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2011年04月07日

「フェリシモ」500色「色鉛筆」配布

快晴  気温30度  湿度70%(少し湿度が高く気分が悪い)

午前7時朝食。赤米のおかゆ。茹で野菜

午前10時前、バオミンさんと一緒にフールー小学校へ。

通信販売の「フェリシモ」が500色の色鉛筆を世界でただ1つ
作った。世界中のこどもたちに使ってもらいたいとのことで
「500色色鉛筆希望者」を募集した。
私は、船上生活者の多い「フールー小学校」、「子どもの家」
山岳少数民族の通う「トゥオンロー小学校」へ寄付して欲しい
との申し込みをした。
審査の結果、「子どもの家」、フールー小学校、トゥオンロー小学校
への寄贈が決まり、先日、ベトナム事務所へ500色の色鉛筆3箱
が届いた。「フェリシモ」の関係者の皆様に心からお礼を申し
上げたい。

(「フェリシモ」紹介)

社名 株式会社フェリシモ


英語名 FELISSIMO CORPORATION


創立 1965年5月(現・株式会社フェリシモは2002年8月に分割設立)


本社所在地 〒650-0035 神戸市中央区浪花町59番地


資本金 18億68百万円(2010年2月28日現在)


上場証券取引所 東京証券取引所市場第一部


代表者 代表取締役社長 矢崎和彦


連結従業員数 1,053名(2010年2月28日現在)


事業内容 ダイレクトマーケティング事業


連結売上高 489億46百万円(2010年2月期)


ウェブサイト http://www.felissimo.co.jp/


主要取引銀行 三井住友銀行
りそな銀行
三菱東京UFJ銀行


グループ会社
FELISSIMO UNIVERSAL CORPORATION OF AMERICA
FELISSIMO INTERNATIONAL LIMITED
北京幸福生活貿易有限公司
上海芬理希梦時装有限公司
芬理希梦(北京)商貿有限公司

フールー小学校へ「500色の色鉛筆」を届け、こどもたちに
絵を描いてもらう。

フールー小学校の校長先生へ500色の色鉛筆を渡す。


500色の色鉛筆ということは、500色あるということ。
同じ黄色でもわずかに色が違う。かなり微妙な色の違いで
良く見ないと分からないほど微妙な違いである。

高学年のクラスに行き、500色の色鉛筆を使って絵を描いて
もらう。

こどもたちは微妙な色の違いの色鉛筆にかなり戸惑っている。
今までこんなにたくさんの色を使って絵を描いた経験がない。


珍しい500色という色鉛筆に驚き、喜んでいるこどもたち

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続いて我が「子どもの家」へ

セン運営委員長へ500色の色鉛筆を贈呈


「子どもの家」絵画教室に置かれた500色の色鉛筆

500色の色鉛筆を使い絵を描く始める「子どもの家」のこどもたち

真剣に500色の色鉛筆を使って絵を描く「子どもの家」のこども

午前11時半、「子どもの家」での活動を終わり、帰宅。

昼食。カボチャの茎炒め、カボチャのスープ、魚の揚げ物

午後12時半、2時間ほど昼寝。


リー君から電話あり。
(リー君) 「先生、元気ですか?」
(小山) 「体調は悪いが、頑張っている。リー君は?」
(リー君)「ホーチミン市で建築の仕事をしている。1ヶ月の
      給料は400万ドン。2万円。元気にやっている」
      (注:日本料理店での給料は120万ドンから150万
         ドン)
(小山) 「あーそー。」
(リー君)「僕はフエに帰る。」
(小山) 「そう。いつ帰って来るの?」
(リー君)「4月・・・」
      (リー君のこの会話の部分は日本語で言ったので
      四月か七月か不明)
      (名目上の高額のお金に釣られてホーチミン市に
       行ったリー君ではあるは、たった1週間程度で
       またフエに戻るという。ホーチミン市で何があった
       のか? 私には何も情報が入らない)

(リー君) 「先生、お元気で・・」

こんな電話だった。

何を考えているのか? ホーチミン市に行き、高額の給料を
もらうと言っていたのだが、フエに戻るという。


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静岡大学工学部に留学しているフエの留学生の
父親からベトナム事務所に手紙が来た。
(JASS日本語学校で日本語を勉強し、私がフエから静大まで
 連れて行った学生)

以下、紹介したい。
日本の大きな地震と津波があり、福島原発の放射能汚染も
拡大している中で、フランスをはじめ多くの外国人が
放射能汚染を考え、日本を去って行った。

静大工学部への留学生の父親の手紙には、知性と教養、
人間としての矜持がある。ベトナム人のすごさを知った
次第である。
お子さんは浜松の静大工学部に残り、勉学に励んでいる。

以下、手紙(氏名等はプライバシーもあるので掲載しない)
を紹介したい。

このお父さんの手紙で、却って日本人の私が励まされた。
国籍と社会制度の違いはあっても人間の心は通じるものである。
ベトナムのフエの片田舎に住んでいるこのお父さんの知識と
教養・世界を見る広い視野に本当に励まされる。
日本人として「フエで生半可な活動は出来ない」と改めて
心を引き締めた次第である。

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小山先生
日本語教師の皆様

3月11日に日本人の皆様は大地震と津波を経験しました。私は大変胸を打たれて、小山先生と日本語の先生へお見舞いを申し上げます。
日本人には日本人独特の精神、偉大な国家の誇りと、落ち着いた秩序があります。米国の原爆が広島に投下された後も、1995年の阪神大震災後も、日本人は困難な事を乗り越えました。そして、日本政府のおかげで、日本は経済が発展した国になりました。
ベトナム政府とベトナム人の皆は東日本大地震被災者支援集会に参加しています。私が住んでいる地域でも東日本大地震被災者支援集会を行っています。静岡大学に留学している我が子に「日本人の勇敢な精神を見習ってください。そして、静岡大学が行っているボランティア活動に真面目に参加してください」とメッセージを送りました。
今まで、ベトナム政府とベトナム人は日本の政府から多くの支援をいただきました。ベトナム人は日本人の皆様の隣りにいます。
世界の皆もいつも関心を持って、日本の状況をよく見ています。私たちの心は日本に向いています。
小山先生、日本語の先生やご家族の皆様がお元気で、ご無事でありますようにお祈りいたします。

投稿者 koyama : 2011年04月07日 18:47

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