« 日本語学校入学式 里親Yさんと里子懇談 | メイン | ハノイの日本大使館へ 帰国 »
2007年01月14日
日本帰国準備
小雨・曇り
7時目覚める。NHK海外衛星放送「日曜討論」を見る。
久間「防衛大臣」、岡本元内閣補佐官、法政・東大教授。
イラク戦争をどう見るか、自衛隊の「防衛省昇格」問題など。
そもそも出演者自体が偏っている。久間氏と岡本氏が
現政府の人間か限りなく現政府に近い人間である以上、
現政府の防衛政策に真っ向から反対し、批判している
人を最低一人はいれるのが、この種の討論をNHKが行う
場合の最低条件。法政・東大教授は言葉の端々で政府批判を
いうものの、結局、イラク問題も自衛隊問題も根本的な批判
の出来ない人たちであった。民主主義社会のジャーナリズムは
少なくとも社会に存在する相対立する意見を広く国民に披露する
ことが最低の基礎的な任務である。
ブッシュ大統領がイラクに2万人の
増派を発表したが、現状ではうまくいかないとの意見は言うが、
ブッシュさえ「イラク戦争のやり方は間違っていた」と記者会見
で述べているのに、第1の賛同者である小泉・安部政権への
批判は結局誰もできなかった。イギリスやスペインなど欧州の
政府・首相などのイラク戦争批判を述べるが、自分自身の
政府への批判が出来ない大学の専門家とは何のために
存在するのか? NHKの論者の人選に大きな偏りが
あることを知るべきである。世界でただ日本だけが
未だに「イラク戦争は正しかった」などと言っているのである。
親分のブッシュ大統領ですら一定の自己批判をしている。
イギリスのブレアー首相は失脚寸前。スペインの首相は
敗北しイラクから撤退。フランス、ドイツは初めから批判的。
こうして今やアメリカでさえ「イラク内戦」と言う事態に
手を焼き、結局は「名誉ある撤退」を模索せざるを得ない現状
である。それでも航空自衛隊はイラクに居続ける大義があるのか?
午前10時。1年前に買ったベトナム米を1合ほど炊いてみる。
それなりに美味しく炊けていた。昨日の「入学式」のお祝いに
出た納豆などで朝食。
一時帰国するに当たって様々な問題についてのメールを
関係者に出す。
NHKのど自慢は放送されず。女子マラソン中継。興味なし。
読書「試された女たち」(澤地久枝著)続きを読む。
江馬細香と頼山陽の複雑な恋。
帰国の持ち物の点検。
日本滞在中の1ヶ月のスケジュールを整理。
昼寝。1時間。お腹の具合いが悪い。体もだるい。
午後、床屋へ。混んでいる。既に2ヶ月近く床屋に行っていない。
今日はフエ滞在最終日。何としても髪を刈らなければ
ならない。1時間ほど待たされる。偶然、ミン・ベトナム事務所長
のお父さんも同じ床屋にやってきた。挨拶。
横に5人並び散発。左右両端に座った私とミンさんのお父さん。
二人とも1947年生まれ。1945年の帝政廃止、フランスとの
戦争、ベトナム戦争を経験してきたはずだ。グエン王朝の末裔の
皇族であるお父さんの顔が鏡に映る。王宮の奥にある歴代
皇帝の写真が目に浮かぶ。ミンさんのお父さんの目の回りは、
何人かの皇帝の目とそっくりである。間違いなく血のつながりはある。
生まれる2年前に帝政が打倒され、民間人になったお父さん。
ベトナム戦争中は南ベトナムの憲兵だった。鏡に映った
お父さんの顔を見ながら、その顔のしわに刻まれている
人生の苦しみや悩みを想像してしまった。
何ごともなかったように散髪を終えて帰って行ったお父さんだが、
皇族から民間人へ。アメリカ資本主義の南ベトナムから
急激な社会主義社会への「変革」を体験したお父さんの
心の奥底に潜んでいるであろう『何か』を聞きたい衝動を感じた。
夕方、散髪終了。100円。これでまた2ヶ月ほど散髪をしない。
夜、依頼された荷物の整理を行い、小型スーツケースと
リュックに詰め込む。
午後7時、フエ師範大学近くのコムディア屋(ベトナム風ほか弁)
に行く。いつも行く店だ。今まで特に店の人と話をしたことは
なかった。ただ実務的に野菜や肉などをご飯の上に載せて
弁当にしてくれるだけだった。今日は「あなた、日本語学校の
先生でしょう。昔、フエ師範大学で日本語を教えていたでしょう」
と話しかけてきた。テレビで「静岡会館日本語学校」の入学式を
見たようだ。フエの街では誰が私のことを知っているのか
分からない。少し不気味な気持ちがしないでもない。
13年住むということは、こういうことなのだろうか?・・・・・・
明日の朝は6時半にトンチンカンホテルを出発。
8時半フエ発の飛行機でハノイへ。午後2時、ハノイの
日本大使館に行き、縫製研修センター完成祝賀会の打ち合わせ。
フエ高等師範大学日本語学科の日本語授業支援プロジェクト
について、大使館の関係者と詳細打ち合わせをする予定。
午前0時10分、ハノイ発便で16日(月)早朝成田へ。
明日の1日は長い。
夕方、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長から電話。宇都宮から。
縫製研修センターー落成式の件。
部屋の鍵をかけると中からは開かなくなる。
間違って中から鍵を閉めてしまい、税田さんに携帯電話。
外からあけてもらう。
ベランダのトアが開かない。タンス代わりの戸棚のドアも開かない。
部屋の電球が二つつかない。今日で一応は日本へ帰るが、
帰国後、どうなるのやら・・・・・。
昨年11月27日にフエに戻った。1ヶ月半の滞在。
日本人スタッフが本当に真面目に良く仕事をしてくれた。
感謝したい。ほとんど無給に近状況の中でも
自主的に仕事を見つけ、精力的に仕事を進めてくれた。
日本語学校教師の二人、ベトナム事務所、日本料理店と
それぞれ、初めての仕事のはずなのに不安もあったろうに
おくびにも出さずに頑張ってくれた日本人スタッフに感謝したい。
また、ベトナム事務所のベトナム人スタッフもそれぞれ分担の
分野に慣れてきて、責任をもって仕事を進めてくれている。
自分の分担以外にも良く気を利かせて、手伝ってくれる。
勤務時間が過ぎても、日曜日でも仕事をしてくれる。
そんなに高い給料でもないのに・・・。やはりベトナム事務所の
ベトナム人スタッフの皆さんは、ボランティアや子どもたちに
心を寄せている人たちである。お金だけで生きている今の
ベトナムの風潮をみていると、ベトナム事務所スタッフの
皆さんの爽やかなしごとへの姿勢が一層素晴らしく見える。
「オアシスの会」代表の大塚さんは、船上生活者の支援の
ための医療船の仕事をしながら、日本料理店の店長の
役割をしっかりと果たしてくれている。7人の子どもたちへの
料理・接客指導、仕事の仕方の指導など、無私の気持ちで
しごとをしている様子にある種の感動と神々しささえ感じる。
必ずしも体調十分ではない中で、午前中の医療船指導、
午後2時から午後10時までの日本料理店。頭が下がる。
ベトナムの「子どもの家」や事務所などの仕事はこうした
日本人の心ある人たちとベトナム人スタッフの良心で
支えられている。ベトナムがWTOに加入し、
資本主義から「金権体質」「拝金体質」だけを引き抜いた
ような社会風潮の中で、ベトナム事務所や日本料理店
に集まった日本人・ベトナム人の役割りと存在は大いに
意味のあるものだと感ずる。
投稿者 koyama : 2007年01月14日 18:50