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2008年11月01日

JASS静岡の会主催講演会:「子どもの家」入所希望者家庭訪問

晴天

午前7時起床。ホテルの1階で食事。ロールパン、
野菜、牛乳、果物。私のあまり好きではない食事を
敢えて試みる。

午前8時から昨日の日記。ベトナム事務所などからの
メール受信。必要なメールを送信。

午前11時、ホテルフロントで静岡の会のAさんと
合流。

今日は静岡市の「大道芸祭り」。たくさんの人々が
街頭に出ている。

駿府城の近くにある和菓子屋で「あんみつ」を食べながら
学校の話などをする。
その後、Kさんの案内で駿府城へ行く。

駿府城内でも「大道芸大会」が行われていた。

駿府城内の「紅葉山庭園」を参観。


庭園内にある数寄屋造りの茶室「雲海」へ。
静岡本山(ほんやま)茶の玉露を頂く。
甘く、強いお茶の香りがする。
以前、岡部で飲んだ玉露の方が味も良く
美味しかったが雲海の玉露も味わいがあった。
三撰まで飲めた。


午後1時半過ぎ、講演会場の静岡市民会館へ。
静岡市は財政的に豊かなのだろうか?
立派な施設が多い。


午後2時、JASS静岡の会主催の講演会開会。

牧田JASS静岡の会代表より開会の挨拶。



笠井JASS静岡の会事務局長より講演会と私の経歴紹介。
今日の講演会は朝日新聞の地元版に紹介されているそうだ。

2時間弱、「子どもの家」の到達点などを中心に講演を
行う。


午後4時過ぎ、閉会。


会場には小学校5年生の時にJASS静岡の会
主催の「子どもの家」へのスタディーツアーに
参加したTさんの娘さんも来ていた。結婚し
2ヵ月のお子さんがいた。5年生だった子供が
赤ちゃんを抱いて私の講演会に来てくれたことに
感謝すると同時にベトナムでの活動の長い
年月を感じた。
可愛い女の赤ちゃんだった。


事務局長の笠井さんの車で静岡駅まで送って頂き、
新幹線で東京へ。

自宅着、午後8時半。

3日間の不在中に手紙などいくつかの郵便物があった。

今回の3日間の静岡滞在はなかなか内容の濃い
毎日であった。

ベトナム事務所より「新入所希望者家庭訪問」の報告

(バオミンさん・税田さん・ロック寮長が家庭訪問)

家族構成:祖父62歳、祖母61歳、父35歳、3人兄弟

        入所希望の子どもたち
● P THI  N(11歳)女
● P THI  G(8歳)女
● P T     (6歳)男

  父親は精神疾患。物事をしっかりと判断することができない。日雇いの仕事があ
  ればどんな仕事でも行くのだが(荷物運びや木の伐採など)、日当は全て飲食に
  使ってしまい、帰宅時には、無一文で酔っ払っている状態。今日も父親は仕事に
  行っていた。子どもたちの入所希望願は、父親が知り合いに代筆をしてもらったと
  のこと。父親は文字の読み書きができない。母親は4年前に家を出たまま行方不
  明。

  この一家は代々この土地で、農業(米とキャッサバが中心)をしている。農閑期に
  は、切ってきた細い木で箒を作り、町の市場で食料と交換をしている。現金収入は
  ない。生活が大変困難。洋服を買うことも出来ないので、地域の人たちから古着
  をもらって着ている。 
 
  小学校が学費を免除してくれている。
  そのおかげで3人の子どもたちは通学ができる。成績は3人とも「普通」

  「子どもの家」のことは、地域の人がテレビを見て教えてくれた。この一家にはテレ
  ビがないので情報がない。心配をしてくれている地域の人がテレビで見た「子ども
  の家」を実際にフエ市内に行って探してきてくれた。子どもたちの将来のことが心
  配。自分たちが元気なうちに、子どもたちの面倒を安心して見てもらえるところに
  預けたいというのが、祖父母の希望。


  ミンさんから「子どもの家」の説明
    衣食住の心配はいらない。安心して通学、職業訓練ができる。etc.

  3人の子どもはフエ市内には行ったことはないが、3人とも「子どもの家」に入所す
  ると意思表示をした。

 【ミン、ロック、税田の意見】
   長女の笑顔が税田にとっては救いではあったが、土壁、土間に布団のない木製
   のベッドがひとつ、電気、水道、そして、収入のない家庭での生活は、「緊急に支
   援が必要な子どもたち」だと3人の意見は一致した。今日は、父親には会えなか
   ったが、実際には、祖父母が子どもたちの面倒を見ていることと入所希望願は、
   父親の責任で書いているので、問題はないのではないかと思う。
    出来るだけ早く入所させた。
      
 

投稿者 koyama : 2008年11月01日 20:24

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