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2005年12月29日

日本到着

終日晴天。

午前7時半、成田着。寒い。
午前10時自宅着。

フエ空港・ホーチミン空港の待ち時間、機内で
「井上ひさし 私家版 日本語文法」(新潮社)を読む。
1978年初版版を古本屋で200円で買った。
本の値段と内容は全く関係ない。読んで得したと思う。
全体を通して言っていることは、日本語については、
分からないことがいっぱいだということに尽きる。
勉強になったことも多い。「句読点」のつかたには
決まりがないことなど・・。

読んで行くと岩崎民平という名前が出てきた。
諸橋徹次「大漢和辞典」と一緒に
岩崎民平「新英和中辞典」が紹介されていた。
岩崎民平は東京外大英語学の権威。
戦後、倒産した我が家の稼ぎ手は母親の「縫い物」だった。
和服の仕立てである。母親は岩崎民平の奥さんの
お抱え仕立師だった。奥さんが年間何着もの和服を
作るが、全て私の母親が夜なべをしながら仕立てていた。
そのお陰で我が家は食いつないでいけたのである。

井上ひさしは敬語は「恩の気持ち」が基礎にあるという。
ホーチミン市から成田へのベトナム航空機内で日本人
アテンダントが「ビデオ設備が故障しました。本日は
映画の上映を見合わて頂きます」と放送していた。
機内放送を聴いて「見合す」とは「控える」という意味。
ビデオ放送はできるがしないということを含意している。
実際は機械が故障して放映できないのである。
こうした場合に「申し訳ありませんが、機会が故障して
放映ができません」というべきなのである。
2人しかいないベトナム航空の日本人アテンダントは
敬語の気持ちで「見合わせる」と言ったようだが、
この言葉は、思いあがった言葉である。
敬語を使うなら、故障して本来見られるべき
映画が見られなくなり申し訳ありませんという
気持ちが必要なのである。この若い日本人
アテンダントの女性はそうした気持ちがあったのか
どうなのか? 「見合わせる」という言葉の「主体」は
ベトナム航空側なのである。基本的には謝罪の気持ちは
伝わらない。

東京は余りに寒む過ぎる。

投稿者 koyama : 2005年12月29日 18:35

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