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2005年03月04日

「子どもの家」Tさん退所式ー日本語学校「節句の行事」

終日 雨。今日は特に寒い。15度。

午前8時、大学生協ツアーの皆さんにベトナム事務所員を
紹介。
●ベトナム事務所員紹介を聞く 大学生協ツアーの皆さん


午前9時、「子どもの家」でTさん(19歳)と話し合う。
今日はTさんの今後の人生を話し合う予定だったが、
Tさんの方では「退所」したいとの強い希望があり
最終的に退所式ということになった。
亡くなった母親の弟の妻という人がTさんと一緒に「子どもの家」
へ来ていた。

Tさん、義理のおばさん、セン委員長、ロック寮長、小山、ミン
はじめにセン委員長から話があった。
・Tさんは10年間「子どもの家」でお世話になった。Tさんの
 人生の半分は「子どもの家」で過ごしたことになる。
・観光学校入学のため現在、叔父さんの家に行っている。
 本人の強い希望があれば退所ということになる。
・10年間、JASSや日本の支援者のお陰でここまで大きく
 なることが出来た。日本人への恩を忘れないように。感謝
 の気持ちを忘れないように。

続いて、小山とTさんのやりとり
(小山)Tさんはこれから何をしたいの?
(Tさん)観光学校の受験をしたい。
(小山)「子どもの家」にはいたいの?
(Tさん)直ぐに退所したい。
(小山)おばさんはTさんを受け入れることは出来るの?
(おばさん)できる。
(小山)どうして今までTさんを自分で育てなかったのか?
     急に今になって自分で育てたいという理由は?
(おばさん)育てたくなったから・・・・。
       早く退所させて欲しい。
(小山)海外に行くという噂もはるが・・・
(Tさん、おばさん)フエにいる。

こんなやり取りの後、急遽退所式となった。
ロックさんが退所の書類を作り、即席の退所式を行う。

●Tさん、退所の種類にサイン

●セン委員長サイン

Tさんのお父さんは1980年代に「ボートピープル」でアメリカへ
渡った。フエに筋ジストロヒーで目も見えないTさんのお母さんと
小さなTさんを置いて。お父さんはアメリカで別の女性と結婚し
子どももできていた。Tさんは、目の見えないお母さんの手を
引いてフエの町を物乞いしながら歩いていた。病気の母親は
このままではTさんの人生が駄目になると言って、「子どもの家」
へ子どものTさんを連れてきた。「子どもの家」が出来た当初に
入所した子どもの一人である。2年前、Tさんの母親が亡くなる。
それまで、Tさん母娘に連絡すらしてこなかった父親が、母親死亡
の情報を聞いて、Tさんに毎月200ドルの生活費を仕送りするよう
になった。Tさんと母親の弟の妻は、「子どもの家」には200ドル
の話をしないまま今日に至った。昨年、Tさんは突然「子どもの家
ではうるさくて観光学校入試の勉強が出来ない。母親の弟の家で
勉強したい」と言って、「子どもの家」を出て行ってしまった。
今年のテト正月に父親はフエに一時帰国し、Tさんと一緒に母親の
弟の家で過ごした。その時に父親から大金をもらったようで、
Tさんはオートバイや高価な洋服を買い込み、時々、「子どもの家」
へ遊びにやって来た。
Tさんの叔父さんの家の直ぐそばに「子どもの家」のスタッフが
二人住んでいる。この二人の話では、Tさんや叔父さんは、近所
の人たちに「6月にTさんはアメリカに渡る」「Tさんが父親の
子どもであるとの証明が難しいので、アメリカ国籍のベトナム青年
と偽装結婚し、Tさんはアメリカに渡る」とのことだった。
そのためには、急いで偽装結婚の書類を作らなければならない。
現在、Tさんは「子どもの家」に戸籍・住民票があり、「子どもの家」
の許可がなければ戸籍や住民票を動かすことが出来ない。
そこで、今回、Tさんと叔父さん・おばさん・父親はTさんを
「子どもの家」から退所させ、戸籍を叔父さんの家に移し、
急いで訪米関係の書類を作ろうとしているという話であった。

そう言われれば、この10年間、Tさんに全く興味を示さなかった
叔父さん・おばさんなどが、急にTさんに興味を示し、自分で
Tさんを引き受けるなどと言い出したことと二人の「子どもの家」
スタッフの言い分は符合する。
結局、色々な人の話を総合するとTさんの叔父さん・おばさんは
Tさんが訪米することにより、自分の所にアメリカからお金が
贈られてくるということを期待しているようだ。
お父さんはTさんが大きくなったことで、アメリカに呼び、家事を
させたいという気持ちがあるようだ。

私は、今日、Tさんと訪米の話をするつもりだった。しかし、
Tさんとおばさんは、端(はな)から、叔父さんの家で
面倒みるの一点張りであった。
Tさんがアメリカへ行くことで「夢と希望、豊かさ」が実現する
との幻想を抱いていることは十分理解できる。
しかし、Tさんの訪米は、Tさんの夢が実現する可能性があるという
プラス面と義母、義兄弟との同居、異文化、英語が出来ないなど
多くのマイナス面もあることを伝えたかったのだが・・・。

結局、かなり強引にTさんとおばさんは、「子どもの家」を
退所して行ってしまった。私としては、10年間のTさんの
「子どもの家」での生活などを思い出し、心痛むものがあった。
Tさんの母親が亡くなった時もお金がなく、私たちが葬式の
費用をだしたのである。今になって急に叔父さん・おばさん・
お父さんがTさんの面倒を見たいなどという裏にある「異臭」
を感じてならない。しかし、叔父さん・おばさんという親戚が
引き取りたい、19歳になった本人がどうしても退所したい
と言われれば、どうしようもない。
Tさんの幸せな将来を願うだけである。お金と「豊かさという幻想」
は人間を大きく変質させてしまうようで怖いものを感じた。
同時に支援というものについて考えさせられる出来事であった。
物を与える支援は、時には人間を駄目にする可能性を持っている
と言うことを、支援者は十分知るべきである。善意の支援が
却って仇になることも頭の隅に入れておくことが必要である。

その後、昨年高校受験の失敗した3人の子どもたちと現在、
ミシンの研修をしている子どもの4人を呼び、セン委員長、
私で「自分の将来の展望・希望」を聞いてみた。
それぞれの子どもたちに合った自立の道を一緒に考える
一つの手がかりになった。子どもたちもこうした話し合いを
通して、「自分とは?」「自分が本当にしたいことは?」
と言った『人生』を深く考えるきっかけになってくれれば良い。

午後、ハノイの日本大使館に電話。ODA援助について話し合う。
急いで資料を作り送るよう言われる。夕方まで縫製工場支援の
ODA関連の概要説明の文書を作る。この一両日で完成の予定。

午後7時過ぎ、「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校で
「2月3月の行事紹介」の授業が行われる。

日本語学校の先生方が協力して準備。3月3日の「桃の節句」
2月3日の「節分」の行事を日本語学校の学生に教える。
教室には3年前に静岡市から送られた「雛人形」を飾る。

●手作りの雛飾り

●おしるこを振舞う原先生・松下先生

●ひな祭りの行事を説明する中村先生

●サン先生・フーン先生

●おしるこを食べる学生


 

投稿者 koyama : 2005年03月04日 23:25

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