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2008年03月16日

地球の歩き方スタディーツアーⅥの皆さんと懇談

晴天

午前8時に気温28度。湿度60%。
やっと例年通りの気温となり、過ごし易くなる。
検温。微熱あり。
朝から耳が飛行機の急降下時のように「ガーン」となり
なかなか治らない。急に温度が上がり、気圧の変化の
影響か? 飛行機に乗るといつも同じ症状になるのだが・・。

午前8時半、昨晩の地球の歩き方ツアーとの
交流会の残りの「コロッケ」などをおかずに朝食を摂る。
1キロ1万ドン(65円)のお米を炊飯器で炊く。あまり
食欲なし。

午前9時。「ハイリーホテル」の近くの広場で下着などの
古着を燃やす。1時間ほど監視。
7人の「くず拾い」の女性が『燃やしているものを頂戴い』という。
監視していないと燃やしている火を消して、古着の下着などを
もって行く可能性あり。暑い中、焚き火と格闘。疲労困憊(こんぱい)。

午前中、横になり休む。
午後2時、税田さんから電話。地球の歩き方スタディーツアーの
何人かの人が「子どもたちの事」「貧困問題」などについて
話を聞きたいとのこと。
急いでベトナム事務所へ行く。添乗員さんを含め5人の
学生さんと話し合う。ベトナムの歴史、帝国主義・新旧植民地主義
などについて話す。「皆さんの大学にJASSを作って欲しい」と
お願いする。体調不良で声がかすれて出ない。
地球の歩き方や大学生協で来る学生さんたちは本当に真面目な
学生さんたちである。しっかりとした学力と問題意識を持っている。
未来を託くせる若者たちである。「今時の若者は・・・・」などと
非難がましく言う人たちには、是非、「子どもの家」を訪問する
若者を紹介し、見てもらいたいものである。
昨年「還暦」を迎えた。もう、それほど長く生きていることもないと
思う。今はもうお金も地位も何も要らない。
次代を担う若者に何かを伝えたいという一念だけが残っているだけで
ある。


1時間弱の話し合い。

午後3時20分。ホテルからフエ空港へ。
税田さん・ソン君などが見送り。ホテル玄関で記念撮影。


JASS支援者「ホシマタグループ」が
素敵な『レトロモダンな蔵造りカフェ&ギャラリー』
を上尾市原市737番地に開店。何かの機会にお立ち寄りを。
http://www.hoshimata.co.jp/yamamotoya.html
電話048– 723– 3901

数日前から体調不良。空いている時間は横になっていた。
「与謝野源氏(中)」、かなり読み進む。

「蛍」「常夏」「篝火(かがりび)」「野分」「行幸(みゆき)」
藤袴」「真木柱」「梅が枝」「藤のうら葉」。源氏39歳。
準太上天皇(天皇譲位後の上皇・院に準ずる)の位に就く。
与謝野源氏は現代語訳の第一号。登場人物が年齢に
連れて昇進し官職名が変わる。与謝野源氏は、説明なしに
新たな官職名が突然出てくるので、与謝野源氏を最初に
読むと理解が難しい。瀬戸内源氏・田辺源氏を読んで
与謝野源氏を読むと理解が容易い。

午後6時半、何故か「ハイリーホテル」のインターネット
が通じるようになった。

午後7時、ベトナムのほか弁:コムディア(1万ドンー65円)を食べる。


ヨーヨーマのチェロで「ソウル・オブ・タンゴ」を聴く。
ヨーヨーマのチェロを聴くと何か心が落ち着く。
アジア人の心がどこかに流れているのだろうか?

読書「与謝野源氏(中)」「若菜(上)」。

早めに就寝。

中国政府のチベット民族弾圧に抗議。
昨年、「ダライ・ラマ伝記」を読む。
チベットは、1940年代までは「独立国家」だった。
1950年に中華人民共和国の軍事侵略を受け、占領。
中国人がチベットの政治・軍事を独占。チベット民族
の伝統文化・精神活動を禁止。
1989年の天安門事件を見ても中国は、人間の命を
虫けらのように扱う。天安門で自由を叫んだ市民を
戦車でひき殺すという残忍な軍事国家。
既に60年間、チベット民族は同様の軍事圧制を受けている。
中国の人権と人間の尊厳と自由・命を無視する政治体制を
忌み嫌う。

投稿者 koyama : 2008年03月16日 18:18

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