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2011年06月27日
「子どもの家」入所希望者面談
快晴
午前6時起床。ストレッチ。体の筋肉がかなり固まっている。
筋肉だけでなく「頭脳」も固まらないように、常に進取の精神で
柔軟な頭脳でありたい。そのためには、頭脳への刺激(読書)
が私には絶対に必要だ。知的刺激は、筋肉の刺激よりも
更に刺激的。
午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん
午前8時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。
「子どもの家」への入所希望者と懇談。
タイ君。1993年から1995年まで「チーラン通り子供の家」
・グエンチャイ「子どもの家」に在籍し、現在36歳。
「子どもの家」入所時は18歳から20歳。
両親が船上生活者だった。生活困難で「子どもの家」にタイ君が
入所。
20歳で退所し、親の仕事(フオン川の砂や砂利取り)の仕事を
始める。
その後、16歳の女性と結婚。3児の父親となる。
現在も砂や砂利取りの仕事をしているが、生活困難。
長女11歳。現在小学校3年生。9月から小4を「子どもの家」に
入所させて欲しいとの要望。
8歳(小1)と6歳の女児の3人の父親。
生活の事情を聞くと、このまま行くと長女が学校へ行かなく
なる可能性があると判断した。
タイ君が「子どもの家」を退所し、親のしている川砂や砂利採取の
仕事をすると言った時に私は反対した。しかし、タイ君は勉強が
嫌いで、体を動かした仕事をしたいとの強い希望があった。
16年前の話である。
今回、バオミンさんとも相談し、諸事情を勘案し、長女を
「子どもの家」に入所させることにした。
長女は学校の成績は優秀である。「子どもの家」で自分の人生を
探して欲しいと願う。
私はフエに18年居て、この種の問題、入所希望、支援希望者との
話し合いを何百回もした。私やベトナム事務所の意向で「一人の
人間の人生」が決まってしまう。自分の存在のあり方に脅威を
感ずることがある。出来るだけこどもたちを救いたい。
結果が出るまでには、10年、15年かかる。私も自分の人生を
かけてこどもたちと向き合っていく覚悟でいる。
「子どもの家」の卒業生が自分のこどもを「子どもの家」に入所させたい
との動きは18年にして初めてのことである。
タイ君はほぼバオミンさんと同い年である。私はバオミンさん
の年齢のこどもたちを育ててきたのだと改めて自覚した。
その後、バオミンさん、ハンさん、原田先生と「ある問題」に
ついて協議する。
午前11時半。昼食。魚いりのおかゆ。
今日は異常に蒸し暑い。昼食のおかゆを二口食べたが
食欲なし。昼食を摂ることができない。
昼寝。
読書「社会主義の誤解を解く」(薬師院仁志著:光文社新書)
非常に興味を喚起する本である。社会主義・共産主義は
マルクス・レーニン主義に取り込まれた。
しかし、レーニンが言った社会主義・共産主義が「唯一絶対」
のものではない。イギリスの産業革命以後の労働組合運動
(主流は熟練労働者の特権的な組合)などの実例を辿り、
社会主義・共産主義がどのように発生し、その中でマルクス
エンゲルスがどのような役割を果たしたのかを概観している。
午後3時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。
日本料理店の問題で日本料理店の個々のスタッフと
面談する。
その後、バオミンさんと当面のいくつかの問題を
協議する。
東電の循環注水冷却が、一種の茶番・目くらましの
トリックのように思えてならない。
汚染水を除染し、循環させ、原子炉を冷却するという。
しかし、原子炉は既にメルトダウンし、原子炉の底を
スルーアウトし、原子炉下のコンクリートに染みて
地下へ。そして海へ流れている可能性が濃厚。
汚染水自体が地下に流れている可能性が強い。
循環注水冷却をしても全ての「汚染水」の回収は無理だとの
見方が強い。
メルトダウンは3月11日起こっていたが、政府の発表は2ヶ月後
であった。また、同じことを繰り返しているように思う。
循環注水冷却が国民の目をごまかす「フェイント」でないことを
願うのみ。
午後8時、菅首相の記者会見を聞く。
小幅の内閣改造。これも「目くらまし」。何も変らない。
菅首相を責めることは簡単であるが、民主党に
政権を与えたのは、私たち国民である。今、大きな「学習中」
である。自分が見えなくなった菅首相。そして無能な取り巻き
連中。それ以上に無能な野党自民党・公明党・・・・・。
政治そのものへの不信感が国民の心の奥底に沈殿している。
この馬鹿馬鹿しい「政争」を通して、地震・津波・原発の
災害・被害と闘わなくてはならない。東北の被災者と
原発の被害者。
日本経団連の会長は、未だに原発推進を主張している。
どうなっているのか? わが日本。
投稿者 koyama : 2011年06月27日 21:32