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2010年04月17日

ベトナム事務所会議:停電が続く

気温20度。寒い。

東京は雪だとのこと。

「ハイリーホテル」は午前6時前に停電となり
午後9時まで続く。

ベトナム事務所は午後2時半から午後7時まで停電。

気温が低かったのでそれほど「暑さ」での
体調異変にはつながらなかったが、
「ハイリーホテル」の部屋は終日真っ暗で
パソコンも使えなかった。
日本料理店の冷凍庫・冷蔵庫が止まり、
ベトナム事務所では、パソコンが使えない。

ベトナム事務所と日本料理店・ブライセン支社
は小型発電機を使い、細々と電気を供給。
エヤコンは切り、パソコンと室内灯だけをつける。

午前7時朝食。

ブンボーフエ

午前8時、ベトナム事務所へ。今日は電気がついていた。
今週は4日間にわたり終日停電だった。

ベトナム事務所は、電気が点き明るい部屋で仕事を
していた。電気がついて部屋が明るいだけではなく、
ベトナム事務所員全員が一丸になって「子どもの家」・
生活困難なこどもたち・障害児支援などの仕事に
邁進しようという意気込みを感ずる。和気藹々(わきあいあい)
としたベトナム事務所風景。
やはり日本語教育部とベトナム事務所を合体したことは
結果的には良かったと実感する。同じ部屋で一緒に
仕事することで「一体感」が生まれるのは、事実である。




何故か最近、頓に(とみに)両頬が緩み、ニヤケ気味の
ソン君。仕事には大変熱心に取り組み、日本語も
上手になった。仕事にも慣れてきたようだ。今後は、
奥さんに上手に操縦される術を学ぶという課題がある?
既に学んでしまっているのかも知れないが。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
1ヶ月ぶりの会議だった。
この間、種々の仕事が交錯し、新たなベトナム事務所体制を
確立するなど、ベトナム事務所自身も新たな仕事と体制変更,
多くのスタディーツアー、訪問者があり、ベトナム事務所会議を
開催することができなかった。


(ミン)1ヶ月ぶりのベトナム事務所会議。
    新任日本語教師の「古竹先生」を迎えての初めての
    ベトナム事務所員会議でもある。
     改めて古竹先生の赴任を歓迎します。
    体に気をつけて、日本語教師として活躍して欲しい。
    1年間のベトナム事務所員の体験を通して、人生の
    何かを掴んで行ってもらえれば、ありがたい。
     忙しい中、奮闘してくれた所員の皆さんに感謝したい。
    これからも皆さんで心を一つにして、こどもたちの幸せの
    ために一致団結して仕事をすすめて行こう。


(ソン)「アクセサリー研修センター」の仕事をしているが、
    大体うまく仕事を進めることが出きるようになった。
    日本の支援会社ブレラから研修用の材料も
    届き、8人の研修生と1人の責任者ヴァンさんは
    張り切って研修に励んでいる。

(原田)●フエ高等師範大学
      ・3年生は授業終了
      ・2年生は今月一杯で授業終了 5月に年度末試験
      ・1年生の授業も始める。古竹先生が赴任したので。
    
     ●静岡フエ青年交流会館付属日本語学校
      ・特進クラス(静大工学部入学志向クラス)
       25課まで終了。目標の半分を終わる。
       今週から26課に入る。
      ・初級クラス 3課まで終了。まだ初歩の初歩段階。
       ブライセン支社の社員も日本語授業に参加している。
       仕事の関係で多少、出席できない日がある。
      


(古竹)明日で赴任して3週間になる。
     ・丁度、ベトナム事務所が忙しい時期に赴任が
      重なり、当初はびっくりした。段々、仕事にも慣れてきた。
      フエの気候(37度の時もあれば、急に20度になることも
      ある。湿度90%などはざら・・・・・・)にも慣れてきた。
     ・自分としてはフエの生活に順調に慣れてきていると思う。
     ・フエ高等師範大学の1年生の授業をした。
      自分と同い年の学生に「先生」となって教えることに
      多少の戸惑いがあったが、慣れてきた。
       学生との間の微妙な「距離感」をどうとるのか?
      課題もある。
     ・初めて1年生の授業(50分)を2クラスしてみて、
      楽しく授業ができたので良かった。
       今後の自分の課題は授業の質を高めて行くこと。
     ・今後、授業などで困ったことがあったらフーン先生に
      相談しながら進めて行きたい。
       ベトナム事務所の皆さん、宜しくお願いします。

(フーン)・フエ高等師範大学での授業
     ・フエ訪問者の案内(2日間)

(フオン)・特進クラスの授業をした。
      作文と聞き取り。
     ・初級クラスの授業。

(ハン)●大極さんと1週間行動を共にした。
     ・フエ市立病院小児科・東洋医学科での診療
     ・フーハウ診療所で24人の障害児の診療
     ・希望の家(キリスト教会運営)では45人の
      ほとんど体を動かすことのできない障害児の
      診療。時間がたりなく、半日で45人の診療は
      難しかった。次回はもっと時間を取りたい。
     ・里親へのこどもたちからの手紙の翻訳
     ・里親からこどもたちへの手紙の翻訳
     ・ボランティア貯金官僚報告書会計部分の準備


(クアン)●特進クラス
       ・一部の生徒が真面目に勉強しない傾向がある。
       ・特進クラス3年生は先日の静大入試の結果が
        どうなるのかばかりを気にして勉強に身が入らない。
       ・特進クラスの2年生は頑張っている。
         特に「子どもの家」のニーさんは、真面目に良く
        勉強をしている。作文能力も優れている。
      ●初級クラス
       ・3課を教えた


午前10時半。バオミンさん・ハンさんとボランティア貯金
完了報告書会計部分について、話し合いを行う。
この12年間ほど、ボランティア貯金から交付金を
もらっていた。2009年4月1日から2010年3月31日
までの1年間で570万円ほどの交付金があった。
しかし、今年(2010年4月1日から)は交付金が打ち切られた。
ボランティア貯金本部に山西さんが理由を質すと
「JASSは自立が進んでいるので、交付金は必要ない」
との回答だったという。
海外支援の目標は何なのか?を考えさせられる回答
である。

自立に向けての取り組みを進め、こどもたちが
手に職をつける職業訓練センターへの交付金を
もらっていたのだが、こうした取り組みが少しずつ
前進してきていることは事実である。
「現地の自立」に向けて、こどもたちの自立、ベトナム事務所
の自立、財政自立を勧めているが、まだまだ緒に就いた
ばかり。
ボランティア貯金流の国際支援・国際協力は、
いつでも貧しく、自立への取り組みをしないで、支援を
待っているNGOこそ支援の対象としているようだ。

これからの国際支援・国際協力は「人間を育てること」
こそ目指すべき課題である。

自立への取り組みをしないで、子どもたちの「泣き顔」
と「汚れた顔」ばかりをクローズアップし、「可愛そうな
こどもたちを助けて」と支援要請をするNGOへの支援が
果たして長期的に見て、本当に支援として意味のあるのか?
疑問に思う。

JASSは現地で17年間活動をしているが、ストリートチルドレン
やこどもたちはけして「泣き虫」ではない。もっと「したたか」
で明るく、活動的である。メソメソ泣いているこどもたちなど
皆無に等しい。活力と能力、エネルギーのあるこどもたち
である。本当のストリートチルドレンや生活困難なこどもたち
の実態を熟知し、その活動的なエネルギー、自分で生きていく
バイタリティーをしっかりと見つけ、こどもたちの中にある
自立への能力を引き伸ばしていく海外支援システムの構築
こそ、本当の国際支援だと思えてならない。

いつも「泣き顔」と「よごれた顔」の写真で支援者の
同情を買うような支援要請の仕方は、フェアーではない。
などと考えながら、昨年度のボランティア貯金の完了報告書
の会計部分の打ち合わせを行う。


午後11時半、昼食。

昼寝。停電で部屋は真っ暗。停電は「寝るのには都合が良い」
とでも思わないとやっていけない。全てプラス思考。


午後2時半、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所も午後2時半から停電。

バオミンさん、日本人スタッフで「停電問題」等を
協議。私、原田先生・古竹先生・大塚さんとで
話し合う。



午後4時、リー君を呼んで「生活上」の注意をする。

今回は、金銭問題。4月20日が給料日だが、
リー君は給料をもらうと数日で全ての給料を使ってしまう。
友達を呼んでご馳走したり、分不相応な高額な靴を買ったり
してしまい、朝食、昼食代などが数日で「底をついて」しまう。
その後は、私や大塚さんなどに「お金を頂だい。食事ができない、
友達に借金している」「明日の日曜日、お父さんの所へ
行きたいが交通費がない」・・・・・・。
昔、路上で生活していて「物乞い」をしていた時と同じ精神
構造である。
毎月5000円程の給料をもらっている。
500円を貯金している。残りの4500円を30日で割れば
1日150円。平日の夕食は日本料理店で無料で摂れる。
平日は100円、日曜日は3食自分で摂るので200円。
残金は、コーヒー代、タバコ代と「きちんと計算して」
生活するよう話す。
無計画に持っているお金を使ってしまい、挙句の果てには
自転車を質屋に入れてしまう。現在も自転車はない。
今でも基本的な生活は「その日」暮らし。
お金がなくなると友達に借金をして踏み倒し、私たちに
お金を頂だいと繰り返す生活を抜本的に是正するよう
バオミンさんと厳しく話す。
本人は「良く分かった」と言ったその後、「ところで
明日の日曜日お父さんの所へ行くので交通費3万ドン
(150円)頂だい」ときたものだ・・・・・・。
私もバオミンさんも「ヘナヘナ精神状態」となる。
「したたかな奴め・・・」と。
1時間も「お説教」を垂れたその結果が、「お金頂だい」だ。
小さい時から身についた「習性」を修正するのは難しい
ことだ。


午後5時半、日本料理店で夕食。

空芯菜のニンニク炒め。

自家発電機を使う。騒音と排気ガスがひどい。
原田先生は日本語学校。

午後6時、日本料理店閉店。

原田先生が日本語学校から帰ってくる。
私、原田先生、古竹先生、大塚さん、リー君で
1週間の仕事「ご苦労さん会」を行う。

1時間の「お説教」をさせて「頂き」、喉がカラカラになるように
して頂いたお陰でビールが美味しい。
リー君にお説教を聞いて頂いたことに『感謝』して乾杯。


大塚さんが1本の鮭から身をスプーンですくい
塩で味付けして「おつまみ」を作ってくれる。

豆腐の冷やっこ


午後9時まで4人で飲む。

日本料理店を後にして「ハイリーホテル」に戻ろうと
した時、バオミンさん一家とバオミンさんの祖母の
家(日本料理店の3軒となり)の前で出会う。



投稿者 koyama : 2010年04月17日 09:22

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