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2005年12月25日
全教ー「子どもの家」へ:内田さんと昼食、夕食
終日曇り。
雨が降らなくなりほっとする。
昨夜のクリスマス会でかなり疲れる。
午前8時半、全教ツアー(7人)と一緒に「子どもの家」へ。
ミンさんは内田さんをオートバイのうしろに乗せて。
「子どもの家」では2006年1月29日のテト正月(旧正月)
に向けて、一人一人の子どもたちの新年用の服とズボンを
採寸していた。64人の子どもたちの体に合った新年の
晴れ着を作っていた。
午前9時。「子どもの家」で3人の退所式を行う。
●トアン君(18歳)の退所式
トアン君は1993年10月から私が支援を始めた
子である。当時は、チーラン通りにあった「子どもの家」
である。私が1993年9月1日、フエ師範大学で日本語
を教え始めて1ヶ月後である。
当時トアン君は6歳。それから12年。トアン君は18歳に
なった。
*母親は20歳だと言っていたが、戸籍がなく「子どもの家」
で「子どもの家」に入所した時に「子どもの家」で戸籍を
作ったので詳細不明なまま18歳となってしまった。
もしかしたら母親の言うように20歳なのかも知れない。
当時3歳ほど年上の姉も一緒に「子どもの家」にいた。
数年前に「子どもの家」を退所し、クアンチ省のドンハ市に
帰り、結婚したい。現在、5歳、4歳、7ヶ月と3人の子どもが
いるとのこと。姉は知的障害をもっていた。夫は車椅子生活。
姉は豚を飼い、夫は車椅子で宝くじやつま楊枝を売って生計
を立てているとのこと。姉の自立を聞いて嬉しく思う。
●トアン君と母親
(セン委員長)
今後は、自宅へ帰って普通の家庭生活を経験して欲しい。
研修した靴作りを生かして自立し、母親を助けて欲しい。
●母親署名
47歳の母親は字がかけず、トアン君が代わりに書いていた。
母親には口に出せない苦労の人生があったことが想像できる。
トアン君は私が一人でフエにやって来て1ヶ月後に支援した子ども
である。それから12年3ヶ月。小学校にも入っていない小さな頃の
トアン君を思い出す。今は私よりも背が高い。12年間の時間の
流れをつくづくと感じる。長かったのか短かったのか?
とにかく、トアン君という一人の人間がこうして自立していくことが
出来るようになったことは、何よりも喜びである。トアン君にとっては
「子どもの家」が自分の家庭であり世界であり12年間の人生
だった。トアン君の幸せな人生を祈るのみである。
●トアン君はお母さんより背が高くなっていた
退所式では、お母さんもトアン君も目から涙がこぼれていた。
12年間は、トアン君にとっても長い時間だった。「子どもの家」
を出ることには、やはり感慨深いものがあるのだろう。
お母さんは大きくなったトアン君を見て感激したのか?
ーーーーーーーー
続いてMEN(メン)さん(22歳)の退所式を行う。
メンさんは、クリスマス会を寄贈してくれている内田征子さんが
10年間近く支援してくれている里子である。1995年4月に
入所している。今の「子どもの家」(グエンチャイ)が出来た
時からの子どもである。9歳で入所してきた。兄・メンさん・
妹の3人で入所してきた。両親は病気で亡くなっている。
それから10年8ヶ月。メンさんも様々な苦難を乗り越えて
高校・浪人・大学と進学し、自分の力で自分の人生と
未来を切り開いてきている。内田さんや私たちの10年間に
わたる支援がこうした形で結実することは私たちにとっても
嬉しいことである。たった一人に人間であっても、私たちの
応援を受けて自立する道を歩めるようになった。
海外支援・人道支援の一端を担ったような気がする。
退所保証人のおばさん二人(メンさんのお父さんの妹)
(セン委員長)
メンさんは両親が亡くなったので今日は、二人のおばさんが
身元引受人となる。今後は、「子どもの家」を退所し自立する。
戸籍も「子どもの家」は離れる。「子どもの家」への恩を忘れ
ないように。また、JASSや内田さんの支援を生涯思い出す
ように。退所しても「子どもの家」へ来て欲しい。
何よりも内田さんの恩を忘れないように。
(おばさん)
「子どもの家」やJASSの皆さんの支援に感謝します。
(メンさん)
10年間、「子どもの家」で生活してきた。
内田さんやJASSの支援のお陰で自分は大きくなり大学への
行くことが出来た。JASSや「子どもの家」がなければ
成長も出来なかったと思う。
(内田)
メンさん、退所おめでとう。私も支援をしたが、「子どもの家」の
スタッフの皆さんのお陰でメンさんのこんにちがあることを
忘れなうように。
今後、困ったことが起こったらJASSベトナム事務所に相談
して欲しい。
(小山)
今後は、ラームさんの実家を下宿として生活するように。
また、「子どもの家」に来て年下の子どもたちの勉強や
生活の面倒も見て欲しい。
1995年4月から入所したメンさんは、グエンチャイ「子どもの家」
の第一期生。「子どもの家」の第一期生としてしっかりと大学で
勉強し、「子どもの家」の子どもたちの見本となるような大人に
なって欲しい。そして、自立して欲しい。
ロック寮長の「退所宣誓書」の読み上げ
この宣誓書に署名をすることで新しい戸籍と住民票(身分証明書)
が作れる。
おばさんの署名
メンさんの退所式終了後、関係者全員で記念写真
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PHOU君(フオイ)の退所式
フオイ君は18歳。1993年10月にチーラン通りの
「子どもの家」に入所。それ以来の付き合いである。
12年と3ヶ月。長い付き合いだ、
今は彫刻の研修をし良い成績を残している。
彫刻の先生は専任彫刻師として採用すると言っているが
本人は急に印刷をすると言い出し、既に5回セン委員長、
私、ミンさんと話し合いをしている。今回、叔父さんの
方からクアンチ省の親戚で引き取るとの話があり、
本人も納得。しばらくクアンチ省の親戚の家で生活し、
将来を考えることとなった。叔父さんも親戚も彫刻の
仕事をする方が良いといっている。フオイ君は
バンキエウ族という少数民族である。
クアンチ省にあるバンキエウ族の村で生活する中で
少数民族の彫刻師として生活を始めることをみんな
願っている。本人のやる気と意欲がでるのを少し
待つ必要がある。
●フオイ君と叔父さん
叔父さんが署名する
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トアン君・フオイ君は12年間の付き合い。文字通り私の
フエ滞在と同じ足跡を辿っている仲間でもある。
トアン君・フオイ君の成長と共に私のフエでの
ストリートチルドレン支援、障害児支援、奨学金支給など
と活動の範囲も広がってきた。
メンさんも10年間の付き合いである。2番目に作った
今のグエンチャイ「子どもの家」の第1期生。
3人とも私にとっては、我が子同然の子どもたちである。
3人の子どもたちの新たな門出を祝いたい。
人生の荒波の中でも自分をう失わずに幸せな人生を
歩んで欲しい。
「子どもの家」では、全教千葉の皆さんが「子どもの家」
の子どもたちと遊んでいた。
ひょっとことおかめのお面を被っての踊り。
子どもたちはびっくりするやら驚くやら、中には怖がって
泣いてしまう子どももいた。楽しいひと時。
久しぶりに雨のない1日。全教の先生方と子どもたちは
「子どもの家」の庭で絵描き遊びした。
午前11時半。内田さん、ミンさん、税田さん、松下さん、中村さん
石岡さん、私でチャオバンカンを食べに行く。
午後5時、同一メンバーで「蟹料理専門店」へ。
投稿者 koyama : 2005年12月25日 09:37
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