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2004年02月27日

麻原死刑判決に想う

朝食後、城ヶ崎海岸へ。城ヶ崎自然研究路ウオーキングコースを歩き、海岸から海洋公園、連着寺を経由して「門脇岬吊橋」へ。徒歩2時間。途中、沈丁花の香りが漂う。
 伊豆高原は椿が満開。連着寺境内には「河津桜」が見事に満開だった。
※ここまで書いて来たがクシャミ連発。鼻たらし状態で
 今日はこれ以上書けない。麻原問題は後刻。


左(伊豆高原中満開の椿)
中(城ヵ崎海岸)
右(満開の河津桜)椿城ヶ崎海岸河津桜

東京地裁は麻原被告に死刑判決を出した。マスコミは朝からセンセーショナルな報道を繰り返している。午後、死刑判決が出ると傍聴していたアナウンサーは、駆け出して廷内から出てきて、中継しているアンカーに体当たりしハーハー言いながら「麻原死刑判決」などと報道していた。多くの報道は麻原の生い立ちから死刑までに焦点を当て報道していた。
麻原に死刑判決が出ても「オウム事件」が提起した問題は何も解決していない。
 私の最大の関心事は、何故最高時1万5千人もの若者がオウムの信者になったのか、ということである。元信者のインタビューや手記などを読むと『みんな真面目な若者』である。人間の生き方、本当の人間の幸せとは何か、お金儲けや名誉・出世が本当の人間の幸せではないし、人生の目標でもないと考えていた若者である。
オウムに集まった若者の問題意識は今の日本の腐りきった現状を的確に分析し、問題を解決しようとする姿勢を持っている。この点では、この10年間近くベトナム事務所や「子どもの家」に毎年やって来る500人~1000人の日本の若者と同一・共通の問題意識を持っていると言える。
 麻原の死刑判決は法制的な面での一つの到達点の過程ではあるが、社会の問題、教育の問題、日本の将来、政治に提起された問題は何も解決されないまま、麻原死刑で問題を糊塗するかのような風潮に疑問を感じる。
 麻原が仮に死刑になっても、若者をめぐる社会・政治・経済情勢は何も変わっていない。若者は本当の生き方と本当の幸せを模索している。こうした若者の提起している問題に政府・政党・宗教団体・社会も大人も何も答えていない。
 このままでは第2・第3の麻原が出てくる客観的な状況は変わっていない。
 今、私たち大人の出来ること、私の出来ることは、若者に「夢のある将来」を語ることである。人間の生き方を身をもって示すことである。若者がこの日本に生まれ生きて良かったという世の中を作ることである。
 これは政治の仕事であると同時に私たち大人一人一人に課せられた課題だと思っている。

投稿者 koyama : 2004年02月27日 18:58

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