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2008年09月03日

ベトナム人、ボランティア希望者懇談

●ウイルスの侵入で火炎樹日記の何日か分が消されてしまった。
 8月22日の火炎樹日記を再生した。ぜひ、目を通していただきたい。


晴天

午前7時の時点で32度。(5階の日陰。実際には34度位)
午後2時、36度。(実際には、38度位)

午前6時起床。
午前7時、朝食。「フォー」、美味しい。




午前8時半、ベトナム事務所へ。昨夜、ベッドの上に「ちょっと」
置いた眼鏡を間違って踏んでしまった。レンズが取れてしまう。
細いビニールの留め紐が切れる。
ベトナム事務所に来て、ソン君に頼み眼鏡屋さんに行って
直してもらう。見事に直る。2万ドン(150円)。

「じゃむじゃむ」の紹介でフエに来ているビン君としばらく打ち合わせ。



一度、「ハイリーホテル」へ戻る。8月22日の日記がウイルス侵入で
途中で消えてしまっている。書き直すため。

午前11時、再度ベトナム事務所へ。ビン君とビン君から日本語を
習っているT君とで話し合うため。午前11時過ぎにベトナム事務所に
来る予定のT君が来ない。午後12時まで1時間待ったが、とうとう
こなかった。ベトナム人の時間の観念と私の時間の観念とは
時々大きくずれる事がある。

午後12時過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰る。既に皆さん
昼食を終わっていた。税田さんは、大学生協スタディーツアー
の方が少し体調を崩したので様子を見に行き昼食に
遅れる。大塚さん、税田さんとで昼食。

午後1時半、ベトナム事務所へ。

「ハイリーホテル」の隣の家の息子さんがベトナム事務所へ。
ハノイでNGOの仕事をしていたそうだ。
JASSで働かせて欲しいとやってくる。
「ハイリーホテル」に住んでいるが、日本人はベトナム事務所
と「ハイリーホテル」の往復の毎日。近所のベトナム人と話した
ことはない。しかし、近所のベトナム人は「ハイリーホテル」
の住人が「子どもの家」や障害児施設、日本料理店、日本語学校
などを運営していることを良く知っている。
ベトナム人の「口コミ」の速さと正確さに驚く。


午後3時過ぎ、日本料理店のリー店長が黙々と日本料理店
の床掃除をしていた。リー君は完全に「化けたな」と思った。
化けたという意味は、真面目に日本料理店の店長職をやる気に
なったという意味。


人を信じるということは、結構難しいことである。
15年間ベトナムで生活し、ベトナム人に裏切られた回数は
数知れず。それでもこどもたちを信ずることが私たちの
使命である。「紆余曲折」があっても「螺旋階段」を登るが
如くこどもたちは成長するのだということを信じて。
その場のこどもたちの言動だけに目をやらず、長い将来の
こどもたちの成長を信ずること。

「ハイリーホテル」に再度戻り、ウイルスに侵され、削除されて
しまった8月22日の火炎樹日記を書き直す。


午後5時半、日本料理店へ。こどもたちと一緒に夕食。



投稿者 koyama : 2008年09月03日 16:49

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