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2010年04月05日

日本大使館員ー静岡会館視察

快晴  気温33度

午前3時目覚める。
読書「世界を知る力」(寺島実郎著:PHP新書)読了

今の世界をどうみたらよいのか?今後、世界はどう変化して
いくのか?

寺島氏の意見は、ネットワーク作り、大言壮語ではなく
具体的な実践の重要性。国際的な体験。

そして、日米主軸路線の本質は、「日中関係」であることを
明らかにしている。対米一辺倒では、今後の日本は成り立たない
ことを主張している。進歩的な保守主義の立場の寺島氏の
意見に耳を傾ける価値のある主張が多々あった。
一読の価値のある本であった。


午前7時、朝食。


フエ名物「ブンボーフエ」。私の一番の好物。

米の麺と牛肉。


新ベトナム事務所では皆さんが新たな気持ちで仕事に
邁進している。





新日本語教師の古竹先生。ベトナム事務所にも慣れ、
なかなか積極的で明るい好感の持てる若者である。
日本語主任のフーン先生と日本語教育の打ち合わせ。
ベトナム・フエの生活にも少しずつ慣れてきている。
日本のご両親には、挨拶をする機会がないが、
万が一、このブログをお読みでしたら、「元気に」
「積極的に」フエでの生活に溶け込もうとしている
現状を報告したい。また、ベトナム事務所の大事な戦力と
して今後の活躍を期待したい。
体に気をつけ、アジアでの生活をエンジョイして欲しい。


バオミンさんと一箇所ある家庭を訪問。


午前11時半、昼食。


午後12時半、読書「若き友人たちへー筑紫哲也ラスト・メッセージ」
(集英社新書)

2008年に亡くなったニュスキャスターの筑紫哲也氏の
早稲田大学・立命館大学での授業などのテープを
おこし文章にしたもの。表題にあるように「若者」への
メッセージではあるが、現在の日本をどう見るのかを
若者に語っている。学ぶべき点あり。
日本国憲法14条・24条の「男女平等」の規定。
戦前の作曲家山田耕作が、中国のハルピンで
レオ・シロヤというピアノ名手と出会う。
山田耕作は「日本の音楽教育の向上のために
是非日本に来て欲しい」と口説く。シロタは
奥さんと5歳の娘さんと一緒に訪日する。
この娘さんがベアテさん。後に結婚して ベアテ・シロタ・ゴートン
さんとなる。ベアテさんは、アメリカへ勉強のために留学。
その時日米戦争が勃発。
娘のベアテさんはアメリカ。両親は日本にと家族が分かれ
敗戦を迎える。
日本の敗戦後、ベアテさんは、日本にいる両親の安否を知る
ために軍属となり訪日する。
日本で少女時代を過ごしたことから、日本国憲法草案を作る
委員となる。22歳。かなり長い憲法草案を書いたが、全て
がカットされたが、唯一つのこったのが、「男女平等」条項
だった。

筑紫哲也氏は「一部の人たちは日本国憲法は古くなった」
などと言っているが、アメリカの憲法にも「男女平等条項はない
ということを私たち日本人が理解すべきだとと言っている。


午後2時半、ベトナム事務所でバオミンさんと打ち合わせ。
ベトナム事務所一帯が朝から「停電」。
暗い部屋でエヤコンも切れて打ち合わせ。

午後4時、ハノイの日本大使館員が静岡フエ青年会館の実情
の視察。大使館員を案内し、説明をする。
大変熱心に且つ誠実に私たちの活動の実情を調査されていた。
こういう真面目な大使館員もいるのだなと感心した。


丁度、静岡大学工学部入学を目指す「ニフィープロジェクト」
の生徒が勉強をしていた。

午後5時、視察終了。

ベトナム事務所が停電のためバオミンさんが送信すべき
大事なメールが送れない。
私が「ハイリーホテル」でベトナムのEモバイルを持っているので
急いで「ハイリーホテル」へ戻り、バオミンさんの送信すべき
メールを送る。

日本からSKYPEあり。20分程話す。

フエにある種の工場を作りたいという社長さんがやってくる。
ホテルで30分ほど話し合う。

日本料理店一帯は昼から停電。夕方、大塚さんと相談し
日本料理店を中止することを決定。

ベトナム事務所訪問者とホテルで話し合い、その後
フエ空港へ到着し、バオミン・ホテルへ投宿する
大極さん親子が夕食を摂っている「フォー」専門店へ
行って見る。ソン君が案内し、店内に入るときだった。
一緒に夕食を摂る。
大極さんと息子さんの元気な様子にほっとする。
大極さんとは、大学で同級生。ということは18歳からの
付き合いである。、と言っても大学時代、いわゆる「お付き合い」
をした訳ではないが・・・。
これも何かの縁。大学を出たあと、大極さんはお茶大大学院へ
行き、アメリカ留学というコースを歩み、私は小学校教員としての
生活をしていた。
ある講演会に呼ばれ講演をし、終わったあと、「小山君」と
言われ、最初は誰か分からなかったが、大極さんだった。

不思議な縁である。立派な息子さんと一緒に船上生活者や
障害児の医療支援(針灸関係)をしてくれる。
毎年、2回ほどフエに来ての支援活動に敬服する。
口では誰でも立派なことをいえる。しかし、大極さんの
ように毎年2回ほど定期的にフエへ来て、貧しい家庭、
障害者など「発展目覚しい?ベトナム社会」の影に
追いやられている人々を注視している人間はそれほど
いない。

投稿者 koyama : 2010年04月05日 22:07

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