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2007年04月14日

「子どもの家」卒業生THUYさんの結婚式

晴れ

久しぶりの晴れ。湿度高し。蒸し暑い。

午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時、ベトナム事務所員会議だったが、皆さん、日程の都合が
付かず中止。

午前8時半、「子どもの家」のスタッフが日本料理店前へ。
セン「子どもの家」所長、ニエム寮母さん、フオン前「子どもの家」
料理スタッフと一緒の車でベトナム事務所へ。
バオミンさんを乗せて、「子どもの家」の卒業生THUYさん(23歳)
の結婚式へ。
結婚式は、トゥアン・アン海岸近くの新郎の自宅。
ベトナム事務所から車で30分ほどかかった。
直ぐ近くが海岸である。町中の道路は砂。
車が入れる道まではたどり着いたが、誰も新郎の自宅を
知らない。町の人々に聞きながら大通りまでは何とか
行けたが、後は徒歩。砂道を歩く。町のはずれの低湿地帯に
ある農家が新郎の自宅。

THUYさんは、「子どもの家」の出来た時から入所。
本籍はクアンチ省だが、ホーチミン市からやってきた。
諸般の事情があった。当時、小学校4年生位だったと記憶する。
なかなか統率力のある子どもだった。当時、私はTHUYさんを
「女番長」と呼んでいた。

中学を卒業する頃に事情があってホーチミン市へ。
ホーチミン市でも口に出来ないような災難に遭う。
17歳位の頃、「ホーチミンにいるが、苦しい。助けて欲しい」
との手紙が私のところに来る。直ぐにフエに帰ってくるよう
連絡。「子どもの家」に戻る。成人に近づき、「料理の勉強をしたい」
との本人の希望があり、ハノイの料理学校へ入学させる。
料理学校を卒業しフエへ戻る。料理のライセンスを生かした仕事を
しようとしたが、なかなか就職先が見つからなかった。
私が知り合いのフォンザンホテルの社長に紹介し、フォンザンホテル
厨房のスタッフとなり、今日に至っている。フォンザンホテルでの
仕事も数年になり、かなりの給料ももらえるようになった。

友人の紹介で新郎とめぐり合い、今日の目出度い日を迎える
ことになった。

午前9時過ぎ、新郎の自宅へ到着。典型的な貧しい田舎の
農家といった佇まい。家には、豚の飼育小屋が併設されていた。


●豚小屋。今日はお祝いの料理を作る臨時厨房

結婚式は既に終了していた。今日は午前中親戚や年長者
などを招いての結婚披露宴。午前12時からは、若者や
友人を招いての披露宴が予定されている。

新婚家庭となる新郎自宅の入り口に飾られている二人の写真。
披露宴の家へ入る前に幸せそうなTHUYさんの写真を見て
胸が一杯になる。

私たちが入った時には、既に披露宴は開始されていたようだったが
司会者が改めて披露宴の開会を宣言。

新郎の両親、新婦の父親が前に出る。
新郎の父親が新郎新婦を紹介、挨拶。
その間、新婦THUYさんはただただ、泣いていた。
嬉し涙なのか、今までの人生を思い起こしての
涙なのか?

続いて、司会者が「今日は、新婦が育った子どもの家の
日本人責任者が来ています。挨拶をお願いします」
と私を紹介。私が急に挨拶をする羽目になってしまった。
バオミンさんの通訳で挨拶。新郎とご両親へのお願いとして
THUYさんを幸せにして欲しいと言う。

新郎は生まれて初めてスーツを着たようで、披露宴の3分の2は
緊張して笑い顔が全くなかった。それほど、真面目な好青年と見た。

続いて、オルガンの生演奏で「カラオケ大会」となる。
カラオケ大会が始まる頃になると新婦THUYさんにも笑顔が
出てきた。新郎側のご両親も新郎もかなりの間、緊張していた。
農村の純朴な真面目な家庭という雰囲気が漂っている。

●新郎のご両親と新婦THUYさんと記念写真

新郎新婦、ご両親が列席者の机を回って挨拶。

●「子どもの家」関係者のテーブルで。

●THUYさんが子どもだった頃、「子どもの家」にいたスタッフも
 かけつけてくれる。「子どもの家」開所当初の警備員さんや
 10年間、「子どもの家」の厨房を預かっていた『肝っ玉母さん』の
 フオンさん(数年前に退職)、開所当時からいる寮母のニエムさん

●現在の「子どもの家」スタッフ


●会場に張ってある新郎名「NGOC MINH」

●会場に張ってある新婦名「THI THUY」

●「子どもの家」スタッフと新郎新婦と新郎の両親


披露宴には新郎の親族が多数参加。新婦の親類も若干。
ベトナム農村の典型的な質素な披露宴である。
こうした披露宴は心が篭っていて親しみがもてた。

「子どもの家」スタッフもカラオケ大会に参加。

●元料理スタッフのフオンさん、現スタッフのニエムさん


披露宴も終わりに近づき、私も新郎新婦と記念写真を撮る。
この頃からやっと新郎に笑顔が出てきた。

午前11時過ぎ、披露宴は終了。

新婦THUYさんが、一番尊敬し、またTHUYさんの面倒を
みた料理のフオンさんと。一緒にいるのは、THUYさんの
異母妹。


会場出口で「子どもの家」関係者全員で記念撮影


午前9時からビールを飲み、かなり酔いが回った。しかし、気分の
良い酔いであった。
10歳の子ども時代から故あって「子どもの家」に入り、紆余曲折
があった。とにかく手に職をつけて『自立』し、今日目出度く
結婚するまでの13年間、THUYさんと付き合うことが出来たのは、
なによりも幸せな体験であった。「子どもの家」の子どもたちが
自立し、社会で活躍している姿を見ることが何より嬉しい。
海外支援、ボランティアというのは、人間が生きていくと言うことの
最高の喜びなのかも知れない。こうした経験をさせてくれた
THUYさんに改めてお礼を言いたい。
そして、今まで言うにいえない不幸と苦しみの中での生活で闘って
きたが、この結婚を機会にうんと幸せになってもらいたい。
私の願いはただそれだけである。

午前11時半トンチンカンホテル着。酔いが回り昼寝。

午後3時、読書「妄想;森鴎外」、「百物語:森鴎外」。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
午後6時半、日本料理店開店。
午後9時半閉店。オーストラリア人と日本人のカップル
2組が来店。

日本料理店の仁枝さんのお母さんがハノイからフエへ。
飛行機が1時間半ほど遅れ、午後10時半過ぎに
フエ空港へ着いた。仁枝さんは、フエ空港で長時間
待機させられた。

明日は、1ヵ月半ぶりの日曜日の休み。

投稿者 koyama : 2007年04月14日 20:26

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