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2006年11月08日
ピースボート第3回講演会
11月8日
晴天。蒸し暑くなる。少しずつダナンへ近づいたのか?
高温多湿のベトナム風気候となり、汗が肌に滲む。
午前中、「花と龍(上下)」(火野葦平著:岩波現代文庫)読了。
読んで行くうちに強く引き込まれる。娯楽的要素も十分持っている。
アフガンで活動している「中村哲氏」がなぜ、あすこまで頑なに
アフガンにこだわり、政府や行政・権力と一線を画して活動しているのかの
何らかのヒントを得たくてこの本を読んで見たが、読む価値の十分ある本で
あった。
中村哲氏の祖父母の生い立ちからの実録物語である。
四国で生まれた祖父「玉井金五郎」と広島で生まれた祖母「マン」の馴れ初めから
北九州市若松で石炭の沖中仕として働き出した若い時代。そして、沖中仕の親分となり、地元のヤクザ・暴力団・政治権力と闘う時代。自分も半分ヤクザの世界に足を踏み入れたかのような日常生活の中でも、「正義」「権力の不正」と祖父母が闘う様子をリアルに描いている。長男「勝則」が生まれる。勝則が、著者「火野葦平」の本名である。
この本は、全て実名で書かれている。長男勝則誕生後、合計10人の子どもを生んでいる。その兄弟の中の一人が生んだ子が中村哲氏である。火野葦平は早稲田大学に進学するが中退。父親の後を継いで「玉井組」で働く。早稲田でマルクス主義を学び、港湾労働者の労働組合を作り、三井・三菱・麻生(現麻生外務大臣の祖父)財閥と闘うという実話である。
中村哲氏の祖父母の人生は義侠心に富み、心の深い、不正を極端に嫌い・不正と命をかけて闘ったと言って良い。こうした義侠心、「弱気を助け、強気を挫く」「不正を憎む」というDNAが中村哲氏にしっかりと受け継がれていることが分かる。中村氏の活動の源泉はこうしたところにあったのかと「花と龍」を読んで改めて感じた。
花と龍という題名は、祖父「玉井金五郎」が昇り龍が菊の花をくわえた刺青をしているところから付けられた。2冊で800ページに上る大作であるが、読んでいて飽きない文章と内容である。
緒方貞子氏・中村哲氏の父親や祖父母などの生き方が、子ども・孫にも見えないで糸で引き継がれているように思えた。人間の不思議さである。
無期懲役を宣告されたA級戦犯の孫首相が「大東亜戦争は自存自衛の戦争だった」「西欧の侵略からアジアを解放した正義の戦争だった」と主張しているのもやはりそうしたDNAが受け継がれているからなのだろうか?
午後2時から午後3時半まで第3回講演会。約500人。
「ベトナムで考えること、日本のこと」。
9月30日に放映されたTBSテレビを放映。
その後、ベトナムの歴史、日本の進駐、ベトナム戦争、社会主義市場経済などベトナムの略史を話す。ベトナムの歴史教科書でアジア太平洋戦争がどのように記述されているかを説明。日本の子どもたちについて話す。
質問コーナーで「ベトナムで日本が何をしたかなど細かいこと、日本の恥になるようなことをいちいち教科書に書くことはない。世界中、どこの国でも自国の恥を教科書にかいたりはしていない。こうした自虐的なことはすべきでない」と言う趣旨の発言が年配の方からあった。
教科書問題、歴史認識の問題は今でも国民的な合意ができていないのだとつくづく感ずる。
ドイツでヒトラー・ナチズムに対しては国民的な合意が出来ているのとは、好対称である。
自国の恥だから子孫には教えないという態度こそ、一層の恥になるように思えるのだが。間違いは間違いとして子々孫々まで伝え、きちんと清算し、二度と同じことを繰り返さないという態度こそ「潔い」人間としてのいき方ではないのだろうか?
講演会終了後、入り口でピースボートの水先案内人責任者の田村美和子さんが「火炎樹の花」「ベトナム・子どもの家」を販売してくれる。用意した本の大半は売れたとのこと。この8日間、田村美和子さんには大変お世話になった。若いのになかなか行動的かつ才能と能力、正義感に溢れた若者である。私に関する色々な手続き、企画などをてきぱきとこなし、関係する若者を組織し、成功させてくれた。なかなかのオルガナイザーである。
ピースボートテレビの取材を受ける。
その後、廊下で群馬県の先生、滋賀県の方々から今日の講演会についての感想を伺う。ピースボートはもっと娯楽ばかりやるのかと思っていたら、こうした真面目な話を聞けて良かった、との感想。
部屋に帰る廊下で何人もの方から、良い話だった、日本の子どもたちのこと、日本の平和のことをよく話してくれたなどの励ましの言葉を頂く。感謝。
午後6時。私の講演会を手伝ってくれた「水先案内人パートナー」の若者にお礼を言いながらみんなで夕食を摂る。
皆さん20代の若者であるが、しっかりとした自分の意見とそれなりの見識をもっている。私の講演会の諸準備もてきぱきとこなしてくれた。能力と行動力のある若者たちである。1960年代であれば、全員学生運動に参加するだろう正義感と行動力、そしてしかるべき学識を持っている若者と見た。彼女等(彼等)の将来が楽しみである。
午後9時。船室へ戻る。しばらくして電話で呼び出しがある。「ニライカナ」というピースボート船内機関紙にお別れの挨拶を書いて欲しいとの依頼。7階機関紙編集室へ行き、簡単なメッセージを書く。明日ダナンで自由行動をするという老夫婦に呼ばれる。
タクシーに乗った時、「ダナンの港へ行きたい」「ダナンの市場へ行って欲しい」とベトナムで書いて欲しいと頼まれる。
午後9時半。船室に戻り、「無名」(沢木耕太郎著:幻冬舎)を読む。
投稿者 koyama : 2006年11月08日 12:39
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