整理。

洗濯。(全自動洗濯機:韓国製:に衣類を放り込む)

1月以降の日程を整理し、計画を立てる。

午前10時半、雨の中、電動自転車で「子どもの家」へ。
電動自転車は3年か4年前に購入したもの。車体は錆びてしまい、
電源コートもかなり危ない状況。充電が、なかなかできず、
「子どもの家」へ行くには、前日に「FULL 充電」をして何とか
往復できる。大塚さんと税田さんが使っていた新しい電動自転車
を預かっていたが、2台とも夜中に盗まれてしまう。

午前11時前「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のNGAさんの誕生日。17歳。
高校3年。来年大学を受験する。

里親のK先生からお祝いが届く。

午前11時。「子どもの家」では、昼食の時間。40人の
こどもたちのうち32人が結集していた。

[NGA]は、ベトナム語で「ロシア」。ハノイ近郊から事情が
あって「子どもの家」に入所。

先日までベトナム研究者集団の「ベトナム国家と社会」
という本を読み直していた。これらの研究者の一部の
人を除き、ベトナム社会を「一つの社会」と見て、「研究
分析」している。北と南は歴史と1975年のベトナム戦争
終結の形態が違う。
北は1945年9月2日から「社会主義」。南は、1975年まで
資本主義。
1975年のベトナム戦争終結は、同時に北の南への併合
でもあった。
現在のベトナムを一つの同一社会と認識して研究を
進めている現実に唖然とする。

NGAさんに、何故「ロシア」という名前が付いたのか?
北ベトナムでは、ソ連(ロシア)は、憧れの国だったのだ。
南はけしてソ連やロシアを憧れの国とは認識していなかった。

NGAさんが、「子どもの家」に入所した当時、「子どもの家」の
こどもたち(ほとんどのこどもたちは南のこどもたち)は、
NGAさんの「ハノイ弁」を異質に感じていた。
ベトナム社会は今でもその深層では、統一国家ではない。
統一国家の振りをした偽装国家である。

そのNGAさん。家庭の諸事情があって、「子どもの家」に
入所。現在、省立ザーホイ高校3年生。来年の6月卒業。
フエ観光大学・フエ経済大学を受験したいと言っている。

誕生ケーキに点火

17本のローソクをつけた3つの誕生祝いケーキ。

17本のろうそくに点火


こどもたち全員で「HAPPY RIRTHDAY 」の歌を贈る。

里親のK先生からの誕生祝いカード(ハンさんがベトナム語に翻訳)


誕生祝いの衣類

こどもたちが昼食を始める。




「子どもの家」の食事の風景を見ていた。改めて「継続」という
言葉が頭を過ぎった。一時、その気になって、直ぐに気持ちが
覚めるという傾向が一般的にある。我がJASSは17年間
継続して「子どもの家」にこどもたちに毎日3回の食事を
提供して来た。18600回以上。海外支援を3年で「自立した」
と称する海外ボランティアもあるが、それはそれ。
JASSは、こどもたちが人間として自立し、長い将来を
充実して生きていけるように育てたい。大手NGOや
JICA・外務省などからは、「長い支援」との批判はあるが
全く気にしていない。

ケーキを子どもの数に切ってくれるスタッフの「キムアンさん」。

私は1993年8月にフエに来た。フエ師範大学日本語クラスの
主任になった。その1ヵ月後1993年10月に「チーラン子どもの家」
を作った。キムアンさんとは、その時からの付き合いである。18年に
なる。寮長のロックさん、スタッフのニエムさんも18年の付き合いで
ある。

昼食を十分摂った後、誕生祝いのケーキを食べる。

12時過ぎに「子どもの家」を後にしようとしたら、「子どもの家」を
退所し、自立した「チュック君」が遊びに来ていた。
今や私よりも背が高くなっている。

午後1時前、宿舎へ。朝の残りの「マカロニスープ」の半分を
温めて食す。

寒い。2時間ほど昼寝。

読書。読書「世界を知る力」(寺島実郎著:PHP新書)

寺島氏の主張は以下の通り。

日本人は6世紀位から中国の文化を採り入れて来た。
日清戦争までは、中国文化は日本人に取っては
尊敬に値するものであった。戦前までは、漢文を
読みこなすことは、文化人・教養人の素養であった。
日清戦争以後、中国人を「馬鹿にする風潮」が出てきた。

2000年にわたり日本は、アジアを中心にやヨーロッパなどからの
文化を吸収し、交流を深めてきた。

1945年8月15日の日本の敗戦。アメリカの単独占領
という事態は、たかだか66年。
しかし、戦後、66年、アメリカと言う国の視点を通してしか
日本人・日本国家は物事を考えなくなった。
TPP問題もそうだ、急にアメリカがTPPに加入するというと
急に日本も加入しだす。

しかし、中国・アセアン・韓国・インドは21世紀の世界経済の
中心となる。そうした方向に目を向けないままに、アメリカ
追随の姿勢は「戦後60年の誤った視点」を今でも継続して
いるものである。

部屋の掃除。

12月末までのベトナム事務所・「子どもの家」の諸日程
をシュミレーションする。

東日本大震災で親を亡くしたこどもたちが1500人も
いるという。両親が亡くなったこどもたちは240人にも
のぼるという。
今、どんな気持ちで、どんな生活をしているのだろうか?
どのこどもたちも今回の「出来事」を『糧』にして、生きていって
欲しいものである。『大きな悲しみは大きな成長の栄養になる』と
私は思っている。

寺島氏は、保守系の論者であるが、「現実主義者」である。
聞くべき論点と意見を持っている。一読の価値あり。

投稿者 koyama : 2011年12月11日 19:29

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