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2008年03月20日

ACCLフエ中央病院小児科交流:大学生協晩餐会

晴天

気温30度。湿度55%(午前11時)

今日は朝から太陽が出て、気温も30度。
それでも寒気を感じた。やはり体調が少し不良。

午前5時起床。
昨夜、洗濯機に入れておいた洗濯物が
完全に乾燥されていなかった。かなり水っぽい。
部屋に生乾きの洗濯物を干す。

午前7時朝食。
キャッサバ芋を粉にしたチャオバンカン。

リー君は午前6時半に「ハイリーホテル」を出て
市内の喫茶店へ行ったとのこと。


午前7時45分、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
午前8時、ACCLの渡辺さん、国立がんセンターの辻先生
と合流。
フエ中央病院小児科へ。渡辺さん、辻先生は今日から
10日間、フエ中央病院小児科の小児白血病病棟に
常駐し、小児白血病の治療、成績向上のための技量を
ベトナム人医師と一緒に指導・研究する。
2007年度のフエ中央病院小児科の小児白血病の死亡率は
50%。日本は20%弱とのこと。
極端に死亡率の高いフエ中央病院での小児白血病の治療を
ベトナム人医師と共同で行い、その中で死亡率の高い原因を
見つけ、改善することが今回のフエ訪問の目的。
ACCL(アジア・チャイルド・ケア・リーグ)は、フエ・ベトナム中部の
小児白血病の死亡率を引くするプロジェクトを実施している。

今日はフエ中央病院小児科にベトナム中部各省の病院から
派遣されている小児科医師で修士・博士号を取るためのフエに
来て勉強している先生方と中央病院小児科医師との合同打ち合わせ会。
全員で110人。中央病院小児科は30人。


渡辺さん、辻先生、私、バオミンが全体会で紹介される。


ACCL代表の渡辺さんが挨拶。


新旧医長の挨拶

その後、小児科医長室で『小児白血病』担当医師、
新旧小児科医長と10日間の小児科滞在中の様々な
打ち合わせを行う。


午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。


昼食は「貝の煮付け」「油揚げのサラダ」「パイナップルスープ」。


久々にリー君が昼食を摂る。昨日の暴力事件での処分を
受けて、少し生活態度を自粛しているのか?
今日は、真面目な態度に見えなくもないと言えるのかどうか
と言って良いのかどうかは分からないという人の意見を
あながち否定はできないとは思うのだが・・・・・・。


午後12時過ぎから昼寝。
まだ体調は完全にまでは復活していないが、仕事は出来る。
食事をしっかりとして、横になって休める時は休むという
2原則を実行中。

午後2時半頃、ナムドン山岳地帯で少数民族と交流している
税田さんから電話。大学生協ツアーの添乗員さんが体調を
崩し、39度ほどの熱があるとのこと。
税田さんと電話で話し合って、夕方フエに戻ったら
その足でフエ中央病院へ行き診察してもらうということに
した。バオミンさんにも連絡。バオミンさんも38度超の熱が
あり体調を崩している。ベトナム事務所で仕事をしていた。
バオミンさんに帰宅するよう促す。要人との訪日、春の
スタディーツアーの受け入れなど忙しく過ごしている。
若いとは言え、やはり無理に無理を重ねているのだ。
仕事以外にも不必要な用件で相当エネルギーを
「浪費」している。早く、体調を回復して欲しい。
今日は、仕事をストップして帰宅した。
家で薬を飲んでいるとのこと。

ナムドンに税田さんと一緒に行っているソン君が、
体調不良の添乗員さんを病院に連れて行くことにした。

地球の歩き方ツアーには、ハンさんとクアンさん。
日本語学校はハンナ先生・千草先生・ゴック先生と
ベトナム事務所は、総力を上げてスタディーツアー・日本語学校
などへの対応を行っている。

午後5時過ぎ、大学生協スタディーツアーがホテルへ戻る。
ソン君が添乗員さんを連れて病院へ。スタディーツアー参加者の
対応は税田さんが行う。

午後5時半。バオミンさんから電話。
添乗員さんをフエ中央病院へ連れて行ったソンさんから
バオミンさんに電話あり。
JICAが作った新しいフエ中央病院へ添乗員さんを連れて行った。
熱があり、短時間ベッドで休息したそうだ。
医師は「休息料」として100ドルを要求。ソンさんは、対処に困り
バオミンさんに電話をしてきたという訳である。
JICA支援の実態である。冷房完備の立派な病院の箱物は
作ったが、運営は、ベトナム側がするという「支援方式」。
結局、ベトナム側はお金がないので、患者から法外なお金を
取る事で病院運営をせざるを得ない。リー君のナイフ刺傷事件の
際もリー君は医師から「お前いくら持っている」と聞かれ、
800円というと、7針縫っただけで追い返されてしまった。
翌日、私たちが協力しているフエ市立病院へ行き、消毒と
化膿止などの薬をもらい、3日間の通院治療をした。
仕方がないので、フエ中央病院の幹部に電話。
事情を話し、常識的な料金にさせる。
ベッドで若干の時間休息しただけで1万円ものベッド料を
取るのは法外である。治療費・薬代は別なのである。

雑誌「子どもと教育」5月号の原稿と11枚の写真を出版社に
送る。6ヶ月間の契約。今回が6回目の原稿。最終号となった。
1回4000字の原稿。たいしたことはないと思い受けたのだが、
1ヶ月が直ぐにやって来て、結構、精神的なストレスになった。


午後6時。全国大学生協スタディーツアーの皆さんと
ベトナム事務所員との交流晩餐会。
スタディーツアーからは11人の参加者。ベトナム事務所は
小山・税田・ハンナ。

ホンニー店長がメニューを紹介


午後8時半過ぎ、日本料理店スタッフの紹介。

午後9時前、大学生協スタディーツアーの夕食会終了。
税田さんが皆さんを案内して徒歩でホテルへ。
私がベトナム事務所で帰宅の準備。

税田さんから電話。日本料理店をちょっと出た所で
外国人が血を流して倒れているとのこと。
急いで現場へ行く。70歳代のイギリス人男性が
大量の血を流して倒れていた。数十人のベトナム人が回りを
取り囲んでいる。

ドイツ人の青年が倒れた英国人の面倒を見ていた。
私は現場に着き、ベトナム語で「事情を知っている人」と
大声で聞いてみた。一人のベトナム人が来て、
自分はホイアンから来た観光ガイドだ。
倒れたイギリス人はフォンザンホテルに泊まっている。
奥さんもホテルにいるという。
そのうち、ベトナム人の誰かが救急車を呼んだらしく、
救急車が来る。急いでストレッチャーに乗せ、
フエ中央病院へ運ぶ。
私とドイツ人青年、ホイアンガイドの3人でフォンザンホテル
フロントへ行き、奥さんを呼び出す。
奥さんと友人が3人が出てくる。ベトナム人ガイドも一緒に。
奥さんに夫の症状とフエ中央病院に行ったことを話す。
ベトナム人ガイドに「急いでフエ中央病院へ行くように」話す。
奥さんに旦那の様子を手短に説明する。意識はあること、
倒れてお尻を打って大量の出血をしていること。
時々、意識が薄れていることなどを話す。
タクシーを呼ぶ。奥さんと仲間、ガイドがタクシーでフエ中央病院
へ行く。
残ったドイツ青年と簡単な会話。ドイツ青年は偶然英国人が
倒れた場所を通りかかったとのこと。黙って通り過ぎることも
出来ず、英国人に声をかけていたとのこと。
ドイツ青年のシャツは血で真っ赤。腕も血だらけ。
韓国人か?と聞かれたので、日本人だ。ストリートチルドレン
や障害児支援のNGOをしている。近くで日本料理店も
やっていると話す。
ドイツ青年は、仲間がいるので帰るといい、協力してくれて
ありがとうと英語で挨拶をして帰って行った。

ドイツ青年、ホイアンのベトナム人ガイド、救急車を呼んだ
ベトナム人、だれもお金とか名誉とかに関係なく、
一人の人間の生命に関わる重大事を目の前にして
黙っていられず、何らかの行動をとったのである。
英国人の出血昏倒事件を通して、人間の本質に
他人が困っている状況を見たら黙っていられないという
DNAがあることがはっきりと分かった。
国籍は色々だが、人間の命の瀬戸際にあるとき、
人間は自分のできることをしたいと思うのである。
私に電話をしてくれた税田さんも黙っていられない
人間である。
多くの人間の善意でこの英国人の命が救われることを
願っている。

午後9時過ぎ、ホンニー、トウオイ、ハンナ、千草の
皆さんと「ハイリーホテル」へ。税田さんは日本料理店で
最後の仕事。リー君は税田さんを守って「ハイリーホテル」へ
帰ると言って日本料理店に残る。

午後10時。バオミンさん・ソンさん、が添乗員さんを連れてホテルへ
戻る。税田さんから状況報告。リー君は税田さんの護衛で
税田さんについて「ハイリーホテル」まで帰るという。

投稿者 koyama : 2008年03月20日 13:06

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