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2007年06月04日
「子どもの家」のAさん日本料理店研修生へ
晴天
午前7時、気温35度。(廊下)
蒸し暑い1日だった。
午前7時、朝食フォー。
午前8時半、バオミンさん、サンさんとJASS観光のことで
緊急打ち合わせ。
「子どもの家」のA子さん(17歳:中学4年)。卒業試験が
不合格となり留年が決定。フエ郊外の田舎に母親がいる。
母親がセン「子どもの家」委員長に『「子どもの家」を退所
させて、田舎で研修させる』と言い、退所届けを持ってきた。
先週その話を聞き、今日ベトナム事務所に母子を呼び出す。
A子さんの弟のT君も「子どもの家」にいる。母と姉・弟に3人
家族。
午前9時過ぎ、A子さんと母親(51歳)がベトナム事務所に
やってくる。
母親は知り合いの家庭で食事を作ったり掃除をしたりして
1ヶ月70万ドン程度(6000円)の収入があると言う。
父親は分からない。A子さんと弟のお父さんは違う。
正式な結婚をしないまま子どもが二人いるというのが
現状。
母親は小学校3年までしか行っていないとのこと。
母親にどうしてA子さんを急に退所させて田舎で研修させる
と言い出したのか?と質問する。
母親は概略、以下のように答える。
自分は結婚しないで二人の子どもたちがいる。生活が出来ない
ので子どもたちは「子どもの家」で長年お世話になっている。
田舎の山に狭い土地を持っている。友達に勧められ、2000ドル
(22万円)借金して小さな家を建てた。
自分はお手伝いさんとしてある家に泊まり込みで仕事をしているし、
二人の子どもたちは「子どもの家」にいるので、誰も住んでいない。
家が出来て、将来子どもと一緒に住めると思っていたら、毎月の
借金返済が出来ない。利息だけで毎月60万ドン。自分の給料が
70万ドンなので到底返済できず、督促され困っている。
そこで娘のA子を「子どもの家」から退所させ、フエ空港近くの
工業団地内にある「お茶碗工場」で働かせるつもりだ。
そのお金で借金の利子の返済をしたい。
母親としばらく話す。母親は生活経験も弱く、ものごとを論理的に
考える力がかなり弱いようだ。
結局、日本で言えば「闇金融」に騙されたようなもの。
日本では「闇金融」を使う人は高金利ということを知った上で
借りていることが多い。しかし、A子さんの母親は利息という
もの自体をしらないようだ。毎月の収入が70万ドンで利息だけで
毎月60万ドン取られるわけだから、常識のある人間なら
こんな高金利の意味のない危ない借金はしない。
家を建てても直ぐに住む訳でもないのである。
母親は『闇金』に「無知」をつけこまれ、事実上、騙されて
高金利の借金をしてしまい、借金地獄に落ち込んでしまった
のである。
母親はとにかく直ぐにお金が欲しい。工業団地のお茶碗工場で
A子さんを働かせ、50万ドン程度でもお金が直ぐ欲しいという。
かなり焦っている様子が伺える。ヤミ金に脅されているかどうかは
不明だが直ぐにお金が欲しいことは事実。
A子さんに聞く。お母さんの言っているように工業団地内の
お茶碗工場に行くつもり? 勉強はしないの?と。
A子さんは「私は勉強が嫌いなので、学校へは行かない。
母がいうようにお茶碗工場に行って働く」と答えながら、
その頬には涙がこぼれていた。母親も泣いている。
母親はヤミ金でどうしようもない生活に陥り、娘に
頼るしかない親の自分が悲しいと泣いているのであろうか?
私は、お茶碗工場で働いても50万ドン程度の給料。そこから
食費、交通費を引くと手に残るのは、30万ドン程度(2500円)。
それなら「子どもの家」に残り、日本料理店で働いた方が良いと
思うが・・・、と意見を言う。
お母さんは、「私の頭がゴチャゴチャになっている。自分では
どう考えていいのか分からない。小山先生、私たちの良い方向
を考えてください」という。
私はとりあえず、毎月ヤミ金から追求されている現状を凍結する
ためには、日本料理店で働くのが一番良いと思うと助言。
「子どもの家」にいれば食事は無料、日本料理店で働けば
毎月50万ドンの給料を支給する。50万ドンは全額お母さんに
渡せる。とりあえず、A子さんが日本料理店で働いた給料を
「利息」に充当することでお母さんが安心できると思うと、A子さん
の日本料理店就職を勧める。
お母さんは、泣きながらA子さんを日本料理店で仕事をさせて
欲しいという。私は、JASSは子どもたちを助けるためにフエに
いるので、これは私たちの仕事であり義務です、と話す。
A子さんのお母さんは、複雑な生い立ちと人生の中で十分な
勉強の機会を失っている。ベトナム戦争が終了した1975年、
お母さんは19歳。フエ郊外の貧しい農家の娘であった。
戦争と貧しさで学校にも行けず、読み書きも十分出来ないまま
二人の男性との間に二人の子どもをもうけ、その後、30年近く
メイドや様々な仕事をしながら生きてきた。
お母さんに「借金の利息の利率は何%ですか?」と聞いてみた。
お母さんは、利率自体を理解していなかった。利息という概念を
しらないお母さんを騙して、「子どもたちのために家を建てなさい」
と勧めたヤミ金業者のずる賢さを糾弾したい。
今日はとりあえず、利息返済に苦しんでいるお母さんのために
毎月50万ドンの返済金を渡せるようにした。
A子さんは厨房に入ることにした。厨房で日本料理を覚えて
欲しい。
その後、何とか、ヤミ金業者との闘いに臨むつもりである。
借金そのものをなくす闘いをしなければならない。
どこの国にも弱い人間を騙すずる賢い人間がいるもので
ある。今は、借金の利子返済で苦しまないようにすることが
最大の課題であるが、直ぐに借金そのものをなくす闘いに
移行しなければならない。暑さで萎えていた闘志が急に
湧き上がって来た。闘い・闘い、不正義との闘い。
A子さんは明日から日本料理店に来ることになった。
ベトナム事務所2階の会議室でA子さん母娘と話し合いを
終わり、ベトナム事務所に行く。
1995年~2000年まで「子どもの家」にいたグエン君(26歳)
が結婚するので招待状を持って来たと言ってベトナム事務所に
いた。
グエン君は現在フエ経済大学3年生のメンさん、グエンフエ高校
で優秀賞を受賞しているトゥーイさんの兄である。
2000年に「子どもの家」を退所し実家に帰り農業をしていた。
6月13日(水)午前8時に自宅で結婚式をするとのこと。
「子どもの家」で一緒に生活したソン君と話をする。
「子どもの家」でグエン君と一緒に生活していた刺繍の
ハンさんと懇談。
昼食。コムディア(ほか弁)75円。
昼寝。1時間。
午後1時半。読書「漢字の起源」
午後4時、日本料理店へ。
土曜日に話し合ったターオ君が出勤していた。
やはりやる気があったのだ。私はかなり厳しく
ターオ君にお説教をした。しかし、やはりやる気が
あったのか?
厨房で食器を洗っている。
久しぶりの兄弟の会話
午後5時半、子どもたち、日本人スタッフと夕食。
午後6時半、日本料理店開店。
今日は8人の来客。日本人4人、ドイツ人1人、
フランス人2名、シンガポール人1人。
午後9時、日本料理店閉店。
日本料理店閉店間際に6月1日誕生日のターオ君の
誕生会を行う。
子どもたち、日本人スタッフ全員でターオ君に「HAPPY BIRTDAY」
を歌う。
帽子を誕生祝いにプレゼント
誕生ケーキのロウソクを吹き消す
みんなで誕生ケーキを食べて、ターオ君の誕生日を祝う
この2週間ほど日本料理店に来ていなかったターオ君である。
土曜日はかなり厳しくターオ君を叱った。警察に通報すると
まで言った。その後、色々と考えたのだろうか?
とにかく今日、出勤してきた。他の子どもたちも何のわだかまりも
なくターオ君を受け入れていた。これから日本料理店の厨房で
しっかりと仕事をし、自分の未来と人生に夢を持ってもらいたい。
午後9時過ぎ、日本料理店閉店。
投稿者 koyama : 2007年06月04日 18:58