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2006年10月29日

JASS・12周年記念誌編集会議ー懇談ー高校クラス会

晴天

前日受信した13通のメールを読み、9通の返信。

昼前自宅を出て地下鉄西巣鴨下車。都電荒川線に乗り換え
10分。飛鳥山下車。東京で唯一つの都電となってしまった
荒川線。早稲田から三ノ輪まで。

北区教育会館で行われた「JASS12周年記念誌編集会議」
に参加。

●ベトナム事務所、日本語学校、日本料理店などで
 ボランティア支援をしてくれた皆さん。日本へ帰国後
 引き続き「子どもの家」への支援を続けている。感謝。

●JASS創立当時からの日本事務所員。長いお付き合いである。

 
1時間半ほど編集会議に参加。2007年2月の総会をめざし
一層、「現地の自立」を進めることになっている。
JASS創立12年間を写真と文章に残そうということになり、
今日の編集会議が行われている。
私はベトナムにいるので、編集そのものにはタッチしてないが
素晴らしい記念誌ができそうだ。関係者の皆さんの努力に
お礼。


午後3時、巣鴨駅前の喫茶店でA氏と懇談。
A氏は小学校と高校で同級生だったAさんの弟さん。
現在、剣道や柔道などの武道具会社を経営。
ベトナムで剣道の小手や防具などが出来ないかとの
こと。お姉さんから私のベトナムでの活動を聞き、
こうした形で「支援」したいという話だった。
弟さんと2時間ほど話し合う。現在50歳代半ば。
偶然、A氏のお姉さんと小学校3年・4年と同級生だった。
私は5年で板橋区へ引越した。その後、高校で
又偶然お姉さんと同じクラスになり3年間過ごす。
当時A氏のお父さんは小学校PTA会長、
地元の信用金庫だったと思うが、理事長。
私は、父親が事業に失敗、文京区大塚・
林町と転々とし、Aさんの住んでいる豊島区の親類の
6畳一間に6人家族で間借りしていた時期だった。
私から見るとAさんは、地元のお金持ちのお嬢さん。
私は家が倒産し、親類の一間に間借りしている
「貧乏人」という社会の両極に位置する存在。
弟さんの話だとその後、A氏のお父さんが騙されて
保証人となり家屋一切を没収され、かなり苦労された
とのこと。小学校から数えると50年という年月が
流れた。Aさんもこの50年の間にそんな苦労があったのか
と改めて人生というものを考えた2時間だった。

午後5時、巣鴨で高校クラス会。14人参加。
海外在住組では、キューバーのCさん、ベトナムの私。

高校を卒業して40年。同級生の皆さんそれそれがそれの人生を
歩んできた。いよいよ来年度、「還暦」の年となった。
「第2の人生」に足を踏み入れる時期がやってきた。皆さんは
どんな第2の人生を歩んでいくのだろうか?


B君は大学院に合格したとのこと。社会福祉運動論を学び直す
とのこと。素晴らしいことだ。Cさんは、キューバ人と結婚。
キューバから日本へ「今のキューバ」を発信している。
お子さんが小学校を卒業するまでPTA会長をしていたD君。
今年やっと小学校を卒業したとのこと。まだ10年間は、
子育てだと言っていた。


60年の年輪をさらに育て、健康で意義のある人生を
送りたいものである。団塊の世代と呼ばれている
私たちではあるが、一まとめにはけして出来ない
一人ひとりの人生である。
 和食夕食会後、近くの喫茶店で更に話し合う。
午後10時半、解散。2008年に「還暦記念クラス会」を
しようとの話となる。
こうして毎年何度もクラス会ができるのは、G君や
Tさんなどが下働きしてくれるおかげである。
毎回、会場を設定、みんなに連絡をしてくれる人がいて
初めてこの種の会合は成立するのである。ありがたい
ことである。
午後11時、自宅着。

投稿者 koyama : 2006年10月29日 09:16

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