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2008年09月28日
「子どもの家」のこども退所式
終日曇り。時々雨
午前7時起床。ひどい頭痛と倦怠感。気候の変化が大きい。
ボランティア貯金申請書を書く。様々な資料をチェックし
ミスがない様に細心の注意を払う。
お米5勺で全かゆを炊く。塩でおかゆを食べる。
午前10時前、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のユオンさん・グエットさんの
退所式。父親(58歳)、ユオンさん(23歳)、グエットさん(19歳)、
セン「子どもの家」運営委員長、ロック寮長、バオミンさん、私。
(セン)今日はユオンさんとグエット姉妹の退所式を行う。
ただし、正式に退所するのは、下宿などが決まってからとする。
二人は1995年入所。今年で13年間「子どもの家」で
生活してた。ユオンさんは10歳から、グエットさんは6歳
からこの「子どもの家」で生活したことになる。
二人は今までの人生の半分以上を「子どもの家」で過ごした。
姉のユオンさんは9月22日付けでフールー小学校の教員に
仮採用された。(1年間の試行期間を経て1年後に正式採用)
給料もきちんともらえるようになった。18歳で退所すべき
「子どもの家」に既に5年以上も延長して住んでいる。
その期間、フエ高等師範大で3年間勉強し、教師の資格を
取得し、この度、自立することが出来た。
グエットさんは19歳。既に退所の年齢を過ぎている。
JASSの日本料理店に勤めて3年。接客主任として仕事
をしている。今日を区切りに自立する。JASS日本料理店で
は今までは研修生だったが自立後正式な店員・主任として
月給も満額もらえるようになる。JASS日本料理店の月給の
ならきちんと生活していくことが出来る。
(父親)13年間、「子どもの家」で生活させてもらい感謝している。
二人が仕事をするようになったので退所することは当然だと
思っている。今後二人の下宿探しやこまごまとした生活の
ことなどを是非面倒みてもらいたい。
自分はフォンディン郡で農民をしているので都会の生活
のことなどは分からない。今後も宜しくお願いしたい。
(セン)「子どもの家」は基本的には18歳で退所の決まりだ。
グエットさんは19歳、ユオンさんも23歳。
二人とも仕事を始めて月給も安定している。二人で
力を合わせて頑張って欲しい。
(小山)この13年間の「子どもの家」の先生やJASSの支援を
忘れないで欲しい。ユオンさんの給料とグエットさんの
給料を合わせれば、一般の人よりも多い位の給料と
なる。
自分たちで働いてもらった給料の範囲内で生活するよう
に。お金持ちの友達などの真似をしようとしても無理。
自分たちの「身の丈」を考えて生活をすれば、二人の
給料で十分である。二人はまだ若い。これから自分の力で
努力して立派な生活が出来るようになって欲しい。
実際に給料が入った後で下宿などを見つけ、実際の
退所となるよう1ヶ月程の余裕を見た方がよいと思う。
しかし、23歳と19歳になったということは、もう誰かに
頼って生きていくのではなく、自分自身の足で立って
生きていくことだ。何事をも自分で決める。決めたことが
間違っていたらその責任も自分にある。そうした自覚を
もって欲しい。
(ユオン)グエットと一緒に住むと自転車がない。
自転者を買って欲しい。
今後大学に行きたい。大学の授業料は年間200万ドン
(140ドル)。大学に行く費用を支援して欲しい。
2年間分で280ドル分をもらえないか?
(セン)仕事をしながら夜間の大学へ行くようにしなさい。
多くの人は、自分で仕事をしながら夜間の大学に
通い資格を取っている。何でも人に頼る姿勢はよくない。
自分の置かれている社会的な状況を理解するように。
(ユオン)大学に行くには2年間で300ドル程度かかる。
私の給料では出だせない。応援して欲しい。
また、小学校の先生の給料では生活するのは
大変だ。
こんなやりとりを2時間ほどする。ユオンさんは、小学校の教員
の給料は安いので生活できない。大学に行きたいのでその
学費を出して欲しいという2点を強く要求する。
セン運営委員長は多くの小学校の先生は1万5千円程度の
月給で生活している。一般の労働者の給料は5000円ちょっと
なのだから、3倍も新任教師でもらえれば十分だ、との見解。
更に妹のグエットさんが退所した段階で日本料理店では
65万ドンと夕食代(37万ドン)を支給する。約7000円強。
二人で毎月22000円強のお金があれば、超贅沢な生活をしない
限り十分生活していける。一般の縫製工場なので月給は
熟練工でも70万ドン(4600円)程度である。二人で22000円、
一人平均11000円もあるんだから「贅沢をしなければ」十分
生活が出来る筈。
最後に父親が『二人の子どもたちが成長できたのは、子供の家と
JASSのお陰」と話す。
二人は社会に出るのに不安を持っていることは確かだが、
いつまでも「ひよこ」のままで放置することは出来ない。
不安があっても子どもたちを社会に出し、社会の荒波と
闘いながら生きていくような子どもたちを育てなければ
ならない。一般の労働者の2倍程度の給料をもらっても
さらに支援をして欲しいという点は、セン委員長が
「大学に行きたければ、自分の給料を出して、夜間の
大学に行きなさい」と話すことに説得力がある。
二人はこれから自分の力で出発する自立の世界に
不安を抱えながら話を終える。
最後に保護者である父親が退所の文書にサイン。
最後に記念写真を撮る。二人の実際の退所は9月末に実際に給料を
もらい、その間に下宿等の諸準備が完了する1ヶ月後位だろうか?
里親からの12月までの支援金3ヶ月分も二人の手渡すことに
なっている。
送信者 08-9月28日 |
午後12時過ぎ、バオミンさん・セン委員長と「チャオバンカン」
(待つ店)へ。本店はフハウ地区にあったのだが、支店が
「子どもの家」の近くに出来た。
この店のチャオバンカンも200円ドン、3000ドン、5000ドン
と値上がりしているが味は落ちていない。
バオミンさんはフエ人らしく唐辛子を大量にぶち込む。
私は口内炎3つ。唐辛子はしみる。
午後1時、「ハイリーホテル」へ。
昼寝・読書せずに2009年度ボランティア貯金申請書を
書く。
午後4時、ボランティア貯金申請書を書きあげる。
必要な資料を添付して山西司郎さん・渡辺和代さんに送信。
9月30日が締め切り。何とか9月30日付でボランティア
貯金に提出出来ることを祈っている。
小山 2008年10月 日本帰国日程(予定)
09月29日(月)フエ出発(P7:10)→ホーチミン
ホーチミン発(23:35)→成田
09月30日(火)7:20成田着
10月01日(水)北海道行きの準備
02日(木)ANA羽田→オホーツク紋別
北海道雄武町「町民大学」講演会
03日(金)雄武町 サロベツ 名寄駅→札幌
04日(土)小樽 (日比谷国際フェスタ)
05日(日)小樽 (日比谷国際フェスタ)
06日(月)札幌
07日(火)P1~P5 札幌芸術高校講演会
札幌「エルプラザ」ホール
08日(水)札幌:北星女子中高講演会 宗教礼拝
①8:55~10:35 ②10:45~12:25
09日(木)石狩 藤女子大学人間生活学科講演会
10日(金)石狩国際交流協会:石狩市民図書館
JR手稲→新千歳→羽田
11日(土)
12日(日)P7 JASSスタディーツアー反省会
13日(月)Uさんたちとの懇談
14日(火)
15日(水)
16日(木)
17日(金)A11ピースインツアー本社訪問
P6:30高校クラス会
18日(土)秋の各地の会交流会(京都泊)
京都府国際センター主催講演会
19日(日)同上(京都泊)
20日(月)(名古屋泊)
21日(火) (名古屋泊)
22日(水)北海道芸術高校名古屋校講演会 15:00
23日(木)
24日(金)北海道芸術高校池袋校講演会
25日(土)Hさん長男結婚式
26日(日)
27日(月)P3洗足学園中高校講演会 P5五反田ブライセン藤木社長懇談
28日(火)P6教育を語る会講演会(東京板橋区)
29日(水)
30日(木)A10浜松 静大工学部(浜松校舎)懇談
夕方、JASS静岡の会と懇談会
31日(金)A9国際課長懇談
静岡市長との懇談(10時45分~11時05分)
(興静大学長・小山同行)
午後、記者会見(静大関係者と一緒)
静大関係者夕食会
11月01日(土)JASS静岡の会主催講演会
02日(日)
03日(月)文化の日
04日(火)
05日(水)
06日(木)北海道芸術高校仙台校講演会 15:00
07日(金)茨城県日立市立田尻小学校講演会
08日(土)茨城
09日(日)
10日(月)
11日(火)A6:30練馬倫理法人会講演会
P1:45栃木県宇都宮市立宝木中学講演会
12日(水)成田(18:10)→ハノイ
投稿者 koyama : 2008年09月28日 18:10