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2015年03月20日

日本語教師募集の現状と今後の進め方会議

午前5時、目覚める。  

午後3時、室内気温35度(エヤコンを使っても)

このところ、とにかく暑く、湿度が高いので気分が悪く・だるくなり
困っている。

午前7時朝食。「精進ブン麺」

今日は「旧暦」の2月1日。ベトナムでは、旧暦の1日と
15日は、「精進料理」を食べる。

右まぶたの上が、原因不明で「腫れる」。困ったものだ。

午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。朝から30度を超える。
とにかく「暑く」「蒸し暑い」。体力を消耗する。

ベトナム事務所前で「包丁」や「はさみ」研ぎ屋さんが
仕事をしていた。私などが子どもの頃の池袋にも
同じ「はさみ研ぎ屋さん」が町を巡回していた。

ベトナム事務所近くの路上の「研ぎ屋」さんに
「1つのハサミを研ぐのに何分位かかりますか?」と聞く。
「40分」とのこと。1つのハサミを研ぐのいくらになりますか?
「50円位」とのこと。

フエでのこの種の路上での仕事も「近々」になくなってしまう
のだろう。フエも資本主義が浸透し、「大量生産」「大量消費」。
コンビニ・スーパーで物を買う時代にはいりつつある。

包丁研ぎ師、玄米パン売り家、路上の「時計修理人」
『路上の自転車・オートバイ修理人』などが、なくなっていく
ものと思う。


ベトナム共産党の主張する「近代化」「現代化」は必然的に
この種の「手仕事の丁寧な仕事」を放逐し、同一規格の
大量商品を購入し、使い捨て時代に入ってきたのだ。
日本の辿って来た道でもある。

近々にフエの町から「丁寧な手仕事」が消えていく。

ベトナム事務所へ。

スタッフの皆さんは真面目に仕事をしている。感謝。



日本語教師募集の現状と今後の取り組みについて、
バオミンさん・日本語部長のフーン先生、
日本語教師募集担当の富岡先生と打ち合わせ。

①1年間通して日本語教師をしてくれる「K君」が名乗りを上げ、
 3月28日フエに赴任する。2016年3月末まで。
 途中7月、11月の2回日本へ帰り、3ヶ月のビザを取得し、ベトナム
 へ戻る。

②1年間を4つに分け、日本語教師を募集している。(一人3ヶ月)

 ●第1期(2015年4月・5月・6月)教師決定
 ●第2期(      7月・8月・9月) 未定
 ●第3期(      10月・11月・12月)希望者あり・未定
 ●第4期(2016年1月・2月・3月) 未定

午前11時半、昼食。

大量の野菜サラダ、イカ煮、スープ。長粒米

寮が多いので、3分の1程食し、もったいないので冷凍する。


最近、体中に「赤い湿疹」が出て、困っている。
体力・抵抗力が相当低下していることの証と思う。

食後、読書。

「志ん朝の落語3ー遊び色々」

「居残り左平次」を読む。

テープでは何十回と聞いている噺である。言葉も聴きなれている。

廓噺は、既にその種の場所がなくなっている上、100年以上前の
話である。

お客さんが、言葉の理解が出来ない現状では、同じことを
別の言葉で説明するという少し、間が抜ける噺となってしまう。

昔なら吉原へ行こうという時には、「中(なかへ行こう)」といい、
品川は「南」へ遊びに行こうと言ったそうだ。
今、『中」も「南」も分からないので、
「おい、中へ行こう、吉原にな」とか「南にあすびにいこう」品川にな、
などと2度同じ言葉を使わないと落語が通じなくなってしまう時代
ではある。人によっては、「だれてしまう」という人もいるし、
多くの人に落語を知ってもらいたいという人もいる。

文章にするとその意味がわかるものもあれば、文章にしても
意味の分からないことも多い。江戸、明治、大正の頃のはなしなので。

居残り左平次のテープは「眠り薬」のように寝る時に何度も聞いて
いるが、意味の分からない言葉があった。

「夕方、4時、5時、6時。あたりが小暗くなると、方々の妓楼(みせ)で
下足札を撒いたり、羽目板を叩いたり、チュウチュウ鼠鳴きなんかが
始まるよ」という言葉が出てくるのだが、妓楼が夕方開店する頃、
何故、下足札を撒くのか? 羽目板を叩いたり、鼠鳴きが
聞こえるのか? 

今回この本を読んでその意味が初めて分かった、と言っても
昔の妓楼がどうだったかを知るだけのことなのだが・・・・
何の意味もないことではあるが・・・。

昔の妓楼(吉原・品川・・)は、夕方、開店する時の儀式として
行っていたことだそうだ。100年も前のことなので、体験者も
ほぼ絶滅している古典ではあるが。

「紐をつけて束ねた大量の下足札を撒き、それをたぐりよせ
る時に羽目板を叩いて、鼠の鳴き声を真似したそうだ。
「チュウ・チュウ」と。鼠が餌を引くように、大勢のお客さんを
妓楼に引き入れるための妓楼の開店行事だったそうだ。
この40年近く、何故との疑問を持っていたが、意味がわかった。
噺家は意味なくしゃべっていないことが理解できる。

左平次という言葉も人形浄瑠璃や歌舞伎・寄席の符牒で
「左平次をあがく」と言う言葉があるそうだ。「魂胆を持って口車
回す」という意味。はじめから騙そうとして、適当にうまいことを
言うことを「左平次をあがく」といっていたそうだ。

居残り左平次の噺は、正に「口先男」が妓楼で口先だけで
「無銭飲食」する噺である。


午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

途中、その一族の廟があるのだが、旧暦の1日は
一族の祖先に感謝するお供えをする。

故人の家庭でも祖先への感謝の気持ちを表す。

最近は、日本では絶滅に近い慣習ではある。


日本料理店では、スタッフの夕食の準備。


店長のトゥオイさん



調理のハンさん


接客主任のグエットさん



午後9時閉店。一定の来客あり。

投稿者 koyama : 2015年03月20日 10:11

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