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2006年05月26日

ニュージーランド滞在最終日近づく

終日雨。時々曇り。寒い。

この3日間、体調を崩し寝ている。
主因は喘息。ハウスダスト・家ダニ。
じゅうたん、マット、ソファーに囲まれた生活は
最悪。喘息になると体中が硬直し、何も出来ない。
ただじっと休んでいるだけ。
1週間ほど前から「口内炎」が4つほど出来だし、
この数日が絶頂期。水を飲んだだけでもしみる。
困ったものだ。
昨日の夕食に「ムール貝」(半生)を食べた。
見事に当たり、一晩中、下痢と吐き気に襲われる。
なんとも情けないニージランド滞在ではある。

「こどもたちの隣り」(灰谷健次郎著:角川文庫)を読む。
およそ20年ほど前の作品だが、未だに新鮮な気持ちで
読める。
4編の短編だが、4歳の男の子、中学生の女子、
心臓病で手術を4回も繰り返した女の子など
子どもたちの視点から学校や親子関係を見ている。
子どもたちはけして「こども」ではないことがわかる。
特に学校教師の無感動・配慮の無さ、主観主義、
思い上がりを子どもたが「内心」でどう思っているかを
書き、学校と思い上がりの教師を厳しく糾弾している。
全て「よい事」と思い、教師が行っていることが
子どもたちをどれだけ傷つけているのかを訴えている。
現場の教師に是非読んで欲しい一冊である。

灰谷健次郎さんとは不思議な縁で出会った。
最初は新潮社が出した「灰谷健次郎まるごと1冊」
というグラビアの本の取材だった。
1996年か7年頃だろうか? 写真家の石川文洋さんと
新潮社の編集担当者と3人でフエの私の所へ取材に
来られた。一晩、灰谷さん・石川さんと3人で飲んだ。
色々と3人の生い立ちなどを話していくうちに意気投合した。
灰谷さんも17年間小学校の教師をしていたとのこと。
様々な事情(お兄さんの自殺など)で教師を辞め
放浪し、沖縄のサトウキビ工場で働いていた時の話を
私にしてくれた。
石川文洋さんも沖縄からベトナムへ行った事情を細かに
話してくれた。今の日本の閉塞的な状況についても
かなり認識が一致していた。

その後、ピーースボートで灰谷さんは2回ほど「子どもの家」へ
来ている。
更に2000年頃だったと思うが、突然日曜日に「子どもの家」へ
6人程の友人とやってきた。
その中には江国香織さんなどもいた。

1998年に私が「火炎樹の花」という本を小学館から出した。
その際、本のカバーに推薦文を書いてもらうことになり、
沖縄の灰谷さんの家へ電話をしてお願いした。
快く、無料で推薦文を書いてくれた。ちょうど、そのとき、
灰谷さんは朝日新聞に週1回「いのちまんだら」という
コーナーを持っていた。灰谷さんは「いのちまんだら」に
私のことや拙著「火炎樹の花」の紹介をしてくれた。

そんなわずかな繋がりだが何かの縁のある人の
本を読むと、生の灰谷さんの様子が浮かばれてくる。
噂では体調を崩されているとのこと。元気回復を
祈る。

明日、タウランガ市を発ってソウルへ。

今朝、携帯パソコンが突然機能停止。一切使えなくなった。
この日記はダウンタウンまで行き、インターネットカフェで
書いている。

この10日間ほど、べトナム事務所や関係者との間で
多くのメール交換をした。メールがなければ、
今の私はベトナムを離れることは出来ない。
様々な問題がある。
ベトナム事務所は事務所長のミンさん、税田さんなど
ベトナム事務所員、日本語教師の皆さんの頑張りで
運営が進んでいる。ラームさんの協力で7月8月9月の
スタディーツアーの計画も進んでいる。

縫製工場建築は多くの問題を抱え、未だに進捗状況は
思わしくない。
日本料理店もいくつかの大きな問題を抱えている。
関係者の皆さんと協力して、一つ一つの問題を丁寧に
解決することが私の使命だと思っている。
「何にもしなければ問題は起こらない。何かをすれば
必ず問題が起こる」。ベトナムでの生活・活動の教訓である。
問題が起こるということは、何かをしている証と「善意」に
考え、進んで行こう・・・・・・・・・・。

投稿者 koyama : 2006年05月26日 08:39

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