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2006年10月26日

上野まで4時間半のウオーキング

晴天。

午前7時45分自宅発。上野まで15キロの個人ウオーキングを
敢行。
高島平から城山を通って志村坂上ー中仙道へ出る。中仙道を
歩く。大和町交差点へ。中仙道と環状7号線との交差点。
自宅を出てちょうど1時間。かなり左足の付け根が痛くなる。
交通量が非常に多い。

中仙道を左折し環状7号線に入る。この辺は、小学校5年から
教員に就職するまで住んでいたところ。

途中まで来たついでに卒業した稲荷台小学校を見る。
既になくなっていた。現在は加賀小学校となっていた。
環七「姥ヶ橋」交差点を右折。卒業した「加賀中学校」の前を
通る。まだ残っていた。

JR十条駅踏切を通る。

徒歩15分ほどで北区役所へ。

北区役所の隣りの「音無川」「音無橋」へ。自宅からちょうど2時間。


このあたりで左足の付け根が異常に痛くなる。

音無橋は、本郷通りと明治通りのT字路。
後ろに江戸時代からの桜の名所「飛鳥山」がある。

本郷通りを駒込方面へ。
飛鳥山の正面にJASS総会などの会合に使っている
北区教育会館がある。私は1971年、北区の教員になった時
から北区教育会館に毎日通い、各種会合などを行っていた
思い出の場所である。

本郷通りを駒込駅方面に行く途中にお札を印刷する「大蔵省印刷局」
がある。

明治の古河財閥が作った「古河庭園」。1971年から1988まで
この近くの小学校に勤めていた。子どもたちを連れて良く遊びに
来ていた。当時は無料。現在は150円。

更に本郷通りを歩く。霜降り交差点。教員時代の学区域。
この付近に教え子が住んでいた。家庭訪問で何度も
霜降り交差点を通った。

JR「駒込駅」につく。17年間この駅を使った。

疲労が溜まる。ひと休み。
「六義園」。元禄時代(1702年)柳沢吉保が作った庭園。
教員時代は無料だった。やはり子どもたちを連れて
よく遊びに来た。今は300円の入園料。当時は美濃部都知事
時代。

20分ほど園内のベンチで寝る。かなり疲れる。
この時点で自宅を出て既に3時間ほど経過。

更に本郷通りを進む。上富士交差点で左折し
不忍通り(しのばずとおり)に入る。

不忍通りを上野方面へ。動坂、道灌山、千駄木へ。
千駄木2丁目交差点を右折すると日本医科大学病院へ。

10分ほど歩くと根津へ。昔は根津八重垣町といった。
「八重垣煎餅」というお店に江戸時代からの名前が
残っていた。

直ぐに根津神社。

このあたりで左足付け根の筋肉痛が酷く歩けない状態。
何とか頑張って歩く。

しばらく歩くと池之端へ。上野動物園へ(水上動物園)。

水上動物園の隣が「不忍池」。

最後の力を振り絞り、ゴールの「上野広小路」へ。
現代に例えると「渋谷センター街」のような場所だったようだ。

終着点の上野広小路まで自宅から4時間半。午後12時半
近かった。アメ横で買い物などと思っていたが、あまりに
足が痛く到底買い物という状況ではなくなった。
はやり4時間半のウオーキングは少し強引だったかも
知れない。JR上野駅まで歩き、自宅へ。
自宅でゆっくりと休む。

とにかく自宅から徒歩で上野まで歩いたということは、
それなりに自信ともなったが、楽しい4時間半だった。
歩くと色々なものが目に入る。こんなお店があったのか
と新しい発見がある。
車がそれほど普及する前の日本人は毎日この程度が
歩いていたのかも知れない。情けないが当時の日本人
には到底勝てない。しかし、時間があれば出来るだけ
歩きたい。車をやめて既に20年。歩くことで新しい
世界と少し出会ったような半日だった。

夕方から足が痛く、明日の静岡講演会にいけるのか
不安になってしまった。


投稿者 koyama : 2006年10月26日 15:32

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