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2005年11月08日

フエの生活に慣れる

晴天。

午前5時起床。

窓を開けると朝日が顔を出しかけていた。
例年は今頃、雨・雨・雨の季節なのだが・・・・・。
晴天でありがたい。

午前7時朝食。フォー。唐辛子とレモン(カボス様のもの)を入れる。
ヨーグルト。

メールの返事。徒歩ベトナム事務所へ。
午前中、税田さんと話す。

午前11時、昼食。フエ風ラーメン。果物は梨。

午後1時から教育評論原稿完成。1800字。写真3枚送信。
JASS機関誌「バンベー」原稿を書く。2005年8月に
「VIETNAM NEWS」(ベトナムの英字全国紙)に掲載された
JASS関連の記事の翻訳したものを日本語風に仕上げる。

その他、バンベーに書く原稿の骨子を考える。
原稿を書いている途中、トンチンカンホテルは停電。
11月2日の台風8号の被害で電気関連施設が壊れて
いるとのこと。仕方なく徒歩ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でバンベ原稿等の仕事をする。

午後5時半過ぎには、日が落ちる。冬が間近に来ている。

夕日のフォン川

午後5時過ぎ、「子どもの家」へ。
午後6時。夕食。クレソン、魚煮物、豆腐煮物、スープ。
デザートはりんご。

●クレソンの料理

●豆腐料理


松下さん、石岡さんは日本語学校へ。
小山、税田さん、中村さんと午後7時半まで雑談。

元レバノン大使天木直人氏のホームページを見た。
http://amaki.cc/

天木氏は私と同年齢。1947年生まれ。団塊の世代。
同世代とは言え、外務省上級職として、ある意味で
「出世コース」を邁進してきた人でもある。
こうした人が、こんな意見を持ち、日本国憲法に
これほど強い愛情と入れ込みを持っているいることに
驚きと同時に親近感を感ずる。

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「戦争あかん、基地いらん」に参加して

  今日(11月6日)私は大阪の平和集会に日帰りで参加してきた。集会で参加者に語りかけ、その後平和行進で皆と一緒に、「米軍基地は要らない、辺野古を返せ!」と叫んだ。その足で東京にとんぼ返りしてこれを書いている。
  私は参加者に次の三点を語りかけた。少し誇張して書くとこうなる。
1.  外務官僚として人生のほとんどを過ごした私は、平和について、そして憲法9条について、それほど真剣に考えてきたわけではなかった。しかし米国の不当なイラク攻撃や中東政策の犠牲になって死んでいったアラブの民の悲しみと悔しさを目の当たりにし、武力行使は何があっても許してはならないと考えるようになった。
官僚を離れ、さまざまな人と接し、意見を交わし、そして、世界現代史や昭和史をあらためて読み直し、今では平和主義者、護憲主義者の仲間入りをした。平和はすべてにまさる。憲法9条は世界が到達すべき究極の理想である。日本はこれを誇りにして世界に主張すべきである。これこそ、自らの体験と思索の果てに最後にたどり着いた私の信念である。誰が何と言おうと変えない、変わらない。
日本があの憲法を手にした背景には、我々の祖先の犠牲と戦いの歴史がある。我々の後に生きる未来の世代はその贈り物を共有する権利がある。その憲法9条を、たまたま今を生きているからといって、時の政治家や有識者、国民が勝手に変えてしまってよいはずはない。そんな権利は彼らには断じてない。
2.  平和憲法を守るということは、しかし、憲法改悪の動きを阻止するだけでは不十分である。現実の政治は憲法改悪阻止の動きを通り越し、憲法を否定しようとしている。
小泉圧勝のドサクサにまぎれて、日本政府が米国と合意した米軍再編への協力は完全な憲法否定である。この全く新しい日米軍事同盟が、無気力な今の政治状況の中であっさりと最終合意に至ってしまうのなら、もはやいくら憲法改悪阻止の動きを行ってもむなしい。なぜならば、たとえ憲法改悪を阻止できたとしても、それより先に日本は戦争する国になってしまうからだ。事実が先行してしまうからだ。 我々は、憲法改悪阻止の動きと並行して、いやそれよりも先に、それよりも激しく、米軍再編への協力が確定することを阻止しなくてはならないのだ。
3.  そう考えると、今我々に求められているのは、日米安保体制そのものの見直しである事に気づく。戦後60年、当たり前のように唱えられてきた日米安保体制が、果たしてこれからの日本に本当に必要なのかという問いに行き当たる事に気づく。
日米安保条約反対!といえば共産党や全共闘の専売特許のようになって一般市民に広がらない。しかしそうではない。イデオロギーとは無関係の問題である。我々ひとりひとりの生活に直結する問題なのである。それを国民に訴えていかなければならない。政治に無関心な若者に教えなくてはならない。
今の米国は誰が見ても行き過ぎた戦争国家に成り下がってしまった。その米国の軍事戦略に巻き込まれることは明らかに間違っていると思わないか。日本の美しい国土が巨大な米軍の基地に占領され続けてきた。本来ならばとっくに撤収されていなければならない米軍の基地がこれからは固定化されてしまうのだ。こんな馬鹿なことを黙って許していいのか。今こそ我々は眼を覚ますべきだ。左翼も右翼も無い。右翼、愛国者こそ声をあげてくれ。おい!石原慎太郎、中国ばっかり攻撃せずに、米国を追い出すことに声をあげてくれ。
米軍基地のない日本を考えてみよう。そこには美しい日本と無限の可能性が広がっている。いまからでもまだ間に合う。平和な日本をとりもどす運動をひろげよう。その運動の象徴として沖縄辺野古沖の基地建設に反対しよう。


以下、(天木直人氏プロフィール)


天木直人(あまきなおと)前駐レバノン国日本国特命全権大使 Naoto-AMAKI

1947年
山口県下関市生まれ。

小学校:尾道市・士堂小、伊勢市・明倫小、松阪市・第一小、
中津川市・南小
中学校:中津川第二中学、高山市、京都市北野中
高校:洛星高校(京都市)

1969年
京都大学法学部を中退し外務省に上級職として入省

69年4月
研修所入所 7月・南東アジア第二課

70年7月
米国研修

72年
オハイオ州オバリン大学卒業

72年1月
エール大学で半年間聴講生

72~74年
ナイジェリア日本大使館 書記官

74~76年
外務省 経済局総務参事官

76~77年
外務省 在外公館課

77~80年
経済協力局・経済協力第1課(現・有償資金協力課)

80~82年
在ジュネーブ 日本国政府国連代表部

82~84年
サウジアラビア日本大使館

84~85年
経済協力局技術協力課企画官

85~88年
中近東アフリカ第二課課長

88~90年
内閣安全保障室審議官

90~93年
マレーシア大使館公使

93~96年
在オーストラリア大使館公使

96~97年
在カナダ大使館公使

97~2000
在デトロイト総領事

2001年

2月から2003年8月まで駐レバノン国日本国特命全権大使

イラク戦争に反対する公電を送り小泉首相の対米追従外交を批判して「勇退」をせまられる。


以来自由な立場から講演、執筆などで言論活動を続ける

著書にベストセラーとなった「さらば外務省」(講談社)のほか「アメリカの不正義」(展望社)、「マンデラの南ア」(サイマル出版会)、「さらば小泉純一郎」(講談社)、「ウラ読みニッポン」(講談社)がある。


投稿者 koyama : 2005年11月08日 12:44

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