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2010年04月07日
忙しい1日だった:連続する停電
快晴 少し気温が下がる。
ベトナム事務所はほぼ1日停電。
午前4時目覚める。
読書「若き友人たちへ」(筑紫哲也著:集英社新書)読了
故筑紫哲也氏の日本社会での立ち位置が分かる。
日本の敗戦を中学高校で迎え、集団疎開、縁故疎開と
2回の疎開を経験している。実戦の体験はないが
戦争体験を持った世代。戦争と平和については、確信を
もって発言している民主主義者でもある。
著者も言っているが、自分を敢えて言うなら「好奇心」の
持ち主と言っている。
あとがきは、筑紫氏の娘さんが敢えて入れて欲しいと
言った筑紫哲也16歳(静岡県立沼津東高校)時代の
原稿用紙16枚の自伝。敗戦直後の16歳の高校生の
書いたものとは思えない、冷静且つ客観的に自分を
見つめているまさに「ジャーナリスト」の萌芽を持った
自伝。一読の価値のある書。
午前7時朝食。
午前中、フエ市人民委員会にて数ヶ月前から訪問を
予約していた方を案内し、フエ市人民委員会
の国際課担当者との懇談の仲介。
午前11時半、昼食。
大塚・小山・原田・古竹の4人組の食事が
定着してきた。
午後12時半から昼寝。
午後も引き続きバオミンさんと一緒に訪問者を郊外に案内。
長男が怪我をして緊急入院。緊急手術をしたとの一報あり。
海外にいるとこうした事態が起こった時に何もできない歯がゆさ
がある。心配してもどうなるというものでもないのだが、
やはり親としては成り行きを案ずる。大事に至らないことを
祈るのみ。
最近のベトナムは停電が連続している。
ハノイもホーチミン市もフエと同様停電が多いそうだ。
フエでは地域を限定して「順番」に8時間ほどの停電を
毎日行っている。
今日もベトナム事務所は1日停電。一昨日もベトナム事務所
地域は半日停電。
私の泊まっている「ハイリーホテル」も午後8時に停電。
町中が停電となるので、「ハイリーホテル」の室内は
漆黒の闇と化す。エヤコンは止まり、静内は「温室」となる。
真っ暗な中で何もできず、ただ黙って椅子に座り、電気が
点くのを待っている。情けない図式ではあるが、これが
ベトナムの現実である。
世間では、メコン川流域のベトナム・ラオス・カンボジア・タイ
の諸国が同様の状態だと言っている。
ベトナムの電力の大半は「水力発電」。
しかし、メコン川の上流である中国が大きなダム湖を作り
水を貯めてしまったため、下流のラオス、ベトナム、カンボジア、
タイのメコン川の水が激減したとのこと。
中国側はそうしたことを否定しているが、メコン川の水が
激減していることだけは事実のようだ。
ベトナムでは「計画的に」停電を実施し、電力を確保している。
しかし行政は「計画的停電計画」を市民に一切公表していない。
今日も夜8時に「ハイリーホテル」は停電したが、事前に何らの
広報もない。
これが一番困るのだ。突然の停電。いつ点くかも分からない。
全てが行政任せ。「労働者・農民の国家」とは、突然停電となり、
いつ電気が点くかさえ教えてもらえない国家でもある。
『素晴らしい』国家である。
「人民に奉仕する」「全ては人民のために」「労働者・農民のために」
の実態は、突然の停電といつ電気が点くか分からない「漆黒の闇の
中で、体中から吹き出てくる汗と闘いながら、辛抱強く電気が点くの
を待つ」国家でもある。こうした「素晴らしい国家」のお陰で「忍耐力」
と暗黒恐怖症の私が少し「暗闇生活」にも慣れるという『利点』が
ある。ベトナム社会主義に『感謝』している。
今日は朝から午後9時過ぎまでバオミンさんと一緒に
訪問者とお付き合いをした。
フエのかなり郊外に行き、携帯電話がつながらず苦労する。
投稿者 koyama : 2010年04月07日 21:06