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2008年09月05日
グエンフエ高校開講式:北海道北星学園大学ツアー(11人)出迎え
晴天 猛暑(40度を超える) 夕方、小雨
午前4時目が覚める。読書「人間の檻」(藤沢周平著:講談社文庫)
読了。
藤沢作品の時代物は、市井の普通の市民の生活の臭いが
行間から読み取れる。獄医 立花登の叔父はうだつの上がらない
町医者。長屋の貧乏人ばかり診ているので収入がない。
それでいて、夕方になると「仕事」と称して飲みに行ってしまう。
妻に毎日のように「お小言」を言われているという「情けない叔父」
なのだが、主人公立花登を通して、「庶民の貧しい人たちから
払えるとき払えと言って病気を見ている叔父。そんな時でも
叔父は一切診察に手抜きはしない。そんな叔父が俺は好きだ」と
言わせている。夜間の中学を出て山形師範から戦後、中学校の
先生になったが、肺結核で療養、退職という「不遇」の生活を
したことが藤沢作品の底流に流れている。
午前6時45分、ソン君がタクシーで「ハイリーホテル」まで迎えに
来てくれる。今日はベトナム全土の開講式。日本風に言えば
新学期の始業式。
いくつかの学校から招待状が来ていたが、私は一番関係の
深い「グエンフエ高校」へ行った。午前7時過ぎグエンフエ高校
に到着。招待状の開始時刻は午前7時。7時5分に着いたが、
既に開講式は始っていた。
校長先生に案内され来賓席に着く。隣は、前フエ市共産党委員長
のクアンさん、その他前フエ省児童保護委員会委員長、
現フエ市児童保護委員会委員長、ホーチミン青年団、保護者会代表
・・・・。
開会式。オリンピックの聖火リレーを真似て聖火が入場
真夏の猛暑の校庭。生徒たちは、その中で開会式中は起立して
いた。日本でこれをやったら、貧血を起こして倒れる生徒続出ろう
などと思った。
開講は校長先生が「太鼓」(チャイム代わり)を叩く。
校長先生の話。新入生の挨拶。9月から大学に進学した
優秀な卒業生14人に記念品贈呈などが行われ、1時間
程で式典は終了。
「子どもの家」からNHI(ニーさん)が今年1年生として入学。
グエンフエ高校はフエ省立高校ではトップ校と地元の人は言っている。
午前8時45分、ベトナム事務所へ。昨夜、日本料理店
に来たオーストラリア人が「明日、午前9時にベトナム事務所
に言って話し合いたい」といっていたので待つ。
9時25分位まで待つが来ないので、溜まっている仕事をする
ため「ハイリーホテル」に戻る。
午前11時半昼食。
豚肉の脂を落としたもの、発酵した燃やし、肴の甘露煮。
午後1時まで日本語教師、大塚さんと世間話。
午後1時から1時間ほど昼寝。
今日はいつもより蒸し暑い。日本人の皆さんの
私見では40度はゆうに超えているとのこと。
私もそう思う。
今日は大安吉日のようだ。朝から「ハイリーホテル」の
近所で結婚式。マイクの音がうるさい。午後からは
近くの大衆食堂で飲みながらのカラオケ大会が始った。
下手な歌を大音量で歌う。うるさくて眠れない。
読書「汚辱の近現代史」(藤岡信勝著:徳間文庫)
夕方まである長い文書に関する関係者にメールを送る。
午後5時半、ソン君と一緒にベトナム事務所からバスに乗り
フエ空港へ。午後6時前に到着。午後6時半、北海道の
北星学園大学の皆さん11人が到着。
これから4日間のフエでのボランティア体験を行う。
ソン君と一緒に空港から夕食レストランへ。
ベトナム名物「フォー」(米の麺)を食べる。
午後8時過ぎ、ホテルへ到着。
ソン君がホテルでの生活の諸注意を行う。
午後9時。北星学園大学の皆さんの投宿を確認し、
私とソン君はベトナム事務所に戻ろうとした。
ホテルの前に3台ほどのシクロが泊まっていた。1台の
シクロの若い運転手が「シクロへ」というような動作をした。
北星学園大学の女子一人が、シクロの運転手席に
乗り数分間遊んだ。するとシクロの運転手は「変身」し、
お金を寄こせと大学生に迫ってきた。
私は丁度良い機会だ、と思いシクロの運転手の
腕を掴み、「シクロに乗ってないのにお金を寄こせとは
何事か?」と問い返した。シクロの若い運転手は
私も何も知らない日本人と見て「なめた態度」で応対
している。このシクロの運転手は今までもシクロを
触ったらそれだけで「お金を取る」という悪徳運転手を
繰り返していることがよく分かる。この際、日本人の
団体にや日本人、外国人になめた態度でひどいことを
すると「大やけど」を負うよ、という事を知らしめる必要が
あると考えた。私がシクロの運転手と言い合いになっている
の見た、シクロ仲間が相当集まってきた。近くの
DMZレストランの店員、更には、多くの近所のベトナム人が
集まって成り行きを見ていた。
私は「シクロに乗せないで3ドルも5ドルも寄こせというのは
でたらめも出ひどすぎる。警察に電話をする」と脅す。
シクロの運転手は私を初めてフエに来た日本人と思い、
なめた態度で「警察? 呼びたければ勝手に呼べ」と
何度も言う。私は何十人という「野次馬の前」で警察に
電話。多くのシクロやオートバイタクシーの仲間、
地元のベトナム人などは、どうなるのか?
成り行きを見ている。この日本人は口先だけで
警察に電話など出来ない、という雰囲気が漂う。
私がフエ市警察本部のAさんに電話をして5分後。
二人の制服の警官がオートバイで直行。
今まで外国人だから何も出来ないとなめ切って
いた若いヤクザのシクロの運転手は、シクロを
おいてあわてて逃げていってしまう。
シクロは警察から鑑札をもらい、管理されている。
警察がシクロを押収。ホテルのロビーで私から
事情聴取。事実を話す。警察は、フエ市警察本部
からの指令でやって来た地区の警察。
「日本人はフエの観光の中心。小山さんは
テレビで何度見ている。長い間、フエにたくさんの
支援をしている。私たちも良く知っている。
今後、何か小さな問題があっても直ぐに地域の
警察に連絡してくれれば、直ぐに駆けつける」
との話。
結局、馬鹿な若いシクロの運転手は商売道具のシクロを
おいて逃亡。しかし、商売道具を置いて行ったので、誰だか
人物は直ぐに特定されていまう。1ヶ月間ほどは
仕事が出来ないとのこと。この若いシクロの運転手は
今回だけでなく、今まで数多く、若い外国人の
女性に声をかけ、シクロの運転台に乗せ、その後、
シクロに乗ったのだから金を寄こせと脅迫し、
お金を外国人から巻き上がるというこことを行って
いたことが推定される。
今回、30分程のトラブルであった。フエ市のメイン通り
でのやりあいなので多数の「野次馬」「シクロの仲間」
「オートバイタクシー仲間」などが見ていた。
誰も想像しなかった電話から5分で警察が来たことに
驚いている。もちろん、多くの野次馬は私のことを
知っている。15年間もここに住んでいるのだ。
多くのシクロ、オートバイタクシー、野次馬は、
「下手に日本人に絡んだら、直ぐに警察を呼ぶ
力を持っている」と言う事実を知った。これは、
数日以内、口コミでフエの多くの人に伝わる。
午後6時半のフエとハイののテレビに私が参加した
グエン高校の開講式の様子が放映され、多くの
フエ市民が見ている。こうした形で、日本人への
犯罪を防ぐ一助になればと思っている。
午後9時、日本料理店閉店。
午後9時過ぎ、大塚さんと税田さんが「ハイリーホテル」へ戻ってくる。
私とリー君とハイ君は、近くの「飲み屋」に行く、冷やした
フダビールと豚肉のから揚げなどをおつまみに飲む。
飲み屋の親父も誘い、一緒に飲む。
今日の夕方のテレビで私を見たという。グエンフエ高校
開講式で写っていたとのこと。
午後10時過ぎ、私は一足先に「ハイリーホテル」に
戻る。リー君・ハイ君は日続き飲み屋で飲んでいた。
今日は朝6時45分から午後10時過ぎまで、長い1日だった。
投稿者 koyama : 2008年09月05日 18:44