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2004年05月12日
最高気温37度。ぐったり。
今日の最高気温は37度。午前中・午後と外での活動があり、1日が終わると、さすが「ぐったり」。夕食は食欲も出なかった。
「子どもの家」卒業生のTHUY(トゥーイ)さん(19歳)にフォンザン厨房勤務を紹介した。
左(事務所でTHUYと打ち合わせ)
中(労働契約書のサイン)
右(フォンザン社長と記念撮影)
フエは「火炎樹の花」の季節となった。
左(咲き始めた王宮前の火炎樹の花)
中(「子どもの家」のTHUONG君)
右(茨城からの訪問者小林さん)
午前7時半、THUYさん、ラームさんとベトナム事務所で話し合う。THUYさんは、11年前に私がフエに来た時、最初に作った「チーラン通り子どもの家」に入った子である。当時8歳。それから7年間、チーラン「子どもの家」とその2年後に作った今の「グエンチャイ子どもの家」で生活をしていた。4年前にホーチミン市にいた父親がTHUYさんを連れてホーチミン市へ帰って行った。しかし、色々と困難な出来事があり、昨年、ホーチミン市から「子どもの家」に戻ってきた。THUYさんは、料理の勉強をしたいとのことで、ハノイのフランス料理を教える学校へ入学。6ヶ月間フランス料理を勉強した。その後、フエの小さなレストランに勤めていたが、トラブルがありレストランを辞めてしまた。ベトナム事務所へやってきて「仕事をしたいので紹介して欲しい」「今、生活費と家賃が出せなくなったので支援して欲しい」と。
私たちは当面の生活費、家賃を支援し、本人の希望を聞きながら就職口を探した。本人は料理が好きなこと、せっかくハノイのフランス料理学校で勉強したその資格も生かしたいとの希望を持っていた。
私は知り合いのフォンザンホテルグループ総支配人のドン社長に事情を話し採用してもらうよう依頼した。履歴書、学歴書、健康診断書などを添付し申込書を提出。
今日、最終面接となった。
午前7時半、ベトナム事務所で面接に臨む心構え、関係者に感謝の気持ちを持つことなどを話す。
午前8時、フォンザンホテルグループ事務所を訪問。ドン社長と面接。30分ほどの面接で採用を決定。ドン社長も昔、ストリートチルドレン支援のボランティアをしていた人である。この10年間、私たちの活動を支援してくれているベトナム人実業家でもある。「子どもの家」支援の一環としてTHUYさんを採用してくれた。ベトナム人実業家(もちろん、フエ省共産党の幹部でもある)の中にもこうした心のある人もいるのである。ドン社長に感謝する。
フォンザンホテル厨房システムは以下のようである。
●5月13日から勤務開始。(1ヶ月間は仮採用:給与は28万ドン:2800円程度)
●1ヶ月後、正式採用。給料表は7段階。THUYさんは、1段階に位置する。給与は35万ドン(3500円)。
●3ヶ月後から努力給が加算される。努力が認められると20万ドン(2000円)程度加算。
総手取り55万ドン:5500円)
●正式採用後、6ヶ月で「料理実習6ヶ月経験」を
フォンザンホテル社長が認定。THUYさんは、ハノイの料理学校卒業時の認定証に6ヶ月実習実績が加算され、給料表が一気に「3段階」に位置づく。
1段階昇給するには、平均3年間を要する。
THUYさんは、料理学校卒業に6ヶ月の実習実績を認定されると一気に6年間分を飛び越し、給料表3段階となり、努力給を加算すると100万ドン(1万円)ほどの給料をもらえるようになる。
●フォンザングループ(レストランだけで10店舗ほど)で給料表7段階の人は5人。5人ともベトナム全国料理コンテストで「金メダル」を獲得している。現在、ホーチミン市やハノイ市で作られているベトナム料理の源(みなもと)はフエのフォンザンホテルの厨房である。
THUYさんが困難を乗り越えて、フォンザンホテルの厨房で頑張ってくれることを祈っている。
私たちは、「現地の自立」をめざしている。
自立は、子どもたちの自立でもある。「子どもの家」が出来て10年目。こうして一人一人の「子どもの家」の子どもたちの自立=自活への支援が出来るのも現地に根を張り、10年間頑張ったからである。これからも一人一人の子どもたちの個性と特徴を生かし、自立=自活をめざしてベトナム事務所員が一丸となって努力していきたい。
フエはいよいよ「火炎樹の花」の咲く季節となった。6月に入るとフエの町は火炎樹の花で真っ赤に燃える。
午前中、ベトナム事務所にTHUONG君(18歳)がやってきた。THUONGは、「子どもの家」で長年生活通学していた。数年前に「お坊さんになりたい」と言い、お寺に入門した。現在、お寺からハイバーチュン高校に通っている。
私たちはTHUONG君の勉強費用を支援している。THUONG君に「将来の希望は?」と聞いてみた。「フエ医科大学に入り、医者になりたい」とのことだった。僧侶で医者でもいい。自分の力で働き生きて行って欲しい。
午後3時過ぎ、茨城県出身の小林さん(26歳)がベトナム事務所訪問。西山優子の案内で「子どもの家」へ。小林さんはカンボジアのプノンペンで「子どもの家」を紹介されたそうだ。6ヶ月前に仕事をやめ、アジア諸国を放浪しているとのこと。タイ、カンボジア、マレーシア、インドなどを経由しベトナムへ来たそうだ。明日、フエからバスでラオスのサバナケットへ行くと行っていた。こうした若者が将来「大成」することを願っている。
午後8時(日本10時)のNHK衛星放送でニュースを見る。公明党の神崎代表、冬柴幹事長など14人が年金未加入・未納だと発表した。公明党国会議員のなんと25%である。民主党菅代表が辞任した時、「代表として辞任は当然」との態度を取っていた。神崎氏はこれまで、菅氏の未納について「他党や他人のことを言う前に自らが襟を正さなければならない」と批判し、自らの年金は「完済した。確認している」と述べていた。「完済した、確認した」と公党の代表が発言した上、で年金の未納だったのである。公明党神崎代表は、「嘘つき」である。国民に嘘をついたら議員を辞職する道義的責任はある。昨日、公明党が推進している年金改悪法案が衆議院本会議を通過した。そうした情勢を見て、政党としては最後の最後に年金未加入・未納を発表するのは卑怯である。しかも代表、幹事長が『けん責』処分とのこと。広辞苑で「けん責」を調べると「官吏に対する最も軽い懲戒処分」とある。菅氏の辞任を当然とし、「自分は払っている、確認した」と国民に嘘を言った自分自身は、「一番軽い処分」でお茶を濁している。年金改悪法案の直接の提案者は公明党の「坂口厚生労働大臣」である。直接の提案者を出している公明党の25%の議員が年金未加入・未納だったのである。これら25%の議員は年金のシステムすら知らなかったのである。北川政務調査会長も14人の一人である。代表・幹事長・政策責任者がこの体たらくである。
「厚生年金の支給は平均給与の50%を下回らない」と政府年金法案で説明していた公明党坂口厚生労働大臣が、今日の国会で「実際には85歳になれば40%になると発言」。嘘つきである。あれほど、現行の59%は引き下げるが、絶対に50%は割らないと何度も説明しておきながら、衆議院を通過し、民主党も巻き込み、参議院の通過・成立が見えてくると、急に本性をむき出し、40%まで引き下がると説明しだしたのである。
公明党・坂口大臣は嘘と無責任で塗り固められた年金法案を白紙撤回し、「反省」すべきではないのだろうか? それが公党としての責任の取り方である。
自民党(この政党は今でも年金未加入・未納者を発表していない)は全議員の未加入・未納を調査したら「とてつもない人数」がでてしまうのであろう。橋本元総理から次々に発覚している。
私は特定の政党を支援したり排斥したりする立場をとってはいない。しかし、自民、民主公明、社民(土井元党首も・・)をはじめ、一部共産党の議員まで未加入・未納者を出している。国会そのものが「腐敗堕落」している証拠である。このまま推移すると「政党政治」に対する不信感が一層広まってしまう。戦前、政友会と民政党、労農党が腐敗堕落しファシズムの基盤を作っていった歴史を思い出す。
政党政治は人類が到達し、勝ち取った「英知」である。
今の日本は、何やら1945年以前の日本の状況とダブって見える。腐敗堕落、無責任、嘘つき、政治不信が横行し、きな臭い匂いがする昨今である。
投稿者 koyama : 2004年05月12日 21:29
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