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2010年10月25日

通常業務

快晴  真夏日

午前5時起床。読書「中原の虹(Ⅲ)」(浅田次郎)

柔軟体操。

午前7時朝食。ブンボー。

火炎樹日記に「日比谷フェスタ」の記事を掲載。


筋力トレーニング。腕、胸、足を中心にメニューを作り、
少しずつ実施。最初から強くすると「筋肉痛」になる。


読書「中原の虹(Ⅲ)。


バオミンさんと電話で打ち合わせ。

ハンさんと電話打ち合わせ。

午前11時半昼食。マカロニスープ。


量が多くて食べきれない。


1時間半ほど昼寝。昨日のリー君父親宅訪問の
疲れが残る。

読書「中原の虹(Ⅲ)」
内容に引き込まれる。袁世凱そして中心人物の一人
張作霖・息子の張学良などが出てくる。
中国という広大な国土と多くの人口を抱えた他民族国家の
統一の難しさを知る。たった30万人の満州族が数億人の
漢族を支配した時代が清朝。清朝のラストエンペラー「溥儀」
も5歳で皇帝となり登場する。
作者浅田次郎は、西太后を清朝の最後を演出した英傑として
描いている。

満州という言葉が「文殊菩薩」の文殊から来ていることを知る。
満州族は文殊菩薩を崇拝していた。

また、「黄土色(おうどいろ)」という色が、日本が中国侵略を
企み(たくらみ)それまでの黒服の軍服から、黄砂の中国に
合う軍服として黄土色の軍服にしたことも知る。

日清・日露戦争では軍服は黒だった。黒い軍服は「狙われ」やすい。
そこで中国の黄砂の色に似せて作った軍服の色が「黄土色」。
つまり黄砂の色である。

昭和の戦争の映画などを見ると何となく冴えない色の軍服の
兵隊が出てくる。黄土色の日本軍。中国の色に馴染ませて
作った軍服。黄土色は、軍服の色から来た色。

12月、スタディーツアーでフエに来るいくつかの団体に
メール。

受信メールへの返信。

午後4時半、ベトナム事務所へ。

今日はブライセンベトナム支社の給料日。
給料を一人一人手渡す。

午後5時半、夕食。

昨日、リー君の父親の家へ行った。地鶏の有精卵をもらう。
原田先生・富岡先生たちが、ぶっかけご飯で食べる。

今日は米・カナダ・NZなどの大学生連合11人の予約あり。

午後7時過ぎ、11人の欧米系の大学生が来店。

そのほか、NZ、フランスなど合計17人来店。

一度に注文が殺到したので午後8時半に入店を打ち切る。
入店を打ち切った後8人の来店あり。
こどもたちの負担を考え、オーバーワークになりそうなので
途中で入店をやめにした。


原田先生・富岡先生たちもたくさんの来店があり
奮闘。


接客係りのグエットさんも大忙し


今日はかなりの「売り上げ」があった。

午後9時閉店。

投稿者 koyama : 2010年10月25日 23:47

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