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2013年06月26日

ブライセン役員と懇談:日本のマスコミ村の腐敗

大雨

午後、上野のアメ横へ。
両足に負荷をかける重りを買い、そのまま足につける。
この2ヶ月半ほど、ほとんど毎日寝ていた。
体中の筋肉が相当落ちた。
足と手の筋肉をつけるために「負荷」の重りを買いに
行くが、既に全部売り切れ。足の負荷だけ1組残って
いた。

その足で姉の住んでいる根津の家へ。
義兄、姪と懇談。

午後6時半、ブライセン本社付近のブライセン設立
日本料理店「勇山亭」で懇談・打合せ。


ブライセンK部長・ピースインツアースタッフK氏
そして私の3人。今後のブライセンベトナム支社運営、
ブライセン本社からベトナム支社への本社スタッフ
指導のための航空券の件などで打合せ。

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体調が回復基調に乗って来た。少しほっとしている。
体調不良中は文字を書いた入り、物事を考えたり
する気力が全くなかった。

数日前、読売テレビ報道局解説委員長の
辛坊治郎氏が太平洋上で「ヨット遭難」した。

テレビは、辛坊氏と全盲のセーラー、岩本光弘さん
の「プロジェクトD2製作委員会」が実施した
世界初の「全盲セラー太平洋横断」になるはず
だったと報道している。

このプロジェクトのヨットは「吉本興業社長」の
所有物。記者会見も吉本興業東京支社で行われている。

一部のマスコミ(日刊ゲンダイ)を除き、ほとんどのマスコミは
「マスコミ村」を決め込み、辛坊遭難問題を簡単に報道し
終わっている。しつこく毎日特定の問題を放送する
朝の番組も全てが「簡単」に報道して終わっている。

何故、日本のマスコミは、「弱い立場」の人間には
厳しい言葉で追及し、強い立場の人間やマスコミ仲間は
「無罪放免」的な態度に出るのか?

福島原発事故では「原子力村」ということばをマスコミは
使っていたが、今回の辛坊ヨット事故では「マスコミ村」
という言葉を使いたい。

マスコミの言論が認められている所以は、まずもって
権力の暴走を阻止すること、社会正義を守ること・・・・・。
マスコミの仲間だと言って、何も言わず、報道も簡単に
終わってしまっては、日本のマスコミ界は「自縄自縛」行為
と言われてしまう。現在の商業マスコミの現実を如実に
表している。

①辛坊氏自身、学生の頃ヨットをやったとはいっても
日本国内周辺だけで、太平洋横断などの技術がなかった
こと。全盲のヨットマンと一緒だったとはいえ、太平洋を
横断するヨット技術は持っていなかったことを厳しく批判
すべきである。

②辛坊氏と岩本氏の太平洋横断ヨットは、「吉本興業」
丸抱えの「商業イベント」と言われてもしかたのない
ものだったこと。一部の噂では、読売テレビの
「24時間テレビ用」との報道もあるくらい、全盲セラー
をサポートした辛坊解説局長という売り出しで、
テレビで大きく報道する意図があったことは、明明白白。

③辛坊氏は、2004年のアメリカの「イラク侵略」の際、
 イラクに入った「高遠さん・今井君」に「自己責任論」」から
  国のお金で救出・飛行機代支出はおかしいとの
 主張をテレビ司会者・解説を通して主張した。
  (6月25日付けの日刊ゲンダイ)
 今回の辛坊氏の救出も日本の法律に基づき無料で
  救出している。一説では吉本提供のヨット代や国費の
 自衛隊航空機出動などを含めると2000万円程度の
  費用がかかったとも言われている。
  人命を救うために、国費・税金を使うことは致し方の
  ないこと。
   しかし、辛坊氏は、読売テレ日の解説委員長。
  テレビの司会、コメンテーターなどを通して、
  「高遠・今井ー自己責任論」を一方的に主張できる立場に
 いた。高遠・今井氏は、何ら反論ができないという、
 批判する辛坊氏の言い放題という両者の力関係の中で 
  辛坊氏は、当時の政府・自民党の「自己責任コール」に同調し、
  「自己責任」「高遠・今井は飛行機代を支払え・・」などの
  趣旨の発言を公共電波を使って繰り返していた。
  辛坊氏の態度は、人間としてやはり「卑怯な態度」である。
  そもそも辛坊氏は、イラク戦略戦争を支持し、権力に
  基本的に迎合している人間である。
   高遠・今井‐自己責任論を主張した過去については、
  公器であるマスコミの幹部としての「自己弁明」「自己批判」
  が必要ではある。イラク戦争の際、高遠・今井氏を自己責任
  と批判した自分の批判をすべきである。マスコミという
  第4の権力と言われる「公器」を使っている人間が、
  未だに「高遠・今井問題」での反省と自己批判をしていない
  ・できないことは、情けないマスコミ人ではある。
    人間の生き方を考えさせられる辛坊氏のヨット遭難事件
  ではある。こうした「体制」と「権力」にすり寄って生きていく
  人間が多くなった現代ではある。そして、自己の過去を
   簡単に捨て去っても「憚らない」ことも現代を生きる
  処世術なのだろうか?・・・・・・

投稿者 koyama : 2013年06月26日 08:48

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