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2011年07月11日
ベトナム事務所員体調崩す
快晴
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前8時、宿舎を出て電動バイクで「子どもの家」へ。
8時半から「子どもの家」へ新しい子ども(6月22日家庭訪問をした)
が入所する。
入所の様子や入所の手続き、入所にあたっての話などを
聞く予定だった。
8時半前に「子どもの家」へ着いたのだが、既に全ての
入所の手続き、儀式等は終わってしまっていた。
バオミンさんに電話で確認。
バオミンさんも心配して午前8時に電話で「小山先生が行くから」
と連絡をしていたのだが・・・・・。この辺がベトナムに18年住んで
いても今でも「理解」出来ないことである。
全て終わってしまっていたので、6月22日に家庭訪問をした
P君と祖父、紹介の婦人同盟の方の写真を撮る。
P君の幸せを祈る。
仕方がないので「子どもの家」を出て宿舎へ。
途中、「子どもの家」近くのお堀は、「蓮の満開」の時期。
茨城の土浦市も蓮の花の時期に入ったのだろうか?
午前11時半。昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
2時間ほど昼寝。この暑さは、「居るだけで」体力を消耗する。
何もしないでも「生きている」ことが、暑さとの闘いである。
基本は自己防衛。自分の頭で考え、自分の体と相談し、
必要な休養、給水など、全て自己責任。ベトナムでこのような
生活を18年もすると、自分で自分を守る「自己防衛」がしっかりと
身に付く。
日本の報道を聞くと「熱中症」で何百人も何千人もの人たちが
倒れているとのこと。本来、人間としてもっていた「自己防衛能力」
が「便利な生活」の中で衰退してしまったことを意味している。
『豊かさ』と『便利さ』は同時に人間の本来持っている「自己防衛能力」
を失っていく過程でもある。
読書「神戸ブンド 藤本敏夫のうた プロレタリア文学万年少年が
たどった軌跡」(和田喜太郎編:出版 アットワークス)読了
人間は最終的には「思想に殉ずる」のではなく、「人間・生命」
に殉ずるのだ、という良い実践例だと思った。
藤本は、貧しくて小学校を中退。戦前はプロレタリア作家葉山嘉樹
を愛読し、自宅まで訪問している。戦後、福岡の田川炭鉱で働き
日本共産党田川炭鉱細胞を作る。
6全協以前は、主流派に属し、山村工作隊活動を行い
暴力で革命を起こす活動も行う。その後、兵庫県八鹿市に
移転し、八鹿市共産党地区委員。1960年の安保闘争で
樺美智子が国会突入で死亡。樺美智子が東大を中心に作った
共産主義者同盟(ブンド)の神戸支部を作る。ブンドは学生を
中心に共産党の指導や理念の誤りを批判する過程で出来たもの
と自称。現在の「新左翼」「トロツキー主義者」のはしり。
非常に理念的な組織だった。炭鉱や日雇い(全日自労)などで
働く労働者は、ブンドなどの活動を理解出来ない時代に
労働者としてブンドに加盟。その後、ブンドの内紛と解散。
三里塚闘争にも参加。結局、藤本敏夫の人生を見ていると
思想ではなく、人間の真面目な生き方を追求したように
思う。天理教の信者でもある。社会の最底辺で生きた
貧しい人間の側に立ち生きようとして人生は読み取れる。
午後3時半、バオミンさんと電話。バオミンさんは体がだるく、
これ以上ベトナム事務所で仕事が難しい、とのこと。
私は急いで家へ帰り薬をもらい寝るように話す。
ベトナム事務所のアンさんも同様の症状で今日は休んでいる。
午後3時過ぎから、バオミンさんといくつかの問題について
打ち合わせをする予定だったが、健康を回復するまで延期。
午後5時過ぎ、ベトナム事務所へ。
日本人スタッフ・こどもたちと夕食。
原田先生は日本語学校の授業。
欧米系のお客さんが結構来ている。お寿司の注文多し。
今日の日本料理店の来客は24人。
読書「戦後史」(中村政則著:岩波新書)2005年版
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今日は、東日本大震災と福島原発事故が起こって4ヶ月になる。
遅々として復旧・復興が進んでいないのは、政治的な「人災」。
震災の被災者救援と早期の復興を祈る。
福島から圏外に出た人は3万5千人にものぼるという。
被災者と被害者の全ての皆さんにお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
この4ヶ月間で私たち日本人は多くのものを学んだ。
①国家や「お偉いさん」は全く信用ならない存在
平気で嘘をいい、国民が苦しんでも自分たちの安楽が
保てれば、満足する人間集団。我欲の塊(かたまり)集団。
②大資本家(東電・九電・日本経団連・・)は、
自分たちの都合の良いように物事を進めようとする。そのために
嘘でも何でもつく。
③学者だけは学問の良心があるので本当のことを言うのかと
思っていたら、これらの連中も平気で「嘘」をいい、その嘘の
結果について、何ら反省と自己批判もしない。
小学生にも「間違ったら、謝りなさい」と教育をするのだが・・
小学生以下の研究者と称する人間が、社会を闊歩している。
学者としては失格である。
ごく少数の学者が真実を述べているが、差別の中で相応の
地位を得ることができず、排除されている。
日本社会は戦前の「戦争に反対する人たち」を非国民・
共産党・赤・・・・などと誹謗し、社会から排除していった。
今の日本も原発に疑義を呈している人間を社会から排除
していた。民主主義社会とは言っても本当の民主主義は
育っていない傾向が強かった。
④結局、国家も学者も信用ならないと「一国民」としては、腹を括り
自分の目と耳と頭を使い、社会や人間を見る「鼻」を利かせ
自分の判断をしっかりと出きる国民・市民になっていかなければ
ならない、と悟った。
これは、アジア太平洋戦争で日本人は国家の「暴力」で
戦争に借り出され、満蒙に送り出され、アジアを侵略し、
最後は、「国家に捨てられた」苦い経験を忘れてしまった
「つけ」でもある。
⑤今後、原発を更に推進するのか、段階的も含めて、最終的には
原発に「頼らない」社会・日本国家を作っていくのかが、国民的な
争点になってくる。
私見では『30年~40程度』(原発1基の寿命)の「安楽な生活」
をするために、数万年後(原発廃棄物の放射能がなくなる)まで
の子孫に「つけ」を負わせるような人間にはなりたくない。
生活水準が下がっても良い。子孫が、安心して生きていける国土
を保持したい。そのために原発に代わる「エネルギー」の開発に
お金を投入すべきである。
投稿者 koyama : 2011年07月11日 17:28