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2007年01月04日
次男結婚 : 「子どもの家」支援のVU君の訪日
曇りのち晴れ、夕方雨
次男が結婚した。と言っても今日、憲法24条に基づき、
区役所へ「婚姻届」を出したとのこと。
新年からお目出度いことである。
ベトナム語が生かせる仕事をしたいと観光会社のピースインツアーに
入社。毎日観光の仕事に没頭している。仕事と結婚と
なかなか大変な毎日になるが、伴侶と一緒に新しい人生を
切り拓き幸せな家庭を築いて行って欲しい。
結婚式は海外か?これで我が家も二人の子どもが就職・結婚し
自立していった。肩の荷が下りたと言うべきか? 一層、
ベトナムの子どもたちに力を入れていくというべきか?
今年は私の「イノシシ年」。ベトナムの子どもたち支援、
世界の貧困撲滅・平和を希求し『猪突猛進』したい。
午前9時、ベトナム事務所でVU君とTHI君に会う。
二人は私の推薦で訪日し、日本語学校へ通う。その後、
IT専門学校を経て、IT会社「ブライセン」で研修をつみ
7年後を目処に帰国する予定。フエで「子どもの家」支援の
IT会社を設立し、その中心になって働く予定。
二人ともフエ科学大学コンピューター学科卒業生。
VU君は1993年に「子どもの家」に入所し、その後。、母親
の下で在宅支援。昨年12月に支援が終わった。
これから4年から7年の間、健康に気をつけて日本での
生活を送って欲しい。帰国後、「子どもの家」や貧しい子どもたち
のために貢献してくれることを願っている。
午後12時半から30分間、昼寝。
読書「平家物語」。
義経が壇ノ浦で平家一族を滅ぼし、都へ凱旋。
後白河法皇以下殿上人や庶民・大衆が義経を
熱狂をもって迎え入れる。鎌倉の頼朝は義経の
人気高揚に疑念を持つ。平家の統領平宗盛が捕虜となり
義経が鎌倉まで護送する。鎌倉の入り口腰越まで来たが
そこで捕虜を受け渡し、腰越で待たされ、平家を滅ぼした
第1の立役者義経を頼朝は「自分を超える弟」と考え、
接見しないまま、捕虜の平家統領平宗盛を京への途上で
首を切るよう命ずる。頼朝と義経の確執を経て義経追討へ。
ベトナム事務所で「第13回JASS総会議案書」原案を
作成。「2006年を振り返って」(総括案)の素案を作る。
ベトナム事務所員全員に送信。明後日(土)のベトナム事務所員
会議で皆さんの意見を聞き、日本の「役員会」の皆さんへ
送信、検討をお願いする。役員会の皆さんからの意見を受け
『総括原案』を修正したあと、日本事務所員、JASS関係者
に送信し、広く関係者の意見を取り入れ1月27日頃の
日本事務所員会議で原案として最終決定。2月4日の
第13回総会で論議をしてもらい、最終決定という運び。
午後5時半、日本料理店で子どもたち・スタッフと夕食。
今日は次男の婚姻届・結婚ということなので、結婚を祝って
ビールを飲む。正式には1月17日に日本へ帰国してから
のお祝いとなるが・・・・・、とりあえず、今日、フエで祝う。
午後8時半頃、来客もいなくなったので、日本人スタッフを
誘って「次男の結婚祝い」。
午後9時近く、日本料理店前のホテルに息子さん一家が宿泊している
大塚さんが日本料理店に立ち寄る。大塚さんも交えて交流。
午後11時をかなり過ぎる頃まで交流。生ビール10杯飲む。
投稿者 koyama : 2007年01月04日 21:28