« 日本料理店 | メイン | 2人の新日本語教師と懇談・夕食会 »
2015年03月28日
新日本語教師「北浦先生」の出迎え・豊田さん来訪
朝から雨。気温が下がり、寒い。部屋でも長袖を着ている。
気候の変化に体がついて行けない。
午前7時朝食。「フォー・ガー」(鶏肉米麺)
午前中、横になっている。
午前11時半昼食。食欲なし。
「肉団子入り春雨麺」
午後、いくつかの仕事。
4月6日から12日までベトナムに来るSさんからメールが届く。
30歳代からの友人。東京の教職員だった仲間。
ハノイ→ハロン湾→ダナン→ミソン遺跡→ホイアン
→フエ→ダナン→ハノイとベトナム北部・中部を中心とした
ツアーを企画し、11人の元教職員の皆さんと一緒に
ベトナム旅行をする。大体、私と同年齢の皆さんである。
フエ・「子どもの家」・私の話、などの訪問希望などを伺う。
午後5時半直ぐ、雨の中宿舎を出て日本料理店へ。
今日は14人の来客あり。
「京滋YOUの会」・豊田観光の豊田社長が日本料理店へ。
今日から3日間、京都の植木・植物関係の方々を
同伴し、フエへ。
午後9時前に日本料理店へ立ち寄ってくれる。
3冊の本と新聞、薬を持って来てくれた。缶野菜ジュースを
2カートンも持って来てくれる。私の体調が悪いのを日記で
知り、食事が出来ない時でも食事の代わりになるとのこと。深謝。
豊田さんが持って来てくれた本の1冊。
「三国志演義9 残務の骸」(船戸与一著 新潮社)
今、一番読みたい本。
「三国志演義」は平均470ページ程の本である。
既に1巻から8巻までは、豊田さんが持って来てくれたので
読了。ベトナム事務所の日本人スタッフにも読むよう薦め
ている。
これは、安倍首相の祖父岸信介が、事実上の事務局長役
となり、デッチあげられた「ニセ国家」、満州国。
日本の軍部・「革新官僚」(岸信介などを指す)などが、
何を考え、実際にニセ満州国を作り上げて行く過程を
詳述している。作者の船戸与一氏は、10年間かけて
9巻の分厚い本を上梓した。
船戸氏は、新聞のインタヴューで次のように語っている。
はじめは、「満州事変」にに疑問を持ちつつ、満州国の
大使館の責任者のひとりとなる主人公の一人・長男の太郎。
「歴史の荒波を自力で泳ごうと
すれば、価値観の溺死が待っている」と。
====
以下、私見。戦争が進み、満州国が出来つつある時期になると
「高揚感」を感じ、徐々に戦争に積極的に関与していく。
馬賊のリーダーとなり、最後は南方の戦いに参加し、
食糧補給がなく、餓死する次男。餓死する直前「破壊行為が
単なる生活手段と化したのは、いつ頃だろうか」
とつぶやき、失った片目から「うじ虫」が出てくる。
三男は関東軍の憲兵幹部。「匪賊」と称し、国民党軍
共産党軍の討伐を指揮する。
四男は、左翼劇団に入り,検挙。満州鉄道の演芸部に
所属し、満州事変に懐疑的だあったが、徐々に戦争に
飲み込まれ、関東軍のスパイ活動を補佐する仕事をする。
4人の男兄弟の生き方を通して、満州国を建国、その中で
一人ひとりの人間がどう生きてきたかを詳述している。
けして「反戦」の文学・小説ではないが、その奥底に、
戦争になれば、良心も理屈もなく、残虐性と殺戮に
人間は狂奔していくという過程と結果が詳述されている。
新潮社「満州国演義」1巻~9巻をお勧めしたい。
特に20代・30代・40代の皆さんに。
一番薦めたい方は、戦争ごっこ大好きな「安倍首相」
である。
祖父の岸信介氏が満州で何をしたかを知ることで
戦争の実態、残虐性の真実を知ってもらいたい。
原稿用紙で「7500枚」の大作である。
一読の価値は十分ある。
「こんな筈ではなかった」と思いつつ、戦争は進んでいく。
最初は高揚し。しかし、最後は、動物の様に死んでいく、
これが戦争の実態なのだ、と私は1巻~8巻を読んで
感じたのであった。
当時の関東軍の幹部の発言・行動と安倍首相の行動
発言があまりに相似していることに驚き、頷く。
ファシズム・ファシストはいつの時代も本質的に
同じ行動様式を取る。ただ、時代に合わせて、洋服を
着替えるだけである。最終的には、国民が「騙されるか?」
「冷静に分析し、気づき、拒否するか?」にかかっている。
1941年12月7日(日本では8日未明)の
真珠湾攻撃の「勝利」に提灯行列をして熱狂した
日本国民であった。「前者の轍を踏まない」ことを
本書から改めて学んだ。娯楽性もあり、読んで
いて全く飽きない。
満州国演義(船戸与一著)1巻~9巻を強くお奨めしたい。
「福島に農林漁業を取り戻す」(濱田武士・小山良太・早尻正宏著)
みすず書房
・執筆者の一は愚息小山良太(第1章・2章執筆)
鶴見俊輔 「流れに抗して」(編集グループSURE)
午後9時過ぎ、バオミン・ホテルに着いた新日本語教師
北浦先生」を出迎え、挨拶。今後、1年間の日本語学校
での生活・仕事をお願いする。
1年間、健康に気をつけて、日本語学校で頑張って欲しい。
バオミン・ホテルから日本料理店に戻る。
日本料理店の片づけを3人のスタッフと行い、帰宅。
投稿者 koyama : 2015年03月28日 18:52