« 日本へ一時帰国 | メイン | 青少年教育の会懇談 »

2013年09月20日

成田着

午前8時 成田空港着

その足で、五反田へ。ブライセン社長と懇談。

午後自宅へ。

疲れる。

夕方、横になる。

機内で読書

「世の中ついでにいきてたい」(古今亭志ん朝)河出新社(読了)

志ん朝 1973年から亡くなった2001年までの
各界の落語好きの人たちとの対談集。

山藤章二、金原亭馬生、結城昌治、池波正太郎、
池田弥三郎、中村勘九郎(亡くなった勘三郎)
荻原アンナ、江国滋、中村江里子、林家コブ平(正蔵)

志ん朝は2001年 63歳で亡くなっている。

今生きていれば、間違いなく「古今亭志ん生」を名乗って
いたはず。生きていれば、現在75歳。

志ん朝が稽古をつけてもらった師匠方は、
林家正蔵(先代・稲荷町)、三遊亭円生、桂三木助(前代)など。
私が子ども頃からラジオ、テレビ、成人してテープなどで
何度も聞いた昭和の名人から教えを受けている。
特に父親の志ん生は、次男の志ん生に自分の名を
継がせたいという気持ちがあったようだ。
長男の金原亭馬生(先代)は、弟よりも地味な「玄人好み」
の芸風。

私の中には、小学校の頃の三遊亭金馬(先代)→桂三木助
(先代)→桂文楽(先代)→林家正蔵(先代)の落語が今でも
鮮明に残っている。特に先代「トンガリの正蔵」こと
林家正蔵の最後の上野鈴本の寄席を聞聴きに行った。
既に自分では歩けないのか、「見台」を使っての短い
話しだった。
今でも夜寝る時は、志ん朝の「暁烏」を聞いている。
本書を読むと当然ながら志ん朝も「廓」通いの
経験はない。全くの想像で話しているという。
しかし、聴いていると「何となく当時の吉原」の雰囲気(私も
知らないのだが・・・)が匂って来る。

投稿者 koyama : 2013年09月20日 13:12

コメント