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2008年03月07日

通常のフエ生活に戻る

終日雨    休肝日


気温19度。湿度95%。寒さ復活。今年は本当に異常気象。
例年なら気温30度前後。半袖・Tシャツで過ごしているのだが。
朝から雨。気持ちも沈む。

日本では河津桜や梅が咲き始め、春近し。


午前7時朝食。
インスタントラーメン(10円強)にお湯とキャベツの細切りを
入れたもの。至って簡素な朝食。
日本のテレビを見ていた。赤坂に「赤坂ビズタワー」とか言う
大きな建物が出来たとのこと。
1階は「リーズナブル」な値段の食堂がたくさんあると
アナウンサーは言っていた。中華食堂。「レッドリバードラゴン」という
とんかつ。1食1650円。1650円の食事は日本では安いのか・・・?
10円の朝ごはんを食べながら、日本人の表面的な「贅沢さ」を
考えた。


昨日、バオミンさん・税田さんとでリー君を呼んでお説教。
テト休暇中に生活が乱れ、朝食・昼食をみんなと摂らず
どこかへ行ってしまう。日本料理店開店中も日本料理店前の
かばん屋に入りびたり、賭けトランプに興じていると言った
状況。
仕事をするということ、規則正しい生活をすること、
仕事でお金をもらうということ、リー君の将来・人生を
どう考えているのか? などを話し、意見を聞く。
これからしっかりと生活すると言っている。

今朝は、朝食に出てきた。午前10時には、地球の歩き方
スタディーツアーの皆さん(18人)と一緒に雨の中ナムドン
山岳少数民族訪問に同行した。
いつも「左右に揺れる」リー君ではあるが、私たちが
諦めた途端にリー君の人生は「自堕落」(じだらく)な
人生になってしまうのではと思い、強い忍耐と長期的な
視野で付き合っていく心づもりではある。

「教育」とは何だろうか? 人を教え・はぐくむということは、
究極的には「人間を育てること」であり、自立させることである。
自立させるということは、自分で働き、生きていく人間を
育てること。リー君とのこの10数年間の付き合いも
大きな目で見れば「教育」、人を育てるということになるの
かも知れない。時間とエネルギーのかかることだ。
人を育てることに『手抜き』や労力・費用を惜しむようでは
本当の教育ではない。
今の日本の教育界の風潮には何か違和感を感じる。
学校も教師も教育委員会も文科省も子どもたちを
トータルとして人間としてみていない。人間を育てる
という視点が根本的に欠けている。
時間とエネルギーと費用をかけ、忍耐力をもち
子どもたちの成長を見守ってやる大人が日本の
子どもたちの回りにどれだけいるのだろうか?
予備校のテストのような試験にだけ目が行っている
日本の教育界の風潮に異議申し立てをしたい、などと
ベトナムで「心の中で吼えている」今日この頃である。
一緒の建物に住み、一緒に日本料理店で仕事をしながら
リー君の人生に付き合って行こうと思っている。
これも何かの縁(えにし)である。リー君の成長を願っている。


朝食後、ハイ君は1階食堂の掃除をしていた。
自分に与えられた仕事に責任を持って遂行しようと
いう気持ちが少しずつ出てきたのか?
自分の役割りを自覚するということが子どもたちには
大事。

午前中、受信メールの確認。必要な返事。
洗濯。洗濯機を修理はしたものの完全には
直っていなかった。部屋の掃除。

日本のNさんに電話連絡。
宇都宮縫製工業組合佐藤理事長と電話連絡。
バオミンさんはナムドン山岳民族訪問に同行中。
バオミンさんと何度か縫製研修センターミシンの
件で電話連絡。

午前11時半昼食。
川魚の甘辛煮、漬物の油炒め、野菜スープ。
千草先生・ハンナ先生は仕事で若干遅くなる。



午後1時過ぎから昼寝。寒い。やかんでお湯を沸かし、
圧力鍋にいれ、バスタオルで包み即席湯たんぽを作る。

午後2時読書「与謝野源氏(上)」
松風の巻き。須磨明石に「流され」ていた源氏が
明石で出会った「明石の君」を京都郊外の大井に
呼び寄せる。父親の入道とも分かれて明石の君は
源氏の子ども、母親と共に京郊外の大井に移るが
寂しい。

「身を変えて一人帰れる山里に聞きしに似たる松風ぞ吹く」
と明石の君は詠む。明石の海に吹いた松風を思い出すと
言い、明石に残してきた父親や家族、明石への愛着を
歌った。


午後、かなりの雨の中、ベトナム事務所へ。荷物を置いて
フエの秋葉原電気街に電気のコードを買いに行く。

午後5時半頃、地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんが刺繍みやげ物店で刺繍を買ってくれる。ありがたい。

午後5時半夕食。

イカと野菜の煮物、もやし炒め、金平、卵スープ


午後6時半、日本料理店開店。昨日も雨。お客さんはゼロ
だった。今日も雨なのでどうなるか?と子どもたちも
心配していた。

午後7時半、イタリア人・フランス人夫妻4人が来店。
ロンリープラネット(欧米系最大のガイドブック)を
読んで来たとのこと。「貴方がMR JASS MANか?」
と聞かれる。日本料理店の住所が違っているとの
指摘。以前のトンチンカンホテルの住所になっている。
お客さんはロンリープラネットのメールアドレスを示し、
ここに連絡し、訂正するようにとのこと。
「ごぼう」とはどんな食べ物かを聞かれる。
テンプラ、トリのから揚げ、生ビール、テンプラそばを
注文。

その後、8時20分頃、欧米系の女性2人が来店。
午後8時40分、更に2人の欧米系の来客あり。
フランスから来たNGO。明日隣のクアンチ省に
行くとのこと。
雨の中、良く来てくれたと感謝の気持ちである。
子どもたちもせっかく準備した料理が無駄になるので
お客さんが来ることは喜びである。
欧米系の来客8人ということで、リー君が活躍。
ホンニー店長の通じない部分をリー君が通訳していた。
最終フランス人が帰ったのは午後10時過ぎ。
護送船団方式で「ハイリーホテル」着、午後10時20分。
帰宅は雨の中。


投稿者 koyama : 2008年03月07日 18:36

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