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2011年07月16日

ベトナム事務所員会議

快晴 蒸し暑い  夜8時小雨

午前7時朝食。フォー・ハノイ

午前8時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。

今回は土井先生最後のベトナム事務所員会議である。

(ミン・JASSベトナム運営委員長)
今日は土井先生最後のベトナム事務所員会議になる。
いくつかのスタディーツアーが入ったので、新しく入った
スタディーツアーについて意思統一をしたい。

①7月20日、午後5時半から土井先生の送別会を盛大に行う。
  会場は「フルハウス」。上品な場所なのでくれぐれも回りの
  人たちから顰蹙(ひんしゅく)を買わないように。

▲バオミン・JASS運営委員長の「顰蹙(ひんしゅく)」という
  言葉に異常反応している小山JASS代表。
   何故、小山代表が「顰蹙(ひんしゅく)」という言葉に
   異常反応をしたのか? 

へらへら笑って「何か問題」を隠しているバオミン運営委員長。

その他のベトナム事務所員は、これから来るたくさんの
スタディーツアーの若者の案内、お世話についての意欲を
示していた。

・7月21日の昼。土井先生・ベトナム事務所員・内田さんと
 土井先生最後の昼食会。

・7月29日からのピースインツアー主催のスタディーツアーの
 説明

・青少年教育の会のスタディーツアーは、JASS主催の
 スタディーツアーなのでベトナム事務所員は一丸と
 なって成功のために頑張って欲しい。


7月22日にベトナム事務所での任期を終えて帰国する
土井先生。

JASS日本語学校・フエ高等師範大学日本語学科での
日本語教育に意欲を燃やすフオン先生、フーン日本語部長

ベトナム事務所会計の責任者ハンさん。
「フェリシモ」の責任者アンさん。

ベトナム事務所員会議の最後にバオミンJASS運営委員長から
の言葉

・土井先生のご健康をお祈りする。
・ベトナム事務所員の皆さんもこれから忙しくなる。
 くれぐれも体に気をつけて欲しい。

午前11時半。昼食。ベトナム風魚の「おじや」

我が宿舎の隣りはシクロ(自転車タクシー)の溜まり場。
毎日のように朝から5人~6人のシクロの運転手さんが
集り、宴会。大声で歌を歌う。隣で仕事をしている私は
うるさくて仕方がない。

バオミンさんを通して食事を作ってくれるセンさんに話し、
隣りのシクロさん「酔っ払い宴会集団」に40本のフダビールを
差し入れする。

毎日のように5人~6人のシクロ運転手が集まり飲んで
歌っている様子を隣で迷惑な気持ちで聞いていた。
何故、このベトナム人は朝から飲んで宴会をしているのか?
疑問に思った。

しばらく彼らの「挙動」を注視していたが、私は我が父親の
思い出が蘇ってきた。私が小学校から高校まで
シクロ運転手と同じ様なことをしていた、と思い出したのである。
父親は20歳で徴兵され35歳で日本の敗戦を迎えた。
15年間中国での戦争に最下層の一兵卒として従軍した。
戦争に負けて中国から帰国したのが35才。戦争に15年間
従軍し、真っ当な仕事の経験はない。
こんな男が仕事に成功できるのはなかなか難しい。
仕事に失敗し、52歳で脳溢血で死ぬまで貧乏な暮らしを
していた。

私は隣の小さな小屋のような家で5人~6人のシクロ運転手が
集って毎日飲んでいる様子を見て、最初はうるさくて「腹が立った」
が、最近は、彼等の気持ちが何となく分かるようになってきた。
トヨタの新車を乗り回しているフエ人がいる。家族全員が肥満の
人たちもいる。うまく「時流」に乗って金儲けした人間と
時流に乗れず(乗らず)、いつも「下住み」の生活を余儀なくされて
いるフエ人も多い。
隣りのシクロ運転手さんも「時流に乗れなかった」の
かな? と思うと何となく親近感を覚え、40本のビールを
進呈した次第である。

1時間ほど昼寝。

午後4時、徒歩ベトナム事務所へ。

午後4時半過ぎ、京都の楠本さん来訪。

日本語の新しい教科書を作っているという。見せてもらったが、
なかなか分かり易い教科書だった。

午後6時半まで話し合う。

日本料理店は、既に満席に近い。日本料理店の手伝いをする。

体が疲労で固まり、そのまま倒れそう。

徒歩で帰宅。午後7時半。

投稿者 koyama : 2011年07月16日 22:02

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