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2010年11月16日

「子どもの家」卒業生ホンニーさん結婚式

終日雨。 フエ市内洪水。

午前5時起床。
読書「読書「中国侵略の証言者ー「認罪」の記録を読む」
   (岡部牧夫・荻野富士夫・吉田裕:岩波新書)

午前7時朝食。「キャッサバ芋の麺」

午前9時集合で「子どもの家」卒業生・元日本料理店店長
のホンニーさんの結婚式に参加する。

スーツを出してみる。見事に「カビ」状態。
仕方がないので、濡れタオルで拭く。嫌な季節だ。

午前8時40分。宿舎を出ようとしたが、宿舎の前の通りが
洪水で歩けない。長靴を履いて、何とか通りの一番端を
歩いて「大通り」に出る。しかし、大通りが洪水で歩けない。

ベトナム事務所に電話をして「SOS」。
ソン君がオートバイで「救援」に駆けつけてくれる。
途中、水深が膝上まで来ている所もあり、オートバイが
止まってしまうのではと心配したが、何とかフォザンホテル
とフォン河の交流点まで来る。既にフォン河は氾濫し、
レロイ通りも浸水状態。南部に台風らしきものが来ているとのこと。

ベトナム事務所着。
ホンニーさんから招待状が来たベトナム事務所スタッフ
と「子どもの家」のセン運営委員長が、車で30分ほどの
ホンニーさんの夫の実家(かなり田舎)まで行く。
途中、フォン河の支流が随所で氾濫していた。

午前9時半、何とか結婚式場に着く。
しかし、誰もお客が来ていない。1時間後とか2時間後
に始まるという「噂」もあり、なんとも「田舎」ののんびりした
結婚式である。1時間以上、式場前で待たされる。

立派なお墓が新郎の実家の前にある。
(結婚式後、リー君・ハイ君一派が、このお墓で放尿する
 現場を目撃。信仰心ゼロ)

新郎の実家の目の前は海。



1時間ほどして、少しずつ結婚式の雰囲気が出来上がって
来る。


新郎・新婦の写真を会場入り口に据える。

式場到着1時間半程して「新郎・新婦」登場。

午前7時からホンニーさんの親戚の家で祖先に結婚を報告する
儀式をしていたとのこと。えらく長い報告会だった。

新郎の実家の結婚式場入り口で。バオミンさんと。


まだまだ結婚披露宴は始まらない。
今度は、新郎の祖先に結婚報告。両家の親族が参加。

新郎側親族。



新婦側親族。人数が少ない。


新郎新婦にベトナム事務所としての結婚お祝い金(大枚?)
を渡す。

「子どもの家」運営委員長のセンさんが、「子どもの家」の
結婚お祝い金を渡す。


新郎新婦と記念撮影
どうも「式次第」なども細かく決まっていないようだ。
のんびりした農家の結婚式だ。何か、のんびりして
救われるような気持ちになる。



恒例の結婚式披露宴料理が次から次へと出てくる。

一人1000円見当の料理だそうだ。

お祝いに駆けつけたJASS関係者。

ビールが出たが、温かいビール。氷が用意されているが、
怪しい氷。私は、氷をいれずに「温かいビール」を飲む。
まずい。

第1部の結婚式。親戚や大事なお客さん。

午前11時過ぎから友達が集まる披露宴も用意されているが、
既に11時に近い。どうなるのだろう。

そのうち午前11時開からとの招待状を送っている「友だち」
関係者の一部が到着。「子どもの家」関係者。

結局、「子どもの家」関係者の「友だちグループ」は
親戚など「大事なお客さん」に紛れ込んで披露宴に
参加してしまう。

こうした場合、一番張り切るのが、例の「お調子男」
その名も「リー元日本料理店長」である。
アルコール類があると「興奮状態」となる。


「子どもの家」でホンニーさんと一緒に暮らした仲間が
集合。



『ハイリーホテル』の「ハイ君」と「リー君」が久しぶりに揃った。

「子どもの家」の画家ゴッポことフック君。




両家の「長老」も参加


結婚披露宴はお偉いさんの挨拶もないまま、突然「カラオケ大会」
と化した。

ハイ君が歌う。見事な歌。完璧に1度ほど音程をずらして
歌っている。並の人間に出きる技ではない。
「変ナ長調」。


3回目の「お色直し」。今度はピンクのドレス
(1回目は伝統的なアオザイ。2回目は純白のウエディングドレス)



日本料理店のグエットさん、バオミンさんと。


午後12時過ぎに第1回目の披露宴終了。
こどもたちと一緒(20人)にフエ市内へ帰る。
途中、洪水状態。


午後1時近くベトナム事務所へ。解散。
今日は、日本料理店も閉店。

私は宿舎へ帰ろうとしたが、洪水で帰れない。

ソン君のオートバイで送ってもらう。
しかし、私の宿舎の前の道に入った途端に水深数十センチ。
オートバイのエンジンの上まで水がきてしまい、エンジンが
ストップ。
ソン君には申し訳ないことをした。ソン君はオートバイを
直しに修理工場へ。
私は歩いて宿舎へ。モモまで水が上がってきている。
スーツのズボンは、腰の下まで水に浸かる。


部屋に帰りシャワーを浴びる。洪水の水は、雨水では
なく、フォン河と「汚水」。不潔極まりない。

温かいビールを飲んだので少し酔う。昼寝。


午後3時、読書
「読書「読書「中国侵略の証言者ー「認罪」の記録を読む」
   (岡部牧夫・荻野富士夫・吉田裕:岩波新書)読了。


今までのこの種の本はかなり読んでいるので、新しい
ことは特になかったが、反中国感情が「国粋主義」と
結びつきそうな日本の現状では、本書の意味は大きい。

戦後戦犯として中国で裁判にあった1000人の
「自己批判書」を調査し、中国で日本人が何をしたのか
を本人の証言で綴ったもの。
従軍慰安婦はいなかったとか、日本は中国に侵略していない
など、戦後繰り返し起こる日本の侵略を否定する勢力に
読んで欲しい本である。当時の師団長など中将・少将クラスの
証言である。「三光作戦」(殺しつくす、焼き尽くす、奪いつくす)
の実態を克明に告白している。
1000名のうち45名のみが起訴され、服役。
帰国した1000名の皆さんが、「中国帰還者連絡会(中帰連)」を
結成し、侵略の実態を訴え続けている。

731部隊の『細菌作戦』、三光作戦、新兵教育のための
中国人刺殺訓練など、実行した人たちの告白なので
重みがある。

1960年代の中国文化大革命を巡って、日本共産党と
中国共産党が対立。「日中友好協会」も分裂。
中国盲従グループの「正統派」と日本共産党系。

「中国帰還者連絡会(中帰連)」も同様に分裂し、20年間
争っていた。

日本人の対外盲従精神は欧米だけではなく、こうしたことにも
表れるのだと改めて思った次第である。

午後7時、ソン君と一緒に買ってきた「ベトナム風ほか弁」(100円)
を食べる。


読書「漢語日歴(かんご ひごよみ)」(興膳 宏:元京都国立博物館長)
岩波新書。


投稿者 koyama : 2010年11月16日 20:22

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