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2014年01月26日

2週間のダウン 1月21日からの日記再開

先週から約2週間、体調を崩しダウンしていた。
基本的に1日中寝ていた。

7月・8月・9月の各種スタディーツアーへの
対応、10月のキューバ・アメリカ旅行、
バンベー編集作業、テレビ東京取材の打合せ等、
そして1週間にわたる取材・・・・・。
こんなことで、7月~今日まで休む暇なく仕事を
したことが分かる。
体が「悲鳴」を上げていることを承知する。

1月は2週間、部屋で寝ている。

どうしても行かなければならない仕事があったので
そうした種類の仕事だけ、出席した。

1月21日、22日、23日、24日、25日の
火炎樹日記を今日、書く。


今日は、日曜日。久し振りに電動バイクで
フランスパン、『ベトナム風ほか弁』を買いに行く。

昨日からベトナム事務所・「子どもの家」は
「テト休暇」に入っている。

富岡先生・石井君・税田さんは既に日本へ
帰国。テト中、フエに残るのは、私と後藤君の二人。

2月16日の「現地報告会」「20周年記念式典」
用の資料作り。

バオミンさんが、ベトナムのテト正月用の
「おせち料理」のようなものを持って来てくれる。

ーーー
テト正月中は料理のセンさんも「お正月」で休む。
1週間ほどは自分で食事を作らなければならない。

ーーー
夜、テレ朝で「東京家族」(山田洋次監督)を見る。
1953年制作の「東京物語」(小津安二郎監督)
のリメイク版。途切れ途切れの放映となるので
よく意味の分からない部分もあったが・・・・・。

東京自宅のJ・COMの日本映画チャンネルで
「東京物語」を以前見た。

東京家族もほぼ同様の筋書き。
瀬戸内海の島から上京した橋爪功と有吉和子。
長男(医師・医学博士)・長女(美容院店長)
次男(大道具の見習い・東北地震ボランティア)
という図式。

瀬戸内海の島から東京に出て来た橋爪・有吉夫妻
を迎える「長男夫妻・長女夫妻・次男と恋人(東北
ボランティアで次男と出会う)が、両親を「迎える」
のだが、それぞれ忙しく、結局、自宅におかず、
高級ホテルにお金を出して、「体よく追っ払って
しまう」。
両親(橋爪・有吉夫妻)は、高級ホテルは
慣れていないせいもあり、居心地が悪く
1日で高級ホテルをでてしまう。

田舎から出て来た両親と3人の子どもと
その伴侶との交流を通し、
日本社会・家族関係がどのように
変わっていくかを描いている。

私など、橋爪・有吉の世代になるので、
両親の立場で「東京家族」を見た。

親の思っている気持ちが子どもたちに
通じていない、そのことに「心中穏やか」
でない両親。現在の日本社会の
大きな変化に飲み込まれている「田舎」の
両親の思いと現実との大きな乖離。
それでも両親は子どもたちへの強い愛情を
持っている。しかし、現実の東京という大都会
の中に住んでしまっている3人の子どもたちと
その伴侶と、田舎住まいの自分たちとの大きな
意識の乖離に悩みながら、それを子どもたちに
いえない橋爪・有吉。この大きな意識と歴史の
違いは、現在の日本社会の変化を的確に
表現していると思う。
 東京滞在中に父(橋爪)と級友が飲み屋で飲む。
二人が「現状・親子関係」への不満を述べる
シーンがある。
橋爪はこの酒場で飲みつぶれる。この飲みつぶれる
シーンは、ものをあまり言わないおとなしい父親
橋爪の心の奥底の「ドロドロしたもの」を現している
いるように思えた。言葉では出せないものだ。

父親が飲みすぎ、家族が心配している中で
母親の有吉が、脳溢血で倒れ、東京の開業医
長男の病院で死んでしまう。

瀬戸内海での葬儀。
 葬儀後、母親の着物などの「取り合い」をする子どもたち。
一人になった父親。その父親の面倒を見ることのできない
子どもたち。
葬儀後、そそくさと東京へ帰ってしまう子どもたち。

東北震災のボランティアで知り合った次男とその
恋人だけが葬儀後残る。
父親は、母親の形見の時計を次男のボランティア
彼女にあげる。このシーンの裏には、葬儀後
直ぐに東京へ帰ってしまった長男・長女に比べ、
東北震災ボランティアで知り合った次男の恋人を
通して、これからの日本の未来を考える山田洋次
の重いが出ているように思えた。

妻が急死し、葬儀後、子どもたち、親戚が帰り、
父親一人が田舎の大きな家にいる「図」を見て、
これからの我が日本社会を暗示しているように
思えた。これは同時に他人事ではない現実でも
ある。
途中で放送が終わってしまう。

投稿者 koyama : 2014年01月26日 18:21

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