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2008年07月12日

ベトナム事務所・「子どもの家」で活動

晴天

午前7時の気温38度。
日中は40度を越える。

午前7時、リー君・ハイ君と近くのブンボーの店で
朝食。

数ヶ月前まではブンボーは5000ドン。今日は1万ドン。
数ヶ月で庶民の食べ物が2倍に急騰している。
ベトナムの経済の異常さと混乱ぶりをブンボーを食べて実感する。
異常な「バブル」が収束期に入っていることは確かである。未だに
フエのバブルに踊っている悲しき踊り子たちがいる。
私たち日本人は1991年のバブル崩壊で「バブルはいつかは
崩壊すること」を体感した。ベトナムでははじめてのバブルの
体験である。この異常な成金体質・拝金主義がいつまでも
続くと思っている一部の人間に近未来に痛烈なしっぺ返しが
くることは明らかである。バブル崩壊を夢にも思っていない
無知なフエの人間を何人か知っているが、義理も恩義を
かなぐり捨てて、「金・金・金」に走っても羞恥心すら持たない
人間に成り下がっている。悲しい現実ではあるがこれも
ベトナムの現実である。

午前9時半過ぎ、「ハイリーホテル」を出て、「子どもの家」へ。
「子どもの家」でセン委員長と懇談。大塚さん、税田さん、
バオミンさん、私。話し合いの内容は、「当面の重要問題」。
話し合いは2時間に及ぶ。両者の完全な意見の一致を見る。


「子どもの家」では従兄弟の長島弘道・和子夫妻の支援で
子どもたちの部屋の大改修が行われていた。子どもたちの
部屋のペンキの塗り替え、ベッド等の作り変え、「子どもの家」の
回りの壁のペンキの塗り替えなどが行われていた。
もうしばらくたつと、「子どもの家」のA棟の子どもたちの部屋の
壁がきれいに塗り替えられ、ベッド等も新しいものに代えられる。
長島夫妻に心から感謝したい。今回、「子どもの家」の周囲の
壁、子どもたちの部屋の改修、トイレの回改修、子どもたちの
部屋の外壁のペンキ塗り等で100万円の寄付を頂いた。

http://www.kokushikan.ac.jp/newsevent/2007/071222.html



午後12時。大塚さん、税田さんと「コードー」レストランで食事。
私は鶏肉と野菜ご飯を食べる。
大塚さんにご馳走になる。

「ハイリーホテル」へ戻り、30分程仮眠。気温は
既に40度を超えている。

午後2時、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
日本料理店の厨房主任THUY(トゥイ)さんと懇談。
今後の日本料理店の件について突っ込んだ話し合いをする。


午後3時半、リー君を呼んで今後の日本料理店問題について
話し合う。

様々な問題をもっているリー君ではあるが、日本料理店の現在の
緊急な事態に対しては一番前向きな姿勢を示している。
15年間、リー君と付き合ってきた。様々な問題を包含している。
しかし、煎じ詰めれば「真面目」人間である。


午後5時半、リー君・ハイ君・大塚さん・税田さん・いぶきさん・
私で夕食。

午後9時まで会食と諸問題についての討議が続く。

読書「トロッキー永続革命論」(文光社)
非常に興味ある内容。3分の2ほど読みきる。
明日、日曜日読了の予定。

トロッキーという名前を聞くとある年代の人たちは
それぞれに強い反応を示す。
共産党系の皆さんは、「トロッキスト・トロッキー主義者」と
非難の気持ちをこめて呼称し、「新左翼」など中核派・
カクマル派、第四インター派などは、尊敬の気持ちを
込めてトロッキーを読み取る。
「トロッキー」と言う名前は、どうしても中核派・革マル派など
「極左暴力集団」を連想させてしまう。トロッキーがソ連のどのような
時期に何を言ったのかという歴史的事実を知ろうとはしていない
ように思われる。トロツキスト・スターリニストとの「レッテル貼り」
に終始している感が強い。

「永続革命論」は、1020年代に書かれたものである。
90年ほど前の文献であるが、内容は新鮮である。
トロッキーは、1905年の第1次ロシア革命、1917年の
ロシア社会主義革命の際には、レーニンとともに革命の
中心的な役割を果たした。しかし、1924年、レーニンの死後、
スターリンとの確執、権力闘争の中で、失脚し、「反革命分子」
のレッテルを貼られ、メキシコに亡命し、スターリンの刺客に
刺殺されたという経歴である。
今回、90年前のトロッキーの著作を読んで、第1に学んだことは
「論争」という名の「喧嘩」の仕方である。著者は、具体的な
文献・資料を丹念に提示し、批判する相手の書いた文章の
中の矛盾を指摘するという実に冷静な理論的な論争をしている。

スターリンは、トロッキーを反革命分子と断定し、その排除に
乗り出す。最大の焦点は「一国社会主義建設」の是非論である。
トロッキーは、当面の情勢の中(ヨーロッパでの社会主義革命
ができない中で、当面、一国社会主義はありうることを認めつつ、
大局的には、ヨーロッパでの社会主義革命の達成なくして、
一国での社会主義の建設は不可能)との立場をとっていた。
それに対し、スターリンは、一国社会主義建設の完了は可能
との立場に立ち、反対派を粛清し始めていた。こうした情勢の
中でトロッキーの考えに賛同していたロシア共産党ボルシェビキ派
の中でもスターリンからの粛清を恐れ、突然、トロッキー批判の
論文を書き出すという党員が続出。
トロッキーは、ラデックというトロッキーの永続革命論を支持して
いたロシア共産党ボルシェビキ派の論客が、突然、トロッキー
を批判したことに対し、詳細な批判論文を書いたのが、本書
「永続革命論」である。
本書を読んで、論争の仕方の核心は」「問題の本質を
どうつかむか」とうことであることが分かる。
長々と話しても問題の本質を理解していない論客の
文章は意味がない。そうした意味では、トロッキーは、
永続革命論がいかに「誤解」されているか?
いかに捻じ曲げられて論評されているかを具体的に
論評している。論争の基本的なし方がよく分かる。
トロッキーは1920年代に既にソ連の崩壊を予測していた。
その最大の理由は、「社会主義」を名乗りながら、共産党の
幹部か一部の官僚が特権を得て、労働者・農民(中農・貧農)
が貧しい生活を強いられているソ連の現状である。
スターリンがトロッキーは労働者・農民の同盟を否定している
との見解を明らかにした際、「私は労働者を中心に農民の
力を借りたプロレタリア革命を支持してる」と反論している。
私にとって、90年も前のスターリン派とトロッキーの論争ではあるが、
同時に私の今住んでいる某社会主義を名乗る国の実態は、まさに
トロッキーが90年前に指摘していた実態であり、その行く末すら
想像してしまうのである。

投稿者 koyama : 2008年07月12日 22:49

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