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2010年11月20日

「子どもの家」設立16周年記念式典

曇り

午前5時半起床。

読書「気になる仏像がひと目で分かる本」(大和書房)読了

読書「正しい団塊の世代白書」(高田文夫著)
古本屋で200円。

著者は、私と同世代の台本作家であり立川談志の弟子で
真打ち。たけしの台本作家などもしている。

昭和22年から1988年までの団塊の世代の出来事。
主に1947年位から1970年代中葉まで。

力道山から美空ひばり、ビートルズ・・・・。
団塊の世代なら「そうだ、そうだ」と思える『昔話』。
興味深く読んだ。よく当時の出来事を「拾い出し」
「整理」している。
団塊の世代の歴史を書いているのであるが、一点抜けている
のは、政治闘争が一切かかれていないこと。
著者 高田文夫が、当時の政治闘争に背を向け、
落語・演芸、音楽、映画に埋没していたと書いているので
致し方ないことであるが、「正しい団塊の世代白書」
と銘打つのであれば、60年代の政治闘争は抜かせない。
三田誠広が、高校から早稲田での自らの政治闘争の経験
を書いているのとは、対極であるが、多分、高田の
一種の「ユーモア」「お笑い」を狙ったものと理解する。
彼も日大芸術学部にいたので、何らかの影響は持っている。

演芸欄が充実している。
トリオスカイライン(東八郎・小島三児)。東八郎の門下に
萩本欽一、ビートたけしがいる。
てんぷくトリオ(三波伸介・伊東四郎・戸塚睦男)台本は
井上ひさしが書いていた。
「トリオ・ザ・パンチ」(内藤陳)私は都会的な雰囲気が好きだった。
親亀の背中に・・・の「ナンセンス・トリオ」。
ドンキー・カルテット(楽器演奏はプロ。好きだった)
ケーシ高峰(テレビ 「ベン・ケーシー」から名前を取った)
東京ぼん太(ヤクザとの付き合い、博打で消えて行った)
漫才の春乃チックタック。獅子てんや・わんや(都会的で好きだった)
三平・談志・円鏡(現円蔵)
その頃、一番売れていた演芸番組は日曜日の昼に放映された
「大正テレビ寄席」。ウクレレ漫談の牧伸二の司会。
この番組のアシスタントをしていたのが、現たけし夫人、
牧伸二の弟子でギター漫談をしていたのが、泉ピン子。
テレビで東京の演芸が多く放送されていた楽しい時代だった。

午前7時朝食。「精進ブン麺」

午前8時時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

午前8時半、ベトナム事務所スタッフ、日本料理店スタッフ
と一緒に車で「子どもの家」へ。

午前9時。「子どもの家」で「子どもの家」設立16周年記念式典
を行う。

開会前。既にこどもたちは、「興奮気味」。

開会前に「ザーホイ高校」の副校長先生と生徒がやってくる。
「子どもの家」創立16周年と「先生の日」のお祝いに花を
持ってきてくれた。

午前9時、式典開会


誕生16年のお祝いのケーキ


始めにこどもたちの開会の踊りの披露


(小学生の踊り)

(中学生の踊り)


(高校生の踊り)


お祝いの踊りが終わり、式典開会

「子どもの家」ロック寮長とバオミンさんの司会で始まる

●来賓等紹介




「子どもの家」セン運営委員長の「2010年活動総括と次年度方針」
の発表

現在「子どもの家」には48人のこどもたちが在籍。
小学生 8人
中学生 18人
高校生 7人
大学生 9人
職業訓練 6人  合計48名
ーー
在宅支援 12人

          JASS支援総計 60名

私たち「子どもの家」のスタッフは、こどもたちの指導者であると
同時に「第2のお父さん、お母さん「である。

2010年は8人のこどもたちが成長し自立・退所した。
おめでたいことである。私たちの活動の目標は
こどもたちの自立である。8人の退所は「子どもの家」の
活動の大きな成果である。8人のこどもたちが人生の
荒波を乗り越え幸せになってもらいたい。

学校の勉強の結果は非常に良かった。
大学在籍者9人のうち7人は、全てが「優」という最優秀だった。
特にフエ医科大学のフオンさんが5年間連続成績「最優秀」だった。

「京滋YOUの会」支援のこどもたちの「定期健康診断」で
こどもたちの健康状況は良好である。
6月1日の「子どもの日」のお祭り、中秋蔡、フエフェスティバル等
への参加。

日本のスタディーツアーの若者と交流。

こどもたちが一番楽しみにしていた「ベーベキュー大会」、
「像の滝での遊び」「クリスマス会」などこどもたちは
内田さんなどJASSの支援者のお陰で様々な体験をし、
楽しい思い出を作ることができた。

続いてJASSを代表して小山が挨拶。

①16年間の思い出
②卒業生への激励の気持ち
③現在の「子どもの家」のこどもたちへは、
  『自分の人生を見つけて、自立して欲しい』
  『勉強だけが人生ではない。自分の好きなことを見つけて
   欲しい』

続いて「子どもの家」こども代表でグエンフエ高校3年生の
ホンニーさんがお礼の挨拶。現在、ホンニーさんは
グエンフエ高校の「理系」で最優秀の成績である。
日本語学校で日本語勉強し、2011年3月には、静岡大学
工学部への入試を準備中である。

「私はグエンフエ高校3年生。16周年おめでとうございます。
こどもの家で私たちは幸せに暮らすことができます。
日本の支援者の期待に応えて、私たちは頑張って生活し、勉強をし、
人間的にも成長して行きたい。改めて、JASSに感謝します。」


続いて、2010年の成績最優秀者表彰


左から フエ師範大学(生物)、(化学)、(教育)、フエ医科大(歯学)

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式典に参加したこどもたち


グエフエ高校2人組




左の「ホーターロン君」は「子どもの家」創立初日から
今日まで「子どもの家」で生活している。


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最後にこどもたち・「子どもの家」スタッフ、ベトナム事務所スタッフ
全員で「16周年記念」の決定的記念撮影をする。

(1名不穏分子が画面最前面に『乱入』。結局
1名の「不穏分子」中心の記念写真になってしまった)

1名の不穏分子は「必要な時」いなくて「必要ではないとき出没する」。
「神出鬼没」な憎めない『不穏分子』ではある。

ベトナム事務所スタッフと大塚さん


「子どもの家」スタッフ(お子さんの結婚式等で2名欠席)

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日本料理店のこどもたち


ベトナム事務所スタッフのアオザイ姿(両側の人物は無視)

ベトナム事務所も春近し


日本料理店の大塚さんと里子

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式典終了後、全参加者で昼食会


左のタン君も「子どもの家」設立当初からのこどもである



日本料理店のこどもたち


姉妹(フエ医科大・グエンフエ高校)


姉妹(フエ師範大・グエンフエ高校)


日本料理店のHさん。先日まで「子どもの家」で一緒に
生活していた仲間と食事




ーーーーー
大人スタッフは、お祝いのお酒を極微量(はやぶさ1が
イトカワから持ち帰った微粒子程度)飲む。

ベトナムは「おおらか」で良い。日本では学校での飲酒を
一切禁止されている。私がまだ東京の学校現場にいた頃は、
卒業式・入学式・放課後勤務時間終了後には、校長・教頭
多くの先生たちと飲みながら「教育談義」ができたのだが。
ぎすぎすした日本からベトナムに来ると何事も「ゆるやか」
な軟体質の社会がある。日本は何事にも「ヒステリック」
になる「怒り社会」となっている。精神的「豊かさ」は
ベトナム社会の方が勝っているように思われる。


午後1時、宿舎へ。

昼寝。寝ていて気づいたら午後4時になっていた。
今日は土曜日。午後は休み。

「読書「正しい団塊の世代白書」(高田文夫著)

午後5時過ぎ、日本料理店へ。

日本料理店についたら日本料理店のこどもたちが
今日の「先生の日」のお祝いに手作りのレイと
寄せ書きをプレゼントしてくれた。
感謝。

トゥオイさんから「花束贈呈」があった。

グエットさんから日本料理店のこどもたちなどの「寄せ書き」を。

リー君から手作りのクビ掛けレイのプレゼント


日本料理店のこどもたちに感謝の言葉を言う。


今日は日本料理店の月給日。30%程度の賃上げ。

一人一人に月給を渡す。

リー君には「借金をしないこと」「貯金をすること」『無駄遣いをしない』
よう話す。現在借金はしていないと「本人」は言っていた。


日本料理店のこどもたち・日本人で夕食。

日本料理店で今日2度目の「ビール」の試飲をする。
枝豆とサケの塩炒め。

午後6時から午後9時半まで連続して来客あり。9人。

途中の時間をつかい、全員にアイスクリームが配られる。
「子どもの家」創立16周年記念か?

一人「かなりな量」のアイスクリームだ。
こどもたちは「ぺロッ」と食べてしまった。素晴らしい。
私一人、全く食べられなかった。


最終、アイスクリームの「締め」は富岡先生

午後9時半閉店。


徒歩で宿舎へ。千鳥足。

読書「正しい団塊の世代白書」(高田文夫著)読了。
楽しみながら、追憶の気持ちで読めた。

投稿者 koyama : 2010年11月20日 11:04

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